今日は角川ホラー文庫の小説です。
吉村達也による『初恋』は、1993年に角川ホラー文庫から刊行された長編ホラー小説です。
平凡なサラリーマンである三宅を主人公に据え、日常の微細な幸せが徐々に崩壊していく様子を描いています。
物語は、三宅が職場結婚し、心優しい妻と新居に暮らし、もうすぐ子どもも生まれる…という、ごくありふれた幸せな家庭が舞台です。
そんな日常に突如として現れるのが、中学時代の同級生だった女性。
彼女は十六年前、一度だけ三宅とキスを交わした相手。その淡い“初恋”の思い出が、三宅にとっては遠い過去でしかありません。
ところが、彼女にとっては初恋がまだ終わっていない。むしろ「今こそが本番」とでも言うような執念で、彼女は三宅の人生に執拗に関わってくるのです。三宅の平凡な幸福は、彼女の異常な執着によって徐々に蝕まれていきます。
この小説は、いわゆる“ストーカーもの”の原点のひとつと評されることが多く、常軌を逸した女の執念、その狂気が現実にありそうな怖さとして描かれています。
吉村達也特有の、日常と非日常の絶妙な境界線をじわじわと侵食する演出は、読者に「人間の狂気」の怖さを強く印象づけます。
感想
さて、この『初恋』ですが、読んでみると怖さとともに、妙に人間臭い感情がじわじわ染み込んできます。
いや、最初は本当に「よくある家庭もの」なんですよ。妻が妊娠して、家を買って…三宅本人も「人生に何の不満もない」って堂々と思ってるわけです。
ところがそこに、忘れかけていた過去が、トンデモない形で戻ってくるわけです。
この女性がとにかく異常なんですよ。いや、もちろんストーカー小説って今となっては珍しくないけど、1993年当時でこの「常軌を逸した女」の怖さって、かなりインパクトがあったんじゃないかな。
強烈な執念で主人公につきまとって、平和な日常なんてあっという間に崩れてしまう。
「自分にとっては過去の思い出だけど、相手にとっては現在進行形の恋」――これ、身近すぎて怖い。
たとえば同窓会で昔好きだった相手に偶然再会する…くらいなら割といい話なんですけど、この小説はそこから“執念のストーカー化”へと一気に振り切る。
嫉妬とか情念が、どんどん歪んで狂気になっていく。主人公の三宅は「秘密を隠すあまり、周囲の誤解が膨らませてしまう」という典型的な負のスパイラルに巻き込まれていきます。
文章自体は淡々としてて、痛々しい場面もサラッと進みます。
でもページをめくる手が止まらない。
実際に「痛々しい表現があるけどあっという間に読めた」という声もあるし、ラストに「これで終わり?」って思わせる不気味さも、ホラーとしては上々だと思います。
こういう異常な執念って、リアリティと紙一重です。誰だって初恋の相手をなんとなく覚えてるし、もしその人が突如現れて、とんでもない執着で人生を巻き込まれたら…?と考えずにはいられません。
しかも、執念が愛から憎しみに逆転する場面なんか、人間の心理の闇を強く感じさせられます。
今の感覚で読むと、やや“古い”演出だとか“定番”な展開だと言われるかもしれません。
でも、ホラーやサスペンスの「原点」的な作品として、純粋な恐怖と同時に、どこかで笑えてしまう(狂いすぎてて逆にユーモラスだったりする)ひと時もある。吉村達也の作品って、意外とそこがクセになるんですよね。
もし日常に突然侵入してくる“異常な何か”の怖さ、それも超自然じゃなくて「人間に潜む恐怖」に興味がある人は、ぜひ手に取ってみてください。
あっという間に読めてしまうのに、読後は妙な余韻でゾクッと来る。
そんな“怖くて面白い”小説でした。