先日の面談で、子どもの話を聞きました。


クラスで卒業式の相談をしているときの話。

あっちゃんは、

「なにかやらかしたい!」と思ったそうです。

(笑いをとりたい、らしいです)

一生に一度の小学校卒業式。

そんな想い出の卒業式を、さらに想い出深いものにしたい。

思い残すことの無い、最後を飾りたい。

そんな気持ちだったのかと思います。


でもね、却下されました。

卒業式は卒業証書の授与式。厳粛な場。

先生も、クラスのみんなも、それはちょっと…って。


でも、先生はあっちゃんに時間をくれたんです。

あした、5分の時間をあげるから、

みんなの前で自分の想いを話して、

みんなを説得できたらそれをやってもいいと。

それでもできなければ、引かなくてはいけないと。


次の日、あっちゃんは、紙に想いを書いていって、

みんなの前で話したそうです。

でもね、やっぱり、みんなの賛成を得ることはできなくて、

まだまだ納得はできないながらも、

出来なければ引くと、約束だったから、

涙をぽろぽろ流しながら、引き下がったようです。


私はそれを聞いて、涙がでてきました。

先生はそれを見て、

「なんでお母さん、泣くんですか?!」って(笑)

先生には、私の想いはわからなかったんですね。


わたし、感動しちゃって。

先生が、頭っから却下せずに、時間をくださったこと。

それが本当にありがたいと思った。

そして、子どもが成長するであろう出来事を垣間みたこと。

彼の想いがすごく伝わってきて、

胸が熱くなったんです。


誰も、自分に賛成してくれてない状況で、

その自分の想いを曲げることなく、

人になんて思われるだろうか?よりも、

自分の想いを大切にできたこと。

チャレンジできたこと。

思い通りにはいかなかったけど、

本人は苦しい体験だったかもしれないけど、

前回のブログの「苦しみ」の通り、

その体験が彼の糧になったと思うんです。

素晴らしい体験ができたって。


こうやって、親の見ていない所で、

人と関わりながら、頭も打ちながら、

でも、一生懸命に生きてて、学んでる。


前はね、子どもが笑顔でいることを望んでたの。

でも今は、そうじゃない。

どんな姿も、生きることに向き合ってる姿なんだなって、

体験している姿、学んでる姿なんだなって、

やっぱりすべてが肯定される。


彼は独特の世界観をもっている。

だから、今の世の中生きにくいかもしれない。

でもその分、沢山の宝物を得ていくんだと思う。

何があっても、ただ、見守っているから。

産まれてきてやりたかったこと。

そのすべてを体験してほしい。


どんな体験も、素晴らしいものだから。












あっちゃん ラブラブ
「すべては体験したかった」

この一言で、すべてが肯定されてしまった。


失敗したと思っていた過去も、

苦しんだ過去も、

消し去りたい過去も、

すべてすべて、

私の魂さんが体験したかったことだとわかったら、

すべてが必要で、望んでいたことだったんだとわかったら、

すべての過去が、宝物になってしまった。

過去は変わる。


失敗なんてなくて、

何一つ無駄なものなんてなくて、

すべてが喜びだった。


いつから、「苦しみ」が悪になったんでしょうか?

幸せや、夢や希望、心地よさ、嬉しい、楽しい

そんなポジティブな想いが肯定されて、

その逆の苦しみが伴う感情は否定されて、

それを感じることが良くないことだと、

だから、そんな感情を感じてる自分はダメなんだって、

変えよう、排除しようとする。

本当にそうなんでしょうか?


もし、苦しむことを肯定できたら、

ただその体験をしたかったんだと気づいたら、

魂さんが感じたいと望んでいたとわかったら、

苦しむことが、喜びになる。


まるで、オセロのコマをどんどんひっくり返すように、

出来事は何も変わらないのに、

それに付随する想いや見方が変わっていく。


すべてが肯定されたとき、

自分によって認めることができたとき、

オールオッケーになったとき、

解き放たれた感覚と、ものすごい安堵感。

そして、こみ上げてくる喜びと感謝の想い。


過去が変わると、今も、未来も変わるんだね。

生きてることが感慨深いです ラブラブしょぼんラブラブ


ピンチピンチ♪

チャンスチャンス♪

らんらんらんっ♪

(ぴちぴち、ちゃぷちゃぷ、らんらんらん♪のメロディです)


昨日、私の話を聞いて、こんな歌を教えて下さいました。

歌ってみると、笑えます(笑)

そしてなんか、いい意味で肩の力抜けます。


最近は、怒濤のごとく、やってくるんです。

まるで、水の入ったコップをゆすって、

下に溜まってた沈殿物が浮かび上がってくるように。


ベルトコンベアー式に、

気づいて、なくなり、はい、また次~みたいな。


ひとつ、なくなるたびに、

またひとつ歪みの無い私に戻っていく。

そして、生きやすくなる。

生きてたら、また歪みも作ってしまう。

そして、またそれをとることになる。

それは尽きない。


そうして、生きてる間、いろんなことがやってくるんだなって。

もう、それ自体を楽しむのもひとつなんだなって。


ほんとにさー、

私も、人としゃべってる時は元気だったりするけど、

ひとりでいてると、落ち込んだり、

しんどいな~、やる気無いな~って、疲れてたり、

どうしたらいいんだろ~?って悩んでたり、

不安も、悲しみも、もやもやも感じてて。

でも、それとは反対に

すっごく楽しかったり、気持ちよかったり、

うれしくなったり♡を感じる時もあって。


いろいろ体験してきたけど、

ふりかえってみても、

いつだって、支えてくれる人、応援してくれる人、

助けてくれる人、励ましてくれる人、味方になってくれる人、

絶え間なく、いてくれる。


それを想うと、胸がいっぱいになって、

ありがたいって気持ちが溢れてくる。

今日も朝から、

うわー、めっちゃありがたいやん~

うわー、めっちゃ溢れてくる~♡♡♡

って感じで、この気持ちを表現したくて書いてます。


どんな出来事も、

私の歪みをとってくれるもので、

その後の快感と整体を想うと、

なんかやってきても、

最初のあの歌、ピンチピンチ♪…って、

そんな気持ちになれちゃうかなって。


生きるって、シンプルで奥が深いんだな~って想います。

$麻心 -macocoro-
ひと壁去って、またひと壁…(苦笑)

朝から、ぎゃーーーーと吠えてました。

腹立つーーーー!

ゆるせなーーーい!

なんかまた来たーーー!(笑)

そうだ!こういう時こそ、セルフマッピング。

朝から紙とえんぴつを前に、

自分に質問して書き出してみました。


ほうほう…、なるほど…、そうかそうか…、

おお!!そういうことか!!

と、辿り着いて眺めてみると、

そこにはせめぎあいが存在しました。


自分の中にある葛藤を発見しました。


認めることができないのに

 →認めなきゃいけないと思っている。

変えられないものは変えられない、無理なものは無理

 →でもそのままでいいとは思っていない。変えなきゃ!

やりたいことだけをやることは幸せ、やりたくないことはやらない

 →やりたくなくてもやらなきゃいけないこともある。

  やるべきことができないのはダメな人間だと思っている。


自分自身がね、認めてないんですよ、自分のこと。

でも、認めなきゃいけないって思ってて、

認められてない自分のこと、許してないんです。

だから、周りで、認めてない人を見ると、

腹が立つんです。

そう、自分に腹がたってたんですね。


私に必要なのは、

「認めることができない自分を、認めて許す」

なんだと思います。

自分を許すことで、受け入れてない、認めていない人を、

許すことが出来る。


どんな出来事も、自分の心の投影でしかないって、

ほんとにそうなんだと思う。

私が腹を立てた相手を、私は許せない!と思った。

でも、相手が悪い、相手が私に腹を立たせた、とは思わなくて、

やっぱり私は自分の内側をみてしまう。

何が投影されてるの?

それが、今回はするりと浮かんできて、

あ~、私自身のことなんだって、心底思った。

その後に、

自分に聞いてみた。

まだ腹立ってる?許せない?

なんのわだかまりもなくって、

あまりに綺麗に消えているので、びっくりした。


認めることは大事。

でも、認めなければいけない、になると、

そこには苦しみが出てくる。

だって、そう簡単に認められるわけじゃないから。

そんな、できない自分も許してあげることが大事。


このままの自分でもいいんだけどね、

でも、気づいて、変化した自分は、

まるで歪んでいた身体が整体になるように、

ひとつ気づけば、ひとつ歪みが元に戻って、

ある意味、本来の、そのままの自分になっていけるのかなって。

歪んだ自分も、愛すべき自分にかわりない。

でも、歪みの無い本来のそのままの自分。

この姿が、1番楽に生きていける姿なのかなと思う。


今、ふと浮かんできた、アナカーディアム。

ホメオパシーのレメディだ。

検索したら、これ、どんぴしゃ!(笑)

二つの自己ね。とってみよ~っと。


またひとつ、ありのままの自分に近づいたかな~。

せめぎあいも愛なんだな~(笑)
以前から気になっていたことが、

昨日、目の前に壁となって現れました。


壁が立ちはだかると、

嫌な気持ちになったり、

胸がもやもやしたり、

落ち込んだり、

ぐるぐる考えたり…


そんな状況はしんどいので、

逃げたくなるものです。

できれば避けたい、でもやってきた、あーどうしよう~


さらに悪いことには、

そんな自分にダメ出ししはじめます。

私なにやってんだー、まだまだじゃないかー。


でも、この出来事も、壁も、

私に何か気づいて欲しくて、

教えてくれようとしてるって、思わずにはいられない。

そして、それが知りたくてたまらない。


今回は、人と話をすることで、見えてくるものがありました。

自分が思っていることを語ることで、

整理されて、ぼんやりと浮き彫りになってくる。

そして、ふと目にしたものから、

その答えをもらいました。


昔、壁が現れたら、

乗り越えたらいいのか?

それとも迂回したらいいのか?

なんてことを考えていたことがあります。

でも、どちらでもない場合がある。

その壁の正体がわかれば、

その壁は消えてしまうということ。


「自分の中に答えはある」

この言葉、何度耳にしたことか。

でも、視点を変えたこの言葉。

「その人の答えは、その人の中にある」

わかっているようで、わかってなかったなと思う。

自分がされたくないことを、自分はしていたなと思う。


壁が現れたからこそ、立ち止まって、振り返ることも出来る。

そのままの自分でいいんだけどね、

なにも間違ってなんてないんだけどね。

よりそのままの私でいるために、

より和を持って楽に生きれるように、

身にまとっているものを、

そっとはずすことが必要だったのかもしれないね。


壁も愛なんだな~。ありがとぉ~。