macoです。








恥素顔受け入れて手放すシリーズ♡














小1〜小4まで
硬筆を習いに行った



あまり上手く書けなくて
金賞になる事がなくて


万年、平々凡々
銀賞止まり


上手な人に対する憧れと嫉妬
出来ない伸びない自分への自責と葛藤











先生の字がとても美しくて

線とか
書き始め、挿入感
筆圧、文字の中の空間

そのデザイン性
そんなのが凄く好きだった。

(って、書いている今
そーだった!😳と気付いた)








でも私の字は
先生のそれとはかけ離れていて


どう似せて書いても
先生のようには書けなくて







先生に赤ペンで直される時

先生は席の向こう側から
私の方へ向かって
訂正の文字を書く。




要は先生から見たら



こんな感じで、
筆運びも向きも、全部逆さに書くの。




それでもさ
めちゃくちゃキレイなの!







私は訂正された自分の字の下手さと
先生のすんばらしくキレイな字を

訂正されるたびに
自分の中に刻み込んだんだ。。。













こうなりたい!
と思う人が出てくる。



こう在りたい!
と思う人が出てくる。



この言葉を

この感覚を

このセンスを

この着眼点を

この受け取りを

この表現法を

この出し方を

この関わり方を

etc…




素晴らしい
いいな

と思う人が
次から次に現れて






その度に



自分が劣っている
自分がダメ



を刷り込んできた。










実際、学校なんかでは
指摘や修正などをされるから


その経験が全てにおいて
習慣化されくっついていて











それが出来ない私はダメ

だからちゃんと直さなければ。










私が

私のままでいることを

許さなくなった。










誰かに憧れる度

無意識に

私は自分をどんどん下げた。








自分で比較して

後で自分がキズついてしまわないように。



初めから

自分はダメですから…と

思っている方が
後がラク。










でもそれは

同時に






自分自身を抑え込んでいたんだと





自分自身の可能性や願望を

瞬時にフタして

見失ってしまうことになっていたんだと






ようやく気付けた。












自分がいいな♡と
憧れた時


私はそのように出来ないとダメ!
…としていたんだ。










私は私で、
私の良さがあって


憧れた人と同じでない事が
私らしさ、私の個性で『ある』のに




そう できない
そう なれない

『ない』の方を見る習慣化によって




私は自分を殺してきたのか。




















あ〜〜〜


このクセは強い








でも見付けた!









このカラクリ、
手放していくよ。













憧れの人

ステキ♡って思う



でも違う人なのだ



だから

そこを目標にするのではなく

見るのはあくまで自分🌸





自分を見よう