NeoMackey_ITpro&古武道のブログ -34ページ目

NeoMackey_ITpro&古武道のブログ

ブログの説明を入力します。

技は基本の技と呼ばれている技をしっかりと稽古するのが大事、何故なら久琢磨が監修したと言われる惟神の武道の冊子で紹介されて居る技はかなり時宗氏制定の百十八ヶ条と重なって居ます。その稽古時に受け手は次の動きを既に知っているので、あえて逆らうのでは無く(残念ながら大東流は実戦的な要素を含むと言いながらかなり先輩や指導される時に先生や先輩に対し壊れ物を触る様な握りや、寸止めの正面打ち、隙だらけの腕を振りまわす横面打ちが頻繁に見られます、これらの形での攻撃は全くの時間の無駄です)、法系の意味有る稽古をしたければ攻撃をしっかりとする事です。
捕手はその攻撃に対してしっかりと受けて、受けると言うのも言葉のあやで、捉えるや捕まえる等が本質に近いかも知れません。捕りは反撃しながら、単にどつき返す様な意味では有りません、自分に隙なく相手に崩しを入れる事で対処しつつ、基本技を施します。
受け手は稽古者の技量を鑑みながら大人の態度で稽古をします。初級者、武道未経験者、力的に弱者に対して無用な力を込める必要は有りません!徐々にその稽古者の技量に合わせて、互いに稽古すべきです。
攻撃をしっかりしなさいと言うと、あきらかに自分より弱者に力任せの殴りをしたり、猪突猛進の体当たりに近い打込みをする低脳者が時々居ますが、これも何の稽古をしているのか、時間と労力の無駄です。
あくまで互いの技量を、合い対した時に知り(相手の技量が年齢性別段位関係無く、上手さを読めるのがマトモな武道家で有り、ルール内の格闘技だけをしている者との差でも有ります。経験年数に関係無く上手さは身体作りと心身の鍛錬から来るものです。)、若年者でも優った技量が有れば、真摯な気持ちで学ぶだけです。
往々して力の弱い人は、他の要素では優っていたりします、例えば柔軟性に長けて居たり、細かい技術に気が付きそれを日本人の感性で磨き上げていたり、又は初心者では技を知らないが故に思いもよらぬ逃げ方をされたりします、その対処方を知るだけでも効果が高い稽古となります。力ずくは技では有りません。
ただし、受け役も反撃された時点で闇雲に逃げる事はあり得ません本来は先に攻撃を仕掛けているのは受けの者です、捕手が反撃時に余りにも隙が有れば指摘してあげるとか軽い当身等を入れ返し技の弱点を研究しましょう。捕手は反撃された時や隙だらけを指摘されれば大人の態度でその時の欠点を互いに考える事です。どうすれば隙が余り無いとか、この崩しを緩めると駄目だとか、崩れているのに露骨に逆に戻すと安定してしまうとか、を受けと共に考察しましょう。
法形の形の形はその流派の大事な事を教えようとはして居ますが、その間の継承者や伝承者が必ずしも全てを把握した後に流儀を伝えられて居るとは限りません、伝えきる前に伝承者が死亡する事もあり得ますし、弟子にはその流儀の本筋を進んでいる時にはあえて枝葉迄は修正せずに次に指導する時期を待っている時にタイミングが来ない事も有ります。これが時として不幸な伝承として、つぎの段階を指し示す前に独立されたりする者も多々います。そこで本質に辿り着く前の稽古の為の稽古や、手順のみの指導を継承と勘違いして、似て非成る事を、俺が習ったのが秘伝で正しいと意固地に凝り固まっている事です。未熟者故に教わった事も初歩の初歩なのに秘伝の様に振る舞っている事も多い様です。
   正しい稽古法方は、受け手は例えばつかむ時は、初級者はしっかりと力を出して静止させる。
次の有段者レベルではつかみの時は引く形で空いた手で切りつけの形。
有段者でも中級者になってから押す稽古が良いと考えます。これは剣で戦う形を想定しての稽古だからです。あくまでも受け手はシッカリ握る事です、握りも中上級者に於いては馬鹿つかみでは稽古になりません。握り方も四ヶ条極め、急所攻め、剣の握り、合気の手、等多数技法が有ります。
そして捕手は初心者から無闇につかまない癖づけをすべきだと私は考えます。つかみは癖が治り難いものです、他者を観察していると数十年稽古されていてもつかみ癖が取れず合気柔術は程遠く柔術にもなって居ない者も見受けられます。
   古式の正面内は、余りにも特殊な流派の形で無く、眉間から少し頭頂辺りを斬り付けるので良いでしょう。特殊な流派では脳天を斧で叩き込む形も有りますし、顔面を突きに近い形で切り込む流派も存在します、がまずは剣の理合なら切る事により目の上から血を流させれば有利になります。一撃必殺は理想で目指す先に有りますが、先ずは初心者が理解も出来それなりに可能な形で刀で切ると言う操作から稽古致しましょう。次の段階が有段者による脳天からの力に対しての対処、その次の中級者は突きに近い、速さに対する処し方で良いのではと考えます。
   いずれも大事ですが、ひとつづつの技量はある程度磨いてから、それぞれの次の段階の稽古をすべきでしょう。他武道継承者や、運動能力に自信過剰な者が直ぐに次の段階をやりたがるのは全くその流儀を無視した愚行です。間違った指導者は格闘能力の高い者に早めに印加を許して流儀の崩壊を招きます。古流はある程度の段位から身体作りと、技の理解の深さで技量に差が広がります。習っても上面だけの場合がかなり有ると考えます。
   つかんだり、押したり引いたりの力の具合は壊れ物に触る様な、全く現実にあり得ない攻撃は不用です。しかし相手の技量を考慮して現実には力を緩める事は稽古に必要です、白帯の段階はここまででも構いません。余り動きを活発にすると荒い稽古になるので、力は込めて静止から始め、物足りなければ少し押し気味の稽古なら理合の理解が出来て行きます。
   力方向は素直に切る、もしくは捉えて静止です。捕りが動作を開始しても、受け手はあからさまに力を抜く必要は全く有りません。力を出し続けて攻撃しましょう!
ただし捕手が何らかの技法なより受け手の力を外して居るのは正しい稽古になって居ます。やらせで捕手が動いたら受け手が急に力を抜くなどは無用な合わせです、合気系の武道で多見され弟子の異常な忖度が失伝の道に進めさせます。
   もう一つ陳腐な技法で、あきらかに受け手の力を逃がす為に肘の力を抜いてこね回す、力の外す方法等が有りますが、コレは超初心者向けの、縦方向の力を横に動かすと言う、言わば見え見えの対処法です、概ねこの様な幼稚な柔術とも言えない関節技の延長技法は、大東流でも無い他の柔術流派でも初級者に教えている方法です。これは動作を始めると見え見えのやり方です、このまま技を成功するには、現代スポーツ的な早く動かすか、動体視力とか、筋力に頼る事に成り、古流とは全く呼べません。
   ネット等や雑誌などであたかも高級な技術の様に紹介されたり、ひどい時にはこんなのを合気だと本気で言っている輩が合気道や大東流の様な服装で秘伝を公開すると謳っていたりします。情け無いものです。
   
  受けの問題も捕の問題も武道の基礎稽古として先に述べた事を加味すれば正しい稽古法となり、互いの知恵を心がけて行けば、初伝の順の技から、逆技、裏技、応用技、返し技、なども見えてきます。伝えによれば右左、立位座位も別に数えるそうです、初伝百十八ヶ条はその六倍となり、七百八手です。応用は手首から袖、袖から肩、肩から胸、なども有り、またざっと4倍です。
  それぞれの繋ぎ技や、脚の使い方、後ろからの対処、半身半立ちなどを知り、そこに私が師から聞いた正しい、どつき合わない当身、誘い、呼吸力、丹田力、合気の術を入れるとほぼ二千八百八十四の技数に近付く事も可能でしょう。
合気は柔術技法の延長では有りませんが、柔術技法を使える身体作りと、急所技、関節技の最低限の知識が無いと、人体の構造が理解出来ない事もまた確かです。人の体の仕組みは急所技、関節技を真に理解するには必要で、柔術技はその人体構造を巧みに利用しています、柔術稽古のその先に合気の技術も確かに有ります。ただしその掛け方のコツにはある要素は真逆の位置にある物が多数です。姿勢一つ取り出しても真逆の部分が出てきますが、合気柔術をこなせば柔術技はその応用として理解はされて行きます。
まずは基本技、そして知識として急所技、関節技を知り、柔術技法がそれなりに使える稽古を行い、力まず受け手に力を出してもらい、痛みの無い、体を傷付け無い技法に進んで行けば、後は合気ポイントを出来る人から習えば合気柔術迄は誰でも会得出来ます。
特殊能力者や武術の鍛錬だけ繰り返しても合気とは別の道で交わりません。柔術名人でも合気の道を進んで居るとは言えません!
大東流の本道は合気に有ります。初心者向けの、痛いきつい技は所詮、初心者向けの初伝技です。
人に与えられた稽古量は有限なので、量や質、バランスもよく考えて行いましょう。