しばらく振りの更新となってしまいました。
今回は、「『ひきこもり・不登校の理解と支援』 講演会レポート」をご紹介したいと思います。
このブログでご紹介させていただいている、野村俊幸さんと、「ひきこもり」体験者である、吉川真倫さんとの対談レポートです。ひきこもり・不登校についての、とても示唆にとんだ内容となっています。
かなり長い文章量となっていますので、3回にわけて掲載したいと思います。お時間のありますときに、じっくりとご覧になってみてください。
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「ひきこもり・不登校の理解と支援」 講演会レポート
主催者 北海道長万部町 檜山・渡島圏域障がい者総合相談支援センター「めい」
時期・場所 2010年7月29日 長万部町役場2階会議室
対談者 吉川真倫(「ひきこもり」体験者)
野村俊幸(社会福祉士・精神保健士)
1 吉川さんの「ひきこもり」体験
【野村】
ご紹介いただきました野村です。私は娘が二人とも不登校で15年ほどこの問題に関わってきたこともあって、現在は「函館登校拒否と教育を考える親の会・アカシヤ会」や「道南ひきこもり家族交流会・あさがお」の事務局を務めているものですから、こういったテーマの研修会やフォーラムなどにお声をかけていただく機会があり、お邪魔した次第です。
実は、昨年もここでお話させていただきましたので、私では二番煎じになってしまいますから、今日は、ひきこりを実際に体験された吉川さんのお話をメインにお送りいたします。
今年の6月5日と6日、七飯町で「ユニバーサル上映映画祭」が開催されました。これは、目の見えない方も、耳の聞こえない方も、身体がご不自由な方々にも映画鑑賞を楽しんでもらえるように様々な工夫を凝らした映画会なのですが、その中で「アンダンテ~稲の旋律」という映画を上映しました。
この映画は、ピアノの先生を目指した女性がいろんな事情が重なって、いわゆる「ひきこもり」に追い込まれるのですが、農村での生活を通して元気を取り戻して行くというストーリーで、現代の家族のあり方や日本の農業を取り巻く環境もなども含め、大切な問題をたくさん訴えています。
とても感動的な映画で、全国各地で上映運動が始まっていますが、今回の七飯上映会では、メインテーマである「ひきこもり」についての理解も深めようということで、映画のヒロインと同じようにたいへん辛いひきこもりを体験したこちらの吉川さんが、「自分が体験を話しても良い」と仰ってくれましたので、私との対談という形で映画上映の後にトークコーナーを設けました。
2日間でのべ500名近い参加者があったのですが、吉川さんのお話にたくさんの方がとても感動されましたので、今回は、そのとき話足りなかったことも含めて、1時間ほど私たちのお喋りにお付き合いいただければ幸いです。
私の体験についても後ほど少しご紹介させていただきますが、限られた時間ですので、さっそく吉川さんにお話しいただきたいと思います。それでは、吉川さん、よろしくお願いいたします。
【吉川】
自己紹介
こんにちは。吉川真倫と申します。現在27才です。先ほど野村さんがご紹介されましたひきこもり家族会の方に参加させていただき、お世話になっております。
わたしのひきこもり体験をお話させていただき、何かご参考になればいいなと思っています。よろしくお願いいたします。
まず、わたしがひきこもりに至るまでのおおまかな経緯なのですが、わたしは、もともと小さい頃から人が苦手で、人見知りが結構ありまして、それでも小学校低学年くらいまでは、それほど悩みもなく学校に通っていたのですが、小学校高学年くらいから、だんだん学校の友人関係を維持するのが難しくなってきました。
そして、小学校、中学、高校までは何とか卒業するのですけれども、18才の時に通っていた大学を半年で中退します。
原因は、人間関係をうまくつくれなかった事と、将来に対しての目標とか希望が持てなかったことでした。大学を中退してからは、7ヶ月間くらいひきこもりの状態が続きまして、その後にアルバイトと引きこもりを繰り返す生活を送っていた時期がありました。
ひきこもりとは
そして、「ひきこもり」というと、ずっと家に閉じこもっているというイメージもあるかと思うのですが、普通に外には出ることができて買い物も普通にするけれども、なかなか働くこと自体はできていないという人も結構たくさんいて、私の場合がそういう状態でした。
「ひきこもり」という言葉は、必ずしも家から1歩も出ないという人だけではなく、家から出られても、家族以外の人との接触がなくて、社会的な活動に参加をしていない状態であれば、社会的には「ひきこもり」と呼ばれています。
小さい頃~高校卒業まで
次に自分の学校生活のお話を少しさせていただきますが、小学校低学年の頃までは、それなりに普通に学校に通っていました。わたしは、小学校5年生くらいから、教室での友人関係で悩むようになってきました。
人の立場に立って相手を思いやったりとか、場の空気を読んだりするのがちょっと生まれつき苦手で、全体的にコミュニケーションをとるのがあまりうまくありませんでした。
その頃は、コミュニケーションをうまくとれていないというストレスが体に症状として出るようになり、給食後にお腹が痛くなるということが度々ありました。
学校を早退して家に帰ると、いつも間もなくして痛みが消えていました。病院で看てもらったところ、「過敏性大腸症候群」という診断を受けました。ストレスが原因で、ストレスが体に出るということは不登校やひきこもりの人によく観られるようです。
小学校、そして中学校も、友人関係をうまくつくれなくて悩みながらも、なんとか卒業します。
高校は、クラスでは話す人が少なかったり居場所がなかったりして辛かったのですけれども、入学した時にテニス部に誘われ、部活内では仲のいい友人達が集まっていたおかげで、その時間だけは楽しく過ごせてなんとか卒業できました。
高校卒業~大学中退まで
そして、高校卒業から大学中退までの話しなのですが、わたしは、高校3年生の終わり頃になっても、将来したい事が見つけられませんでした。とりあえず地元の大学に進学するのですけれども、半年で中退します。
その理由は、高校までは必ず卒業しなければならないところであり、大学はさらに学力をつけたい人が行くところというイメージがありました。
ですから、自分がさらに4年間の期間をコミュニケーションで悩みながら大学に通うよりも、もっと他に何かできることがあるのではないかなと思って大学を中退しました。
それと、高校さえ卒業すれば何か楽しいことが待っているのではないかという漠然とした希望みたいなものがありまして、なんとか高校までは頑張ってきましたが、大学が自分の思っていたイメージと違っていて、その時にわたしの中の希望が打ち崩されたような感じでした。
自分が今まで孤独に耐えてがんばって学校へ通ってきた日々は一体何だったのだろうという思いがありました。大学をやめたあとは、これからどうしようという想いで、先が全く見えない状態が続きました。
大学中退後ひきこもりの生活
大学を中退したときの心境は、“自分の人生は終わってしまった”という気持ちでした。昔やっていたテレビゲームをしたり、昔録画した洋画のビデオをよく見ていて“あの頃(小学生の頃)は楽しかったな”というように、過去の自分の思い出を懐かしむような感じで、しばらく過ごしていました。
「将来に希望が見えなくなっていた状態」だと思います。
ですが、ひきこもった最初のうちは、友人と会ってドライブしたり、遊びに行ったりもしていました。次第に自分が学校に行かず働いてもいないことに後ろめたくなってきて、友人に会うことが少なくなっていきます。
そして、日中は本屋さんに一人でよく外出に行っていましたが、昼間から外へ出ていると、だんだん近所の目が気になりだして、働きもせずに外を出歩いていると思われるのが嫌で、徐々に外にも出て行かなくなります。
実際はそんなにまわりの人や近所の人は気にしていないのかもしれないのですけれども、ひきこもりの人は、私のように外出しなくなる傾向の人も少なからずいます。
このように、外出回数が少なくなって部屋にいることが多くなり、それがストレスになって体調を壊したりする場合もあります。
ひきこもり自体は、病気ではないのですけれども長引くと、「病気」のような状態へと変化していってしまう場合もあります。
そして私のひきこもり生活が3,4ヶ月を過ぎる頃には昼夜逆転の生活になっていて、お昼の12時頃に起きて、朝ご飯を食べるような生活になっていました。
本当はアルバイトをしたり働きたかったのですけれども、コミュニケーションが極端に苦手でしたので、たとえ働き始めたとしても、人間関係をうまく維持できないだろうなと思っていました。
アルバイトの面接すら受けていなくて、なかなか一歩を踏み出す勇気がまだありませんでした。
アルバイトとひきこもりを繰り返す
結局大学中退後7ヶ月間くらいは、外出はするのですが、「ひきこもり」と呼ばれる状態が続きました。そしてようやく、いろいろな方にお世話になりながら食堂での食器洗いのお手伝いを見つけて、半年間通いました。
そこでの経験が自分の自信になりまして、その後は、ようやく一人でも行動できるようになっていきました。
アルバイトとしては、2ヶ月間の期間限定での長ネギの収穫を行ったり、新聞配達の仕事をしました。農家の仕事では、人間関係が苦手な自分でも、最初から2ヶ月という期間が決められていればなんとか乗り切れるだろうと思って仕事をしました。
私の他にもシルバー人材センターから働きに来ていたおじさんがいて、すごく明るい方でよく話しかけてくれましたので、話すのが苦手な自分を助けていただき、なんとか2ヶ月間乗り切ることができました。新聞配達は、人と関わりが少なくてすむということで短い間ですがアルバイトとして働いていました。
ただ、すぐに辞めたアルバイトもいくつかあります。1週間で辞めた牧場での住み込みのアルバイトもあります。初めてアルバイトをしたときは、働けてうれしいなと思っていたのですが、23,4才頃から、このままアルバイトを続けていても自分の将来はどうなるんだろうと思うようになってきました。
自分自身の社会経験の乏しさも関係しているのですが、自分に何が向いているのか、自分がどんな仕事がしたいのか分からなかったんですね。将来に希望がなかなか見いだせない状態で働いていたことや、職場でなかなかコミュニケーションをとるのが難しかったことで辞めるというパターンが多かったように思います。
すぐにやめてしまうと自分の挫折体験になってしまいますので、今ひきこもっている人達もそうなのですけれど、あまり「働こう働こう」と考えすぎてしまって、全く不向きな仕事に就いてしまい、すぐやめるということを繰り返してしまうと、逆に自信を失う場合もあります。
わたし自身の経験でそう思っていますので、多少時間はかかっても、ある程度自分にできそうな(向いていそうな)仕事をゆっくり探していくのも一つだと思っています。
仕事以外の活動場所
次に仕事以外の活動場所についてお話したいのですけれども、ひきこもり始めて1年くらいしてから、月に1回行われているひきこもり家族交流会「あさがお」の例会に参加させてもらうようになりました。そこで、野村さん達に、暖かい声をかけていただいたり、ご家族の話を聴くなかで「悩んでいるのは自分だけじゃない」という安心感を得ることが出来ました。
それから少しして、精神障害や知的障害などを持った方達が日中に通う作業所に通わせていただいていました。週に5日間ありますので、仕事に就いていないときは日中の居場所として通わせていただいていました。
こうして、だんだん自宅以外での人とのつながりが増えていきましたが、22才の時には、「発達障害」の診断を受けまして、函館障がい者就労・生活支援センター「すてっぷ」というところにも、仕事を探すときや、仕事での悩みなども聞いていただいて、すごくお世話になっています。
それまでは、どこともつながりがなく、家とハローワークの間を2日に1回くらいの割合で、仕事のあるなしに関わらず、往復するのが日課みたいになっていました。その頃は、仕事での心配事があっても一人で悩んで、仕事をやめたあとも自分の事を話す相手がいない状態でした。ですから、わたしの周りに、アドバイスをくれたり、励ましたりしてくれる人が誰もいなかったんですね。
それから考えますと、今はひきこもりの会があり、ひきこもりの本人の会もあって、「すてっぷ」さんにも悩みを聞いていただいています。いろいろな人と繋がっていれるから今の自分がなんとか存在しているのだなと思います。本当につながりは大切だと思っています。
今の職場について
現在は、介護関係の学校で事務をさせていただいています。私の知っている方が介護の仕事をやっていたこともありまして興味があり、ホームヘルパーの講座を受けました。
「マイエルフ」という会社さんなのですけれども、全て受講し終えたときに、「実は私は発達障害を持っていて、人と接するのが苦手な面もあったのですが全て履修することができました」ということをお伝えしたところ、それから間もなくして“うちで働いてみないかい”と社長さんにお声をかけていただきました。
ですから、職場は私が発達障害を持っているということを知ったうえで雇ってくださっています。ヘルパーさんの働いている会社ということもありまして、障害について理解してくださっているので、例えば仕事でも同時に二つのことをするのが苦手だということを知っていただくなどして、様々な場面で職場の方にかなり助けて頂いております。
現在2年半勤めていまして、もう少しで3年になるのですけれども、自分のそれまでの仕事の続いている期間が平均すると3ヶ月くらいですので、この2年半というのは奇跡のような期間です。
職場の方達にすごく助けていただいていることと、周りに「すてっぷ」やいろいろな支援者の方がいてくれるからこそ続いているのだと思っています。本当にありがとうございます。
2 野村家の不登校体験
【野村】
ありがとうございます。吉川さんはとても落ち着いて淡々とお話していますが、ここに至るまでに、どれだけ苦しんできたのか考えますと、私は胸が痛くなります。と申しますのは、娘たちの不登校の場合も、特に長女の体験と吉川さんの体験が重なる部分がたくさんありますので、少しだけわが家の体験を紹介いたします。
長女は今年36歳になりますが、中学2年生のとき、朝、学校に行く段になると、頭が痛い、お腹が痛い、吐き気がするなど、様々な症状を訴えて、トイレに駆け込んだり、玄関先にうずくまってしまいます。
はじめは風邪くらいに考えて、とりあえず学校を休ませますが、お昼頃になるとそんな症状も消えて、家の中では普通に起きています。一日中寝ているわけではないので、学校へ連れて行けば何とかなるだろうと思い、学校も「連れて来てくれれば何とかしますから」と言いますので、ともかく、必死になって学校に行かせようとしました。
そのうち、そんなことが毎日続きますので、何か隠れた病気があるのではないかと心配になって病院を連れ回しますが、どこも異常はありません。すると今度は「怠けではないか、ずる休みではないか」と疑い出します。これは、たいがいどの親もやってしまうパターンで、ここから泥沼にはまっていきますが、私も本当にいろんな手を尽くします。
先生に家庭訪問してもらう、毎朝友だちに迎えにきてもらう、しまいには車に押し込んで、学校まで連れて行くなどということもしましたが、そうやって登校させようとすればするほど、長女の体調は悪くなってしまい、3年生に入るとほとんど行くことができなくなりました。
そうしますと、当然のことながらこれではどこの高校も入れないと心配になります。そこで、もう1年残って登校するようがんばり、その次の受験に備えようという、誠に愚かな判断をしてしまい、これで長女を決定的に追いつめてしまいます。学校へ行くどころの話ではなく、家からも出られなくなり、部屋の中は「アンダンテ」のヒロインと同じように荒れ放題で、吉川さんもお話していましたが、昼夜逆転して生活のリズムはメチャメチャになってしまいました。当時は「ひきこもり」という言葉はまだありませんでしたが、今から考えればまさに「ひきこもり」状態です。
吉川さんが、『昼間から外へ出ていると近所の目が気になりだして、徐々に外にも出て行かなくなります』とお話されていましたが、不登校している子どもも同じで、「みんな学校に行っているのに自分は何で行けないんだろう」というように自分を責め、周りの目が気になって外で出るどころの話ではなくなりますので、当時の長女もきっとそんな状態だったと思います。
それともうひとつ、吉川さんは『場の空気を読んだりコミュニケーションをとるのが苦手で小学校5年生くらいから友人関係で悩むようになった』というお話をされましたが、彼女も似たようなところがありました。
特に同世代の女の子とコミュニケーションを取るのが苦手で、どのグループにも入れなかったそうで、トイレに行くのも一緒、休み時間も一緒というような女子生徒のグループ行動に馴染めないし、みんなが盛り上がる話題も「何でそんなに面白いんだろう」と感じてついていけなかったそうです。
その結果、どのグループも入れず孤立したところを男子グループに狙われ、ひどい「いじめ」を受けてしまい、学校に行けなくなってしまいます。
たいへんお恥ずかしい話で、そんな「いじめ」があったのはずっと後になって分かるのですが、その辛い状態の娘に対し、学校に「行け、行け」と責め続けていた訳ですから、彼女の身体具合が悪くなるのは当たり前に話で、長女にたいしては、本当に申し訳ないことをしたと思っています。
これもずっと後になってから、今から5~6年くらい前でしょうか、長女は「何度も自殺することを考えた」と打ち明けてくれました。
私は長女のことを結構分かったつもりになっていたのですが、彼女の一番辛かった状態を知ったのは最近と言ってもよいわけで誠にお恥ずかしい話ですが、このときの私のように、親が子どものことをきちんと理解しないで間違った対応をしてしまいますと、子どもは本当にたいへんな状況に追い込まれてしまいます。
そこで、子どもが不登校やひきこもりを始めたときに、親や周りに人々はどのような対応に心がけたらよいか、ご自身の体験などから吉川さんが思っていることをお話いただけますか。
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続きは
「『ひきこもり・不登校の理解と支援』 講演会レポート」のご紹介 その2
にてご紹介いたします。
今回は、本のご紹介をします。
わが子が不登校で教えてくれたこと 改訂版/野村 俊幸

¥1,050
Amazon.co.jp
前回の記事でご紹介した、野村俊幸さんのご著書です。
(内容紹介)
長女につづいて次女の不登校も経験、社会福祉士・精神保健福祉士としても活動する著者が、ひきこもり、いじめ、進学問題等子どもをめぐる厳しい現実を受け、当事者(親)・専門家双方の視点から不登校の本質に迫り、自らの体験を踏まえた具体的事例を挙げ、問題解決への道を探る。原因探しよりも子どもを受けとめようという主張、子どもに寄り添う新しい教育観等、学校関係者も注目の一冊。
不登校に関するお悩みをお持ちの方に、ぜびオススメしたい一冊です。
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今回は、HPとブログのご紹介です。
わが子が不登校で教えてくれたこと
http://www.geocities.jp/futoukoubook/
不登校で教えてくれたこと・発信部
http://tnomura0310.blog118.fc2.com/blog-date-20100310.html
北海道の道南地域を中心に、不登校・ひきこもり支援の第一人者として、様々な活動をなさっている、野村俊幸さんのHPとブログです。
前回の記事でご紹介をした、『道南ひきこもり家族交流会「あさがお」』の事務局も担当して下さっています。
不登校・ひきこもりに関するお悩みをお持ちの方は、ぜひ一度、ご覧になってみて下さい。
・野村俊幸さんプロフィール
□経歴
昭和25年北斗市(旧上磯町)生まれ
北海道大学文学部卒業、昭和48年北海道庁に勤務、渡島・檜山・胆振各支庁、道本庁(保健福祉部等)、児童自立支援施設大沼学園、函館児童相談所、後志保健福祉事務所を経て、平成20年3月渡島保健福祉事務所子ども保健推進課長 退職
平成20年4月~22年3月 西野学園函館臨床福祉専門学校専任講師
□現職
西野学園函館臨床福祉専門学校非常勤講師
北海道教育大学函館校非常勤講師
はこだて若者サポートステーション専門相談員
□資格
社会福祉士 精神保健福祉士
□主な活動
函館・登校拒否と教育を考える親の会「アカシヤ会」事務局代表
道南ひきこもり家族交流会「あさがお」事務局
不登校をともに考える会「昴の会」アドバイザー
函館地方精神保健協会理事
社団法人北海道社会福祉士会スクールソーシャルワーク検討委員
南北海道教育臨床研究会幹事
子どもの権利ネットワーク南北海道運営委員
チャイルドラインはこだて監事
※左側のサイドバーにもリンクがあります。
わが子が不登校で教えてくれたこと
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不登校で教えてくれたこと・発信部
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昭和25年北斗市(旧上磯町)生まれ
北海道大学文学部卒業、昭和48年北海道庁に勤務、渡島・檜山・胆振各支庁、道本庁(保健福祉部等)、児童自立支援施設大沼学園、函館児童相談所、後志保健福祉事務所を経て、平成20年3月渡島保健福祉事務所子ども保健推進課長 退職
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北海道教育大学函館校非常勤講師
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□資格
社会福祉士 精神保健福祉士
□主な活動
函館・登校拒否と教育を考える親の会「アカシヤ会」事務局代表
道南ひきこもり家族交流会「あさがお」事務局
不登校をともに考える会「昴の会」アドバイザー
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