昭和歌謡 -2ページ目

昭和歌謡

懐かしい昭和の歌謡スターの歌を紹介します。

◎アンタ あの娘の何なのさ

 阿木燿子は作詞の発想力といい、言葉のひらめきといい、かなり天才的な作詞家だと思う。特に女性の強さと弱さ、喜びと哀しみを繊細な感覚で表現する能力は傑出している。

 昭和20年生まれ、横浜で育ち地元の捜真女学校中等部・高等部を卒業して明治大学文学部に入学。軽音楽部に入り、そこで同学年の宇崎竜童と出会う。宇崎は一目見て「あ、嫁さんが来た‼」と直感したという。宇崎は猛アタックして二人は昭和46年に結婚する。

 「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」(昭和50年)宇崎が率いるダウン・タウン・ブギウギ・バンドに提供したこの曲が最初のヒット曲となった。横浜から横須賀に流れて行った女を男が探し求める内容で、ほぼ全篇が宇崎のセリフでメロディーは〽港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカだけという奇抜さ。最初に聴いた時にはびっくり仰天し、すぐに気に入った。

 各番のセリフのに入る「アンタ あの娘の何なのさ」が決まっていて、あの阿久悠も「衝撃的だった」と述べている。阿久悠の詞は練りに練った詞で、阿木燿子の詞は直感的にひらめいた詞だといえる。歌手では五木ひろしは秀才で森進一は天才、作詞家では阿久が秀才で阿木は天才といった感じだ。最後のセリフだけ「アンタ あの娘に惚れてるね」に変わるのも洒落ている。

 この後夫婦コンビは山口百恵に次々とヒット曲を提供する。それまで歌っていた「ひと夏の経験」などいわゆる「青い性路線」に不満を抱いていた百恵が二人を指名したという。この狙いは大成功。曲の主人公の女性は若いが自分の意志をはっきりと持った自立した女性で、それは百恵自身の性格に合っていた。このいわば「ツッパリ路線」で、百恵は新境地を開いた。

 「横須賀ストーリー」(51年)少女時代を横須賀で過ごした百恵のイメージに通じる曲で〽これっきり これっきり もうこれっきりですか…の繰り返しが何とも印象的で大ヒットした。「イミテイション・ゴールド」(52年)は去年の男が忘れられず、今年の男がイミテイションに見えてしまうという歌。

 「プレイバックpart2」(52年)〽…馬鹿にしないでよ そっちのせいよ ちょっと待って playback playback 今の言葉 playback playback…という啖呵が百恵らしくて小気味いい。〽気分次第で抱くだけ抱いて 女はいつも待ってるなんて 坊や、いったい何を教わってきたの…という際どい表現には驚いた。

 夫婦コンビによる、このほかの歌。

 「愚図」(50年・研ナオコ歌)女友達から親しくしている男性を紹介してと頼まれ、断り切れずに自分は道化役を演じて二人を取り持って帰ってくる。そのあとで〽本当はアンタが好きだなんて 今更言える訳ないじゃないの アタシって本当に 愚図なおばかさん…と悔やむ。女性の心理を実に上手く表現して、身につまされる人も多いだろう。阿木の真骨頂だ。

 「想い出ぼろぼろ」(51年・内藤やす子)〽…言い訳繕う その前に やさしさ装う その前に 聞いておきたい事がある だけど 想い出ぼろぼろ くずれるから 瞳こらして 夢ん中

 これも女性の心理描写がすごい。夜更けに帰ってきた男に問いただしたいことがあるけど、そうするとこれまでの幸せが崩れてしまいそうで怖くてじっと我慢している。

 宇崎以外の作曲家と組んだ歌。

 「夢一夜」(53年・南こうせつ作曲・歌)〽…あなたに会う日の ときめきは 憧憬(あこがれ)よりも 苦しみめいて あゝ 夢一夜 一夜限りに咲く花のよう 匂い立つ

 愛しい人に逢う日の心のときめき。しかし愛は苦しく、憧憬よりも苦しみ、歓びよりも切なさが先に立つ。そうした揺れ動く女心が南の哀調をおびたメロディーに乗って描かれる。「かぐや姫」時代に「神田川」んどのヒットを飛ばした南のソロになってからの初ヒット。

 愛する人に逢うときめきを歌った曲としては桂銀淑の「ベサメムーチョ」(平成7年・FUMIKO・杉本雅人)もいい。

 日本レコード大賞の受賞曲としてはジュディ・オングの「魅せられて」(54年・筒美京平)、中森明菜の「DESIREー情熱ー」(61年・鈴木キサブロー)がある。このほかキャンディーズのラストソングにして最大のヒット曲「微笑がえし」(53年・穂口雄右)、タバコのCMソングだった梓みちよの「よろしかったら」(54年・筒美京平)、ベートーベンの「エリーゼのために」を編曲したザ・ビーナスの「キッスは目にして」(56年)、異色作として東映映画「トラック野郎」の主題歌として菅原文太と愛川欽也が歌った「一番星ブルース」(50年・宇崎竜童)などなど。

 カネボウ化粧品のモデルをやったほどの美貌とスタイルの良さで映画にも出演、映画の監督・脚本も手掛けた。さらには小説、エッセイも書くという多芸多才ぶりだ。

 阿木さんには一度お会いしたことがある。おしとやかで上品で美しい奥様といった印象で、この人のどこからあんなショッキングな詞が出てくるのか不思議に思ったほどだ。                                             (黒頭巾)

   

◎8時ちょうどの あずさ2号で

 竜真知子は昭和26年生まれで愛知県出身、青山学院大学卒業。それ以上の経歴はいろいろ調べても分からない。「リューマチ」を思い起こさせる名前の由来も分からない。

 竜の作品の中では52年に発売された都倉俊一作曲の2曲が何といっても素晴らしい。

 「あずさ2号」〽明日 私は旅に出ます あなたの知らないひとと二人で いつか あなたと行くはずだった 春まだ浅い信濃路へ…8時ちょうどの あずさに2号で 私は 私は あなたから旅立ちます

 長い間付き合っていた恋人と別れるふんぎりをつけるため別の男と旅に出る女。別れるのに何も別の男と旅にでなくてもよさそうなものだが、そこが微妙な女心なのかな。それはともかく詩情と旅情をかきたてる名曲。

 東京から地方へと向かう鉄道のうち東北本線、信越・上越本線、東海道本線などは新幹線によってお株を奪われてしまった感があるが、中央本線だけはいまも在来線の特急が主役の地位にある。新宿発の特急列車が八ヶ岳山麓の富士見高原あたりにさしかかると、旅に出たなあという解放感にとらわれる。「8時ちょうどのあずさ2号」は今はない。特急あずさは下りが奇数、上りが偶数に変わっている。

 JRの新宿駅は山手線、中央線、埼京線などのホームは都会の喧騒に包まれているが、中央本線のホームだけは旅行客も多く、そこはかとない旅情を感じさせる。青江三奈の「新宿サタデーナイト」(43年・佐伯孝夫作詞・鈴木庸一作曲)は〽ふと浮かぶふるさとの 山脈(やまなみ)青く さよならと乗ろうかな 最終の長野行…。都会の生活に疲れた女がふと故郷の信州の山を思い出し、思わず新宿駅から最終の中央本線に乗りたくなる歌だ。

 「コスモス街道」〽バスを降りれば からまつ林 日除けのおりた 白いレストラン 秋の避暑地で 出会うひとはみな なぜか 目を 目を伏せて なぜか 目を伏せ 歩きます…右は越後へ行く 北の道 左は木曾まで行く 中仙道 続いてる コスモスの道が

 夏のにぎわいが消えて、ひっそりとした秋の軽井沢。あの夏の日の恋はもう帰らない。舞台は北国街道と中仙道が分かれる信濃追分。堀辰雄や立原道造の文学作品にも取り上げられている。印象的な「右は…左は…」の歌詞は立原の詩「夏の旅」から取ったものだ。

 秋の避暑地をテーマにした曲では舟木一夫の「高原のお嬢さん」(40年・関沢新一・松尾健司)もいい。

 竜の作品にはポップス系の歌が多く、ヒット曲としてはキャンディーズの「ハートのエースが出てこない」(50年・森田公一)、桑江知子の「私のハートはストップモーション」(52年・都倉俊一)、サーカスの「Mr.サマータイム」(51年・ミッシェル・フュガン)などがある。

 テレビアニメの主題歌も多く、「戦闘士星矢」の主題歌「ペガサス幻想」(61年・松澤浩明、山田信夫)が有名だ。

 このほかミュージカルの作詞・訳詞で菊池寛賞を受賞するなど、幅広い分野で活躍している。どの分野の作品も女性らしい細やかな感情があふれている。                                      

●「昭和の作詞家(94)で紹介した里村龍一さんが10月5日に亡くなられた。72歳。ご冥福をお祈りいたします。

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◎流れ流れて さすらう旅は

 五木寛之は著名な小説家、随筆家だが、音楽界との縁も深く作詞家として多くの作品を残している。

 昭和7年、福岡県八女郡生まれ、父親の勤務で朝鮮半島に渡り15歳の時に福岡県に引き揚げる。福岡県立福島高校から早大露文科に進学するも学費未納で抹籍される。学費が払ず売血して生活費にあてるなど、ここまでの五木の人生には貧乏がつきまとった。

 社会にでてからはCMソングの作詞をしたり、テレビやラジオの番組制作をしたりしてマスコミ界、音楽界にかかわるようになった。

 作家デビューは41年の「さらばモスクワ愚連隊」で、翌年には「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞を受賞。その後も「青春の門」はじめ多くのベストセラーを発表して人気作家となった。

 歌謡曲の作詞を始めたのは三十歳になるごろから。本人が「僕が歩いてきた道の背後には、いつも歌が流れていた。歌に支えられ、歌を道連れに歩き続けてきた」と語っているように五木にとって歌づくりは作家活動の余技的なものでは決してなかった。その詞の特徴は日本語の意味を正確にとらえた美しい文章になっていることだ。ヒット曲には自分の小説が映画、ドラマ化された時のテーマソングとしてつくられたものが多い。

 「旅の終わりに」(52年・菊池俊輔作曲・冠二郎歌)〽流れ 流れて さすらう旅は きょうは函館 あしたは釧路 希望も恋も 忘れた俺の 肩につめたい 夜の雨

 「艶歌の竜」と呼ばれるレコードプロデューサーを主人公とした小説「海峡物語」が芦田伸介主演でドラマ化され、劇中で歌われた。「無名だが実力のある歌手に歌ってほしい」という五木の希望で冠が抜擢され、冠はこの歌で世に出た。詞もメロディーも男のさすらい願望をかきたてる。

 この歌は大正演歌の「流浪の旅」(宮島郁芳・後藤紫雲)によく似ている。最初聴いた時は五木が新しい詞をつけてリバイバルしたのかと思ったほどだ。しかし盗作騒ぎなどは起きなかったようだから、やはり違う歌なのかな。「流浪の旅」は「きょうは函館、あしたは釧路」のところが

「北はシベリア、南はジャバよ」になっている。

 「燃える秋」(53年・武満徹・ハイ・ファイ・セット)〽燃える秋 揺れる 愛のこころ ひとは出逢い ともに生きていく

 五木の小説を原作とした真野響子主演の映画「燃える秋」のテーマソング。多くの名作映画の音楽を手掛けた武満が美しいメロディーをつけて透明感のある洒落た曲になっている。

 「愛の水中花」(54年・小松原まさし・松坂慶子)〽これも愛 あれも愛 たぶん愛 きっと愛

 五木原作のテレビドラマ「水中花」の主題歌で主演した松坂が網タイツ姿で歌って世の男性たちの目をくぎ付けにした。今はおばさんになってしまったが、あの頃の松坂は本当に綺麗だった。

 「織江の唄」(56年・山崎ハコ作曲・歌)〽遠賀川 土手の向こうにボタ山の 三つ並んで 見えとらす 信ちゃん 信介しゃん

 五木が44年から書き続けている大河小説「青春の門」は、早稲田の大先輩尾崎士郎の「人生劇場」を意識した作品で、九州筑豊に生まれた伊吹信介の青春遍歴を描いている。何度も映画・ドラマ化されているが、これは57年の東映映画「青春の門・自立篇」の主題歌としてつくられた。この映画では信介を佐藤浩市、その幼馴染で信介を慕う織江を杉田かおるが演じている。

 歌詞は翌日から小倉の夜の蝶になる織江が信介に語りかける形をとっていて、筑豊の地名や方言が随所に出てくる。それを山崎がギターを弾きながら織江の心情を切々としみじみと歌う。山崎は筑豊から南へ山一つ越えた大分県日田の生まれだ。

 五木の小説に基づく歌としては、このほか「海を見ていたジョニー」(42年・叶弦大・渡哲也)、「青年は荒野をめざす」(43年・加藤和彦・ザ・フォーク・クルセイダーズ)、「四季・奈津子」(55年・笠井幹男・チェリッシュ)など、小説と関係ない歌では「女人高野」(平成14年・幸耕平・田川寿美)などがある。

 五木は平成17年から現在までNHKの「ラジオ深夜便」で歌にまつわる想い出や感想を語って聴く人を惹きつけている。この番組の中で紹介される「深夜便の歌」でもヒット曲が生まれている。

 「夜のララバイ」(平成18年・弦哲也・藤田まこと)〽優しいと いう字を 人を憂うと読んでみる いつも そのこと 思うたび つらい気持ちに なってくる

 「夜明けのメロディー」(平成22年・弦哲也・ペギー葉山)〽朝の光が さしこむ前に 目覚めて 孤独な 時間が過ぎる あの友は あの夢は 今はいずこに 

 五木さんには一度、講演をお願いしたことがある。五木さんはコート姿で現れた。コートには少し早い季節だったが、とてもよく似合っていた。帰りに「駅まで車でお送りします」と申し出ると「いや、ぶらぶら歩いていきますよ」と言ってコートの裾をなびかせながら夕暮れの街に消えていった。                                                       (黒頭巾)

 

 

 

 

 

 

近年は小説「親鸞」など仏教や人生論に関する著述が多い。

 

◎九月の雨は冷たくて

 松本隆は昭和24年、東京・青山生まれ。本人が「風街」と呼ぶ渋谷、乃木坂、麻布、六本木あたりをホームグラウンドとして育った根っからのシティボーイだ。慶応の中等部、高校を卒業し大学の商学部に進んだが中退、音楽に夢中で勉強どころではなかったのだろう。45年に細野晴臣、大瀧詠一、鈴木茂とバンド「はっぴいえんど」を結成した。しかし二年後に解散、そのころ妻が妊娠したため生活のために作詞の道に入る。49年にアグネス・チャンの「ポケットいっぱいの秘密」(穂口雄右作曲)がヒットして注目される。

 48年にチューリップに提供した「夏色のおもいで」(財津和夫作曲)が既に大ヒットメーカーだった筒美京平の目にとまる。筒美は松本を自宅に呼んで「素晴らしい」と絶賛、ここに二人の黄金コンビが誕生する。

 「木綿のハンカチーフ」(50年・筒美京平・太田裕美歌)〽恋人よ ぼくは旅立つ 東へと向かう列車で はなやいだ街で 君への贈りもの 探す 探すつもりだ いいえ あなた 私は 欲しいものはないのよ ただ都会の絵の具に 染まらないで帰って 染まらないで帰って

 東京へ出て行った男と故郷に残った女。次第に離れていく二人の心を手紙のやりとりの形式で女性が歌うという新機軸。松本はこんな長ったらしい詞に曲をつけるのは難しいだろうと思っていたら筒美が素晴らしいメロディーをつけたので脱帽したという。大ヒットし太田をスターダムに押し上げた。知り合いの女性がこの歌が大好きだったので私も覚えた。いかにも女性が好きそうな歌。

 昔は地方に住む人間にとって東京は遥か遠かった。その後、経済の成長にともなって距離はどんどん狭まっていったけど、それでもやはり遠い。いまでも地方出身者が東京で暮らしていくのは大変だ。この歌の男性もその後、故郷へ舞い戻っているかもしれない。その時はすでに遅し、女性はほかの男性と結婚しているかも。

 「九月の雨」(52年・同)〽車のワイパー透かして見えた 都会にうず巻くイリュミネーション くちびる噛みしめタクシーの中で あなたの住所をポツリと告げた Septembaer rain rain 九月の雨は冷たくて september rain rain 想い出にさえ沁みている

 おじさんには難しくて歌えないが、九月という季節感が漂っていて気に入っている。確かに九月の雨は冷たくて優しい。松本も自分の作品の中で二番目に好きな曲として挙げている。アイドル歌手の秋の歌では南沙織の「色づく街」もいい。

 松本・筒美コンビはこの後も中原理恵の「東京ららばい」(53年)、桑名正博の「セクシーバイオレット№1」(54年)、近藤真彦の「スニーカーぶる~す」(同)など次々とヒットを飛ばす。

 その後は筒美以外の作曲家とも組んで、松田聖子の「風立ちぬ」(56年・大瀧詠一)、「赤いスイートピー」(57年・呉田軽穂)、「渚のバルコニー」(同)や寺尾聰の「ルビーの指輪」(56年・寺尾聰)、森進一の「冬のリヴィエラ」(57年・大瀧詠一)などを大ヒットさせ、昭和50年代の歌謡界をリードした。昨年、作詞活動50周年を迎えた。

 売野雅勇は昭和26年、栃木県足利市生まれ。上智大学文学部を卒業後、阿久悠と同じように広告代理店のコピーライターから作詞家に転じる。57年に中森明菜の「少女A」の大ヒットで売れっ子作詞家の仲間入りを果たす。

 59年には作曲家芹澤廣明と組んでチェッカーズのヒット曲「涙のリクエスト」、「星屑のステージ」、「ジュリアに傷心」を連発する。

 「六本木純情派」(61年・吉実明宏・荻野目洋子)〽You,ve broken my heart 雨の高速で クルマ飛び出したの Parkinng Area Just get down the night 街のピンナップボーイが 飽きもせず傘さしかけるわ 優しくしないで 振り向いたら泣き出しそうなの Who are you 迷子たちの六本木 胸のすき間涙でうめてる

 アン・ルイスの「六本木心中」と並んで六本木の雰囲気を感じさせる、いい歌だ。荻野目は結婚後のほうが魅力的だ。

 「京都去りがたし」(63年・森進一作曲、歌)〽比叡おろしの吹く夕暮れは 仕方ないほど あゝ淋しくて ヒュルル ヒュルルと背中で泣いて 哀しい人のささやきになる 貧しい女やから あなた待つしかよう知らん 京都 京都 あゝ去りがたし

 売野には珍しい歌謡曲で私の好きな歌。カラオケでも歌っていた。別れた恋人がひょっとしたら戻ってくるかもしれないと京都を去ることができずに産寧坂の部屋で待つ女の心情。祇園祭の宵山の夜に鉦の音を素肌で聴いた想い出。外は冷たい比叡おろしが吹いている。京都の風情が感じられる。森進一がよくぞつくった。                                (黒頭巾)

 

◎夜の新宿 裏通り

 悠木圭子は昭和11年、山口県防府市の生まれ。16歳で映画界に入り、大映のち東映で中堅女優として活躍した。芸名は藤田佳子。しっとりした色気がある、なかなか感じのいい女優さんだった。

 最初の夫はヒット曲「哀愁の街に霧が降る」(昭和31年・佐伯孝夫作曲・吉田正作曲)を歌った美男俳優の山田真二。この歌は我々の世代には忘れがたい名曲だ。山田と離婚したあと現在の夫である作曲家の鈴木淳と再婚、48年に夫婦でつくった八代亜紀の「なみだ恋」が大ヒットしたのをきっかけに作詞家に転じた。

 ちなみに鈴木の前妻は作詞家の有馬三恵子で、この夫婦コンビは伊東ゆかりの「小指の想い出」(42年)、小川知子の「初恋のひと」(44年)などをヒットさせている。

 〽夜の新宿 裏通り 肩を寄せあう 通り雨 誰を恨んで 濡れるのか 逢えばせつない 別れがつらい しのび逢う恋 なみだ恋

 46年にデビューしたもののヒット曲が出なかった八代は二年後、4枚目のシングルのこの歌のヒットで大歌手への道を歩み始めた。女心のせつなさを素直に表現した詞と歌いやすいメロディーが受けた。初はB面だったので八代もサラリと歌っている。それがかえって良かった。

 この後も夫妻でつくった八代の歌が次々とヒットする。いずれも女心を歌った曲だ。

 「貴方につくします」(50年)〽雨に打たれて 消えるなら 過去(むかし)の私を 流したい あげるものなど 何も無いけれど こんな私で よかったら ああ あなたひとすじ 尽くします

 「ともしび」(同)〽あなたの命の ともしびが もうすぐ消えると 聞かされた ああ 編みかけのカーディガン

 悠木は13歳の田川寿美を発掘し、演歌歌手として大成させたことでも知られる。最近の写真を見るとご夫妻ともすっかり品のいいおじいちゃん、おばあちゃんになっている。

 前述のように「なみだ恋」はB面発売で、その時のA面は二条冬詩夫作詞、鈴木淳作曲の「雨のカフェテラス」だった。これもいい歌だったが、B面のヒットの陰にかくれてしまった。しかし、その4年後の52年に二条作詞の八代の歌が大ヒットする。

 「おんな港町」(伊藤雪彦作曲)〽おんな港町 どうしてこんなに 夜明けが早いのさ それじゃ さよならと 海猫みたいに 男がつぶやいた 別れことばが あまりにもはかなくて 忘れたいのに 忘れられない せつない恋よ おんな港町 別れの涙は 誰にもわからない

 前年に発売された「もう一度逢いたい」(山口洋子・野崎真一)が長距離トラックの運転手から「運転してる時に聴くと、すごくいいんだ」との声が寄せられるなど好評だったので、同じ路線のこの曲がつくられた。去っていった男を想う女心の切なさを歌った曲だが、湿っぽくなくて波止場女の心意気が感じられる。リズム感があって特にイントロがいい。聴いても歌ってもいい気分になってくる。歌謡曲に縁のない友人がこの曲だけは気に入っているのも分かる気がする。                                        (黒頭巾)