2021年3月18日 (木)第2回福島酒援ライブ~デーモン閣下、アトミック・プードル、田川ヒロアキ他
この記事↑(閣下がゲスト出演なさった配信ライヴのレポート)を目当てに読みに行ったマーシャルブログ。
このエントリの少し前の記事にSHOW-YAのライブレポがあったので、なんとなーく読んでいたら、「デーモン閣下」というフレーズ発見!
2021年3月11日 (木) SHOW-YA『HARD WAY TOUR 1991 in武道館 AGAIN』<後編>
2021年3月18日 (木)第2回福島酒援ライブ~デーモン閣下、アトミック・プードル、田川ヒロアキ他
この記事↑(閣下がゲスト出演なさった配信ライヴのレポート)を目当てに読みに行ったマーシャルブログ。
このエントリの少し前の記事にSHOW-YAのライブレポがあったので、なんとなーく読んでいたら、「デーモン閣下」というフレーズ発見!
2021年3月11日 (木) SHOW-YA『HARD WAY TOUR 1991 in武道館 AGAIN』<後編>
福島県と宮城県で最大震度6強が観測された2月13日(土曜日)深夜の福島県沖地震から、まる一週間が経った。
福島県内では住宅全壊が21棟、半壊が32棟、一部破損が2,757棟もあったそうで(県がまとめた被害状況…福島民報のwebサイトより)、
東北新幹線は今日(21日)現在も那須塩原駅と一ノ関駅の間で運休していて、24日に全面開通をした後も一か月くらいは通常ダイヤの3分の2くらいしか運行できないみたいで、とても大きな被害だったとわかる。
そんななか私は―-といえば、地震翌日のガクッと気落ちした状況からは徐々に脱している(という感じ)。
私が悶々とした気持ちを綴った一つ前のエントリを投稿したあと、その数時間後に更新された閣下のWebROCKには、被災した人たちへのお見舞いと来場者への慰労の詞に加えて、私達のように当日の観覧を果たせずに落ち込んだファンを慰めるような温かい御詞もあり、
ファンからの心配の声に応える形で、ご自身や他の演者・スタッフが陸路はるばる帰還したこともサラっと伝えるとともに
(ついでに?!)一噌幸弘氏のCDデビュー30周年記念アルバムの紹介もアリ、(つい購入予約してしまった)
短い文章ながら、とても勇気づけられた。
自分はいちおう(それなりに)健康に生きているのだし、小さいながらも日々楽しいことを見つけることができている。 そして何より、現在すでに「日程が定まって席も確保できている公演のチケット」も何種類か手元にある。 何はともあれ、心身共に良好なコンディションで、その日を無事に迎えられるように、毎日坦々と暮らしていこう…と思う。
吐き出してスッキリしたいだけのエントリ。
過去にもチケットを取っていたのに観覧を諦めざるを得なかった公演はいくつもある。
実父の四十九日の法要(納骨)と日程が重なってしまった「一噌幸弘の能楽堂へ行こう2017・第3弾『幽玄悪魔 其之参~獅子團乱旋』(国立能楽堂)」もその一つだった。この時は、「お代はいいから席を埋めて&できれば楽しんで来て」と、ルークさんファンのお仲魔さんにチケットを託したところ非常に喜んで&楽しんでくれて、自分は行けなかったけど、今回ほどには心が乱れることはなかった。
コロナ禍の昨年は、数えたくないほど延期や中止・払戻しを経験したけど、最初に中止を喰らった大野城まどかぴあの「能舞音楽劇 義経記」以外は、「またか」「これもか」「もう仕方ない」と淡々と払戻し手続きをこなしていった記憶だけが残っている。
けれど本番当日のわずか3日前に中止が決まった昨年2月29日の義経記だけは、ほとんどトラウマといっていいくらい大きな心の傷跡になっていて、今も思い出すと胸が苦しくなる、その時はチケット代も宿泊・交通費も全額戻ってきて実損は無かったにもかかわわらず。
(再設定された今回の2月11日の公演も、普段の普通の自分なら「絶対行きたい!」と思うところ。初めて仮設能舞台を使っての演出、
開演時刻が1時間早められていて、その気になれば日帰りも可能…。でも色々考えてしまって手が出せなかった。)
そんな公演中止があった1か月半後に開催決定が発表された一関文化センターでの「義経記」は、私自身にとって、一昨年12月の埼玉県小川町以来1年2か月振りの鑑賞となったはず…。チケットは昨年10月末には既に手元に届いており、一緒に送られてきたチラシと共に時々取り出してみては、思いを馳せる日々を約3か月半過ごしていた。大袈裟な表現じゃなく、本当に心待ちにしてた。
それなのに…。こんなにも心が千々に乱れることになろうとは。
前夜の大地震、幸い…というべきか、ウチの建物の揺れは全然酷くなかった。電気もガスも止まらず、モノが落ちるでもなく、緊急地震速報のアラームも私と娘のスマートフォンには飛んでこなかった。だから私なんて、その地震の揺れ自体に気が付かなかったほど…。翌朝確認した自宅付近の震度は3だった。オットは「ワタシのスマートフォンには通知来てたよ」と。
(理由は機種のせいではなくて多分コレ↓だろう。)
https://weathernews.jp/s/topics/202102/140025/
ちょうど揺れがあったその時刻は、翌日に迫った日帰り遠征のことを考えながら、湯船に浸かってスマートフォンで列車の座席を確認したりしていたから寝てたワケじゃない…と思う…けど、浴室には、とあるゆったりした雅楽の曲を防水スピーカーで流していたから、ふと意識が飛んでいたのかもしれない。
翌朝、仕事の有る平日より少々遅めの時刻に目が覚めて、そろそろ準備を始めようとしていたところに閣下のWebROCK更新のお知らせあり。会場近辺にはあまり被害がなさそうなことが分かったので、そのときはまだ、早めに出掛ければ現地にいけるんじゃないかと思っていた。前夜の地震直後には「能舞音楽劇 義経記」の座長・上妻宏光さんとスタッフさんのtwitter公式アカウントから「かなり揺れました」とのご発言があったけど、短い文章の様子から「現地はそれほど大きな被害がなさそう」という雰囲気も感じていたので…。
大きな揺れが起きたのが日付の変わる40分ほど前で、既に就寝していた人も多かっただろうし、広範囲で停電も起きていたそうで、暗い中での被害状況確認はなかなか進まなかっただろう、というのは想像に難くない。
揺れの大きかった地域の被害の全貌は…夜が明けてもまだハッキリしないことも多くて、身支度しつつ7時台前半のテレビのチャンネルを回してもWEBのニュースサイトを巡って見ても、東京から岩手県方面に向かうための交通情報としては「道路が通行止めになってる箇所が複数ある」ということと「東北新幹線は那須塩原~盛岡間で始発から運転を見合わせている」ということくらいしか流れてこなかった。
混乱した状況の中ではテレビニュースもwebの情報も実際の事実とは異なる場合があるし、正確な情報であっても現場とのタイムラグはあるものだし、朝7時台にはテレビニュースで「不確かだけど那須塩原から先へも午後には運転再開する(かも知れない)」という情報が流れた瞬間もあった。 だから、同じ列車に乗って現地で落ち合う(隣の席で観覧する)予定だったお仲魔さんと「もしかしたら時間はかかっても現地に辿り漬けるかもしれない(?!)」という微かな期待を胸に
「とにかく東京駅までは行ってみますか?」 「行こう」 そういうことになった(←夢枕獏の陰陽師風)。
緊急事態宣言中で、最大深度6強(東京駅近辺では震度4)の地震から一夜明けたばかりの日曜の東京駅は、流石にそれほど混雑はしてなかった。 特別給付悪魔・高松公演以来の再会となったお仲魔さんと、お互いが乗るはずだった列車の発車時刻より2時間近く早く東京駅に集合して、まずは受け渡すべき金品等を授受し合い、それから「何とか現地にたどり着く方法がないか」と訊いたり調べたりした。
けれども、時間が経つにつれ事態はドンドン深刻な方向に情報が更新されていき、私たちは東京駅内の地下の待合スペース的なところに座って、流れてくる新たな情報をただ黙って受け止めるしかなかった。 結局、乗るはずだった列車が発車する時刻を過ぎた頃、お仲魔さんと二人で駅ナカの鶏料理のお店に入り、久々に一緒にランチして、東京までの往復運賃を払って帰ってきただけの日曜日になってしまった。
朝8時半の段階で、既に現地会館からは「予定通り開催します」とアナウンスがあり、その書き込みを目にしたときは「とてもホッとした」気持ちになった。 3日前の大野城と今回の一関、二か所での「能舞音楽劇 義経記」は、たとえ自分が行けなかったとしても、予定どおり上演されることを心から願っていたから、そのことについては本当に良かったと思っていて、その気持ちは今も変わらない。 Web上で確認しただけでも私を含め複数の「会場に辿り漬けなかった人達」が居たようなので空席が目立つことにはなったかもしれないが、ともかく無事の開演・終幕となった事だけは、閣下ソロのファンの端くれとしても、とても嬉しく思う。
だけど――-。 心の中からは別の大きな声が湧いてくる。
「私もその場にいたかった。」
「ステージ上の閣下の姿を拝見したかった。朗読を、歌声を聴きたかった」
「上妻さんの、あのカッコいいソロ回しを聴きたかった。五条大橋ブルースや閣下との夫婦漫才朗読も聴きたかった」
「山井さんの舞を間近で観たかった」
1年前の大野城の開催中止(延期)のリベンジを私は今回も果たせなかったのだ…って。
もちろん、いつかどこかで次の開催はあるだろう。 自分にもそれを観る機会があるはず…(と信じたい)。
でもそのこととは別に、今回(2月14日)の一関文化センターでの「能舞音楽劇 義経記」は、私にとっても「かなり特別なもの」だったのだ…と。、手元に残されたチラシとチケットに、改めて思い知らされた。
…そんなわけで、マル一日が経った今日も、千々に心は乱れている…のである。