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マックムールのブログ

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東大阪のパチンコ店の日々の素顔が見れるブログだよ

            9月17日 モノレール開業記念日

 1964(昭和39)年のこの日、日本初の旅客用モノレールが浜松町~羽田空港間で開業しました。
 これを記念して、東京モノレールが記念日に制定しました。
 モノレールの開業は、東京オリンピック準備の一環だったそうです。
 当時は片道15分で250円でした。

 → 東京モノレール


他の記念日

キュートナーの日
 いつまでも若々しい「キュートな」大人を「キュートナー」と呼ぶことを提唱している作曲家・中村泰士が制定。
「キュー(9)ト(十)な(7)」の語呂合せ。

 → 中村泰士プロフィール

台風襲来の特異日
 統計上、台風襲来の回数が多い日。

ゆきです( ^ω^ )


この間


大妖怪展に行きました☆


ハルカスまで*\(^o^)/*
ウォッチッチ的なのから昔の画図百鬼夜行まで*\(^o^)/*

怖いのかな~
と思ってたんですけどコミカルな妖怪がほとんどでした(笑)
1番不思議だったのは、大妖怪展に土偶が展示されてた事です( ^ω^ )
 

                      9月16日 マッチの日

 1948(昭和23)年、配給制だったマッチの自由販売が認められました。
 日本のマッチは、フランスに留学していた清水誠が1875(明治8)年に東京で黄燐マッチを製造したことが始まりです。
 また、安全マッチ(マッチ箱の摩擦面に擦らないと発火しないマッチ)は、1879(明治12)年から製造し、翌年からは輸出するまでになっていました。


マッチに関する昔話
(アンデルセン童話 →詳細)
マッチ売りの少女
マッチ売りの少女
福娘童話集より

♪音声配信
TIME 5分53朗読 : せりーぬ
TIME 6分28朗読 : 柏山きな子

 むかしむかし、雪の降りしきる大みそかの晩。
 みすぼらしい服を着たマッチ売りの少女が、寒さにふるえながら一生懸命通る人によびかけていました。
「マッチは、いかが。マッチは、いかがですか。誰か、マッチを買ってください」
 でも、誰も立ち止まってくれません。
「お願い、一本でもいいんです。誰か、マッチを買ってください」
 今日はまだ、一本も売れていません。
 場所を変えようと、少女が歩きはじめた時です。
 目の前を一台の馬車(ばしゃ)が、走りぬけました。
 危ない!
 少女はあわててよけようとして雪の上に転んでしまい、そのはずみにくつを飛ばしてしまいました。
 お母さんのお古のくつで少女の足には大きすぎましたが、少女の持っているたった1つのくつなのです。
 少女はあちらこちら探しましたが、どうしても見つかりません。
 しかたなく、はだしのままで歩き出しました。

 冷たい雪の上を行くうちに、少女の足はぶどう色に変わっていきました。
 しばらく行くと、どこからか肉を焼くにおいがしてきました。
「ああ、いいにおい。・・・お腹がすいたなあー」
 でも少女は、帰ろうとしません。
 マッチが一本も売れないまま家に帰っても、お父さんはけっして家に入れてくれません。
 それどころか、
「この、役立たずめ!」
と、ひどくぶたれるのです。
 少女は寒さをさけるために、家と家との間に入ってしゃがみこみました。
 それでも、じんじんとこごえそうです。
「そうだわ、マッチをすって暖まろう」
 そう言って、一本のマッチを壁にすりつけました。
 シュッ。
 マッチの火は、とても暖かでした。
 少女はいつの間にか、勢いよく燃えるストーブの前にすわっているような気がしました。
「なんて、暖かいんだろう。・・・ああ、いい気持ち」
 少女がストーブに手をのばそうとしたとたん、マッチの火は消えて、ストーブもかき消すようになくなってしまいました。
 少女はまた、マッチをすってみました。
 あたりは、ぱあーっと明るくなり、光が壁をてらすと、まるで部屋の中にいるような気持ちになりました。
 部屋の中のテーブルには、ごちそうが並んでいます。
 不思議な事に湯気をたてたガチョウの丸焼きが、少女の方へ近づいて来るのです。
「うわっ、おいしそう」
 その時、すうっとマッチの火が消え、ごちそうも部屋も、あっという間になくなってしまいました。
 少女はがっかりして、もう一度マッチをすりました。
 すると、どうでしょう。
 光の中に、大きなクリスマスツリーが浮かびあがっていました。
 枝には数え切れないくらい、たくさんのロウソクが輝いています。
 思わず少女が近づくと、ツリーはふわっとなくなってしまいました。
 また、マッチの火が消えたのです。
 けれどもロウソクの光は消えずに、ゆっくりと空高くのぼっていきました。
 そしてそれが次々に、星になったのです。
 やがてその星の一つが、長い光の尾を引いて落ちてきました。
「あっ、今、誰かが死んだんだわ」
 少女は、死んだおばあさんの言葉を覚えていました。
『星が一つ落ちる時、一つのたましいが神さまのところへのぼっていくんだよ』
 少女は、やさしかったおばあさんの事を思い出しました。
「ああ、おばあさんに会いたいなー」
 少女はまた、マッチをすりました。
 ぱあーっとあたりが明るくなり、その光の中で大好きなおばあさんがほほえんでいました。
「おばあさん、わたしも連れてって。火が消えるといなくなるなんて、いやよ。・・・わたし、どこにも行くところがないの」
 少女はそう言いながら、残っているマッチを一本、また一本と、どんどん燃やし続けました。
 おばあさんは、そっとやさしく少女を抱きあげてくれました。
「わあーっ、おばあさんの体は、とっても暖かい」
 やがて二人は光に包まれて、空高くのぼっていきました。

マッチ売りの少女とおばあさん

 新年の朝、少女はほほえみながら死んでいました。
 集まった町の人々は、
「かわいそうに、マッチを燃やして暖まろうとしていたんだね」
と、言いました。
 少女がマッチの火でおばあさんに会い、天国へのぼった事など、誰も知りませんでした。

おしまい

他の記念日

競馬の日,日本中央競馬会発足記念日
 1954(昭和29)年、日本中央競馬会(JRA)が農林省(現在の農林水産省)の監督の下で発足しました。
 それまでは、農林省蓄産部が運営する国営競馬でした。

  → 日本中央競馬会

ハイビジョンの日
 通商産業省(現在の経済産業省)が制定。
 ハイビジョンの画面の縦横の比率が9:16であることから。
 この日とは別に、11月25日が郵政省(現在の総務省)とNHKが制定した「ハイビジョンの日」となっています。

 → 経済産業省

国際オゾン層保護デー
 1995(平成7)年の国連総会で「9月16日を国際オゾンデーとする」ことを決議。国際デーの一つ。
 1987(昭和62)年、「オゾン層を破壊する物質に関するモントリオール議定書」が採択されました。
 1999(平成11)年までにフロンガス等の消費量を半分にする方針が決定され、日本等24か国が議定書に調印しました。

                   9月15日 スカウトの日

 1974(昭和49)年に5月5日を含む日を「スカウト週間」として制定。
 1990(平成2)年に「スカウト奉仕の日」に改称して9月15日に変更し、翌1991年に「スカウトの日」に再度改称しました。
 奉仕活動を通じて地域社会へ貢献するとともに、ボーイスカウトの活動が地域社会に根ざした実践活動であることを広く社会にアピールする日。
 ボーイスカウトではこの日から新しい年度が始ります。

 → ボーイスカウト日本連盟


他の記念日

大阪寿司の日
 関西厚焼工業組合が制定。
 押し寿司などの大阪寿司は生魚を使わないことからお年寄りにも安全・安心であるとして、長らく「敬老の日」であったこの日を記念日としました。

 → 大阪寿司の日について

ひじきの日

 日本ひじき協議会が制定。
 「敬老の日」に因み、昔からひじきを食べると長生きをすると言われていることから。

 → 日本ひじき協議会

シルバーシート記念日
 1973(昭和48)年、東京・中央線の電車に初めて老人・身体障害者の優先席「シルバーシート」が設置されました。
 1997年に、「優先席」に改称されました。

 → JR東日本

老人の日
 この日が以前「敬老の日」であったため。
 国民の間に広く老人の福祉についての関心と理解を深めるとともに、老人に対し自らの生活の向上に努める意慾を促す日となりました。

シャウプ勧告の日
 1949(昭和24)年、シャウプ勧告が公表されました。
 シャウプ勧告とは、アメリカ・コロンビア大学のカール・シャウプ博士を団長とする税制調査団による税制改革案で、戦後の税制の基礎となりました。

おはようございます。河本です。

 

大谷翔平選手が163キロから164キロに日本最速記録を更新しました。

年々、最速記録を更新しているのでこれからも楽しみです。

 

ちなみに人類最速記録はチャップマン選手の171キロなので

 

いつの日か最速記録を破ってほしいです。