久々の更新です。
約2週間ほど中国に滞在して、今週の月曜日に帰国しました。
火曜日に会社に行くと、懐かしい人が机に座っていました。
その人は、ある事情で会社を休んでいて2か月ぶりに先週から出社していたとのことです。
まあ、普通に会話して「休む前よりだいぶ回復したな」って思っていて、安心しました。昼食時もとりとめのない話をしてお互い笑ったりしてひと時を過ごせる状態でした。
水曜日も同じようにとりとめのない話をして、その人は帰宅しました。
木曜日に出社したときに、机に座っていなかったので今日は休みなのかな?って思って普通に仕事をしてました。
そして突然、悲報が飛び込んできました。何が何だかわからないまま、その現実を受け入れましたが、いまだに実感がありません。
本日がお通夜で明日が告別式です。たぶんお通夜でその事実を現実として実感してしまうと思います。
その人とは、1993年に出会いました。私が関東での転勤が終了し戻ってきた職場にその人がいました。
そして同じ仕事をするようになり、お互い冗談を言い合えるような関係になり、私にとって一番親しい会社の人になっていました。
その後、その人は大阪へと転勤するのですが、その間も連絡してました。当然同じ会社ですから社内電話で!
その人の転勤が終了して、戻ってきたときに偶然にもまた同じ職場になりました。その時は、同じ課でもグループが違っていましたが、数年後には同じグループとなりました。
その人はグループリーダ→課長→部長へと昇進していきましたが、気取ることなく普通に接してくれていました。
私は×1で子供がいたのですが、近所に住んでいたこと、その人の子供は、私の子供の1学年上と下にいたこともあり、学校行事でも一緒に行動してました。
その子供たちは偶然にも同じ高校に進学し、そして学部は違いますが大学まで同じ大学に進学しました。
そのためいろいろとアドバイスをもらっていました。
また、ゴルフを始めた時に私も誘ってくれて、一緒にゴルフをしたり練習に行ったりと会社だけでの付き合いだけではなく、公私ともに親しくしてました。
私が再婚した時もとても喜んでくれて、妻に「ありがとう」って意味不明のことを言ってました。私のことを本当に心配してくれていました。
その人の部下になったときに、ある職級まであげてねって冗談半分で言ったときに「もっと上の職級を目指してほしい」って言ってくれました。
私は、×1で子供を育てていたため、出張に行けない、残業はできないってことから、そういう部分はあきらめていたのですが、それでもそう言ってくれました。
そして、現在私が言った職級になっています。あるときその人の部下になる前に私の成績が悪かったらしく、職級が上がらなかったときがあったのですが、その時もその人は全然悪くないのに「ごめんな」って謝ってきました。
なぜ職級が上がらなかったのかも説明してくれましたが、私の過去の成績が悪いのが原因でした。その人はその年の私の成績はすごく評価してくれた成績にしていたので、何も悪くないんですけどね。
そんないい人でした。
偉くなっても責任を部下に押し付けることなく、自分で背負い込む人でした。そのくせ、部下の前では平気な顔で冗談を言ったりしてました。
昨年から私は別の課に異動してしまい、部下ではなくなりました。ちょうど一年前からいろいろと問題が発生して、少しづつ元気がなくなってきていました。
その問題も3月にはひと段落ついたのですが、それでも元気になることはありませんでした。
悲報を聞いてから、悲しみを受け入れる余裕を与えてもらえないかのように仕事の電話や会議などが入り、それを忘れさせるかのように、仕事のことで頭を支配されていました。そのおかげで昨日まで乗り越えることができたのかなって思います。
今、このブログを書くことで、その人のことだけを考えれるようになって悲しみをかみしめています。いろいろと思い出されますが、やっぱり冗談を言ったりして笑っている姿が浮かんできます。
その人には笑顔が似合います。楽しいことをして笑っている姿が似合います。
また、一緒にゴルフがしたいし、お酒を飲んで馬鹿な話をして、一緒に仕事がしたいです。でももうそれはできません。
一緒に中国に出張しましょうって話したのに…。笑って「そうやね」って言ってくれたのに。
早すぎます。46歳で終わってしまうなんて。もうすぐ誕生日なのに。もう少しで子供に手がかからなくなるのに。そしたら頑張らなくてもいいのに。
今日、明日と現実を受け止めてみます。すでに今涙がほほを伝っています。
「今までありがとう」って「あなたに出会えて本当によかった」って伝えてきます。
天国でゆっくりと休んでください。ありがとうございました。
約2週間ほど中国に滞在して、今週の月曜日に帰国しました。
火曜日に会社に行くと、懐かしい人が机に座っていました。
その人は、ある事情で会社を休んでいて2か月ぶりに先週から出社していたとのことです。
まあ、普通に会話して「休む前よりだいぶ回復したな」って思っていて、安心しました。昼食時もとりとめのない話をしてお互い笑ったりしてひと時を過ごせる状態でした。
水曜日も同じようにとりとめのない話をして、その人は帰宅しました。
木曜日に出社したときに、机に座っていなかったので今日は休みなのかな?って思って普通に仕事をしてました。
そして突然、悲報が飛び込んできました。何が何だかわからないまま、その現実を受け入れましたが、いまだに実感がありません。
本日がお通夜で明日が告別式です。たぶんお通夜でその事実を現実として実感してしまうと思います。
その人とは、1993年に出会いました。私が関東での転勤が終了し戻ってきた職場にその人がいました。
そして同じ仕事をするようになり、お互い冗談を言い合えるような関係になり、私にとって一番親しい会社の人になっていました。
その後、その人は大阪へと転勤するのですが、その間も連絡してました。当然同じ会社ですから社内電話で!
その人の転勤が終了して、戻ってきたときに偶然にもまた同じ職場になりました。その時は、同じ課でもグループが違っていましたが、数年後には同じグループとなりました。
その人はグループリーダ→課長→部長へと昇進していきましたが、気取ることなく普通に接してくれていました。
私は×1で子供がいたのですが、近所に住んでいたこと、その人の子供は、私の子供の1学年上と下にいたこともあり、学校行事でも一緒に行動してました。
その子供たちは偶然にも同じ高校に進学し、そして学部は違いますが大学まで同じ大学に進学しました。
そのためいろいろとアドバイスをもらっていました。
また、ゴルフを始めた時に私も誘ってくれて、一緒にゴルフをしたり練習に行ったりと会社だけでの付き合いだけではなく、公私ともに親しくしてました。
私が再婚した時もとても喜んでくれて、妻に「ありがとう」って意味不明のことを言ってました。私のことを本当に心配してくれていました。
その人の部下になったときに、ある職級まであげてねって冗談半分で言ったときに「もっと上の職級を目指してほしい」って言ってくれました。
私は、×1で子供を育てていたため、出張に行けない、残業はできないってことから、そういう部分はあきらめていたのですが、それでもそう言ってくれました。
そして、現在私が言った職級になっています。あるときその人の部下になる前に私の成績が悪かったらしく、職級が上がらなかったときがあったのですが、その時もその人は全然悪くないのに「ごめんな」って謝ってきました。
なぜ職級が上がらなかったのかも説明してくれましたが、私の過去の成績が悪いのが原因でした。その人はその年の私の成績はすごく評価してくれた成績にしていたので、何も悪くないんですけどね。
そんないい人でした。
偉くなっても責任を部下に押し付けることなく、自分で背負い込む人でした。そのくせ、部下の前では平気な顔で冗談を言ったりしてました。
昨年から私は別の課に異動してしまい、部下ではなくなりました。ちょうど一年前からいろいろと問題が発生して、少しづつ元気がなくなってきていました。
その問題も3月にはひと段落ついたのですが、それでも元気になることはありませんでした。
悲報を聞いてから、悲しみを受け入れる余裕を与えてもらえないかのように仕事の電話や会議などが入り、それを忘れさせるかのように、仕事のことで頭を支配されていました。そのおかげで昨日まで乗り越えることができたのかなって思います。
今、このブログを書くことで、その人のことだけを考えれるようになって悲しみをかみしめています。いろいろと思い出されますが、やっぱり冗談を言ったりして笑っている姿が浮かんできます。
その人には笑顔が似合います。楽しいことをして笑っている姿が似合います。
また、一緒にゴルフがしたいし、お酒を飲んで馬鹿な話をして、一緒に仕事がしたいです。でももうそれはできません。
一緒に中国に出張しましょうって話したのに…。笑って「そうやね」って言ってくれたのに。
早すぎます。46歳で終わってしまうなんて。もうすぐ誕生日なのに。もう少しで子供に手がかからなくなるのに。そしたら頑張らなくてもいいのに。
今日、明日と現実を受け止めてみます。すでに今涙がほほを伝っています。
「今までありがとう」って「あなたに出会えて本当によかった」って伝えてきます。
天国でゆっくりと休んでください。ありがとうございました。