子宮、卵巣に関しては、高校の頃から生理痛やPMSに苦しめられてきた。痛みとはとにかく長い付き合いでもある。
だから、あの時妊娠をした時は本当に嬉しかった。子供を授かったことより、自分が妊娠できる身体だと分かったことが嬉しかった。
そんなだから、そんな事だから、
バチがあったった。
当然ながらなのかもしれない。
授かった命は私を選んではくれなかった。
それからしばらくは、それまでの自分の諸行を深く恥じ、反省し、攻め続けた。
誰にも言えなかった。
だから、心が壊れた。
そして、全てを壊してしまった。
家族や友人すら信じられず、世界の終わりを祈ろほどになりさがった。
どうすれば誰にも迷惑を掛けず、悲しませずに全てを終わらせられないかと。毎日毎日毎日、ただただ自身の存在の無用、不用、ゴミに等しく、いや、それ以下であると思い知らされ続けた。朝が来るたび、日の光を恨み、日が暮れ、月夜を見上げては恨めしく、長い間、深い深い暗黒に飲み込まれ、その底辺で苦悩のその先に落ちた。
あの苦しみを二度と繰り返したくない。
だから、ミギーの時は、俄然に気丈に振る舞った。不妊治療するかどうか?と考え始めていた矢先のことだったこともあり、これで諦める訳にはいかなかった。
それに…
強くなった自分を奴に見せつけてやりたかった。
支えてくる人々の温かさを一心に感じ、それを力に常に顔を上げ、前を、その先に目を向けることに集中した。
その先に、母親になる、家族を作るというキラキラした夢があったから。
しかし、夢は儚く、事実と現実をもとに儚く消えた。
術後の不妊治療も卵巣に負担をかけ、入院する始末。よく調べれば、70%の確率で遺伝してしまう事実。
妊娠すらもうできなければ、万が一産めてもその命に大きなリスクを引き継ぐなんて…
残酷すぎる現実だった。
そんな時に出会ったのが、山本先生だった。妊娠について相談したところ、やんわりと一言。
子供のいない人生も悪くはないんじゃないかな。と。
なんとか自分に折り合いをつけなければならなかった私にはとても有難い言葉だったと、今は思う。
とは言え、相変わらずのPMSと生理痛は治ることはないんだ。その機能すらもう無いというのに。不公平で不条理であること底知れないと怒りすら湧いてくる。
がしかし、このまま痛みと不調と生きるにはあまりに酷い話だと思い直し、そこから3年、漢方と導入剤の処方とピルの一種の装着をしたので、そのチェックに通院し続けていた。
だからではないが、いつか傷んでなんかしらある気はしていた。
そもそも婦人科系の部位がポンコツであることは、言うまでもない。
ただこのタイミングかと…
新しいチャレンジを決めた。
本社への異動は、私にとっては遅かれ早かれの道であるとは常々考えてはいた。
まだもう少しもつと思ってたのだか…
無理が祟ったと自覚はある。
だからこそ。
今回は思いの外、しんどい。
予想外に心がざわつき、不安があの闇へと誘う。
またこれも何かしらの制裁なのか?
奢っていたのか?
勘違いしていたのか?
まだ私に試練を与えるのか?
越えられない壁は…
もういい聞かせ飽きた…
ネガティブな思いと息苦しい程の不安に押しつぶされそうになる。
まだまだ初期の初期で大したことはないと言われたが、
そうゆうことではないのだ。
なんだか
ほんとに
つくづく
己で歩んできた道の浅はかさと道のりの惨めさに
疲れたんだな