2023年1月29日㈰稽古覚え書き
超長文!
結果的に私の理解の中の秘伝奥伝の分野の稽古でした。^_^
技を初伝、中伝、奥伝、秘伝と分類して、またそれぞれの中身を初伝の初、中、上とみなした考え方です。
初伝を関節技、中伝を急所技、奥伝を柔術技、秘伝を合気技と考えているのが私の大まかな分類で、指導しているのは当然初伝中伝はそれなりに理解は簡単なのでかなり端折り、柔術技法、合気柔術技法に関わる辺りを考慮して技を稽古指導してます。この分類はあくまでも私の考え方です。ですので技により関節技の方々の体術とは全く逆の考え方が多数有り、それが初学者が習った、初伝の手順やコツとは相反する事も多々有るかもしれません、あくまでも前提としては受け手に最低限の攻撃をしてもらい、隙だらけならこんな反撃が想定されてしかも捕手が制御されるのは初伝としても成立しないと言う事です
本日は手首の攻め方、一見滋味ですが最重要課題の一つです、私に習われている方の上級者のみに説明してます!上級者や合気柔術者は正しい剣の締から派生する手首の攻め、想像するに大東流の正しい稽古されて来た、意識されてない上級者は締めと指の当て方も親指の使い方と腕から体幹の使い方が出来ているやり方に成ると一部の合気が発動します。
初級者、門外漢は単に手首関節を折曲げ浅薄者程ねじりたがる悪手。痛いキツイ技はあくまでも門外漢向けや修行者を淘汰したい過去の選別時の詭弁と捉えるべきでしょうか、この手の痛いキツイ技術から合気に至るのは不可能です。名人は痛みなく崩せます。そこには一指の差と剣の締が有ります。
武芸百般と言っても、それは身体の鍛えと丹田の醸成に共通な話です。合気には剣も斬り倒す事や叩き切る流儀は不要と思えます。また、合気道関連者が植芝盛平師の見よう見まねで、杖や棒を振り回しても何の会得も合気とは関係も有りません!
良くて間合、様々な方向からの攻撃の可能性による危険察知能力の訓練の一つでしょうか?合気とはほぼ関係有りません、ただし合気を会得者された人の杖、棒の使い方には一考の余地有り、上面の真似事は似て否足る最の事。合気道植芝盛平師と他の演武での比較から見ますと、継承難しい合気杖が結論でしょうか、他流の格闘技杖や、見た目の上面の様な踊り化した稽古の為が形骸化の杖に、分化されているようで、弟子筋の方々の演武に合気杖はほぼ見られないのが正直なところです。合気柔術の稽古に杖を取り入れるのは難易度大と言う意味合いです。やりたい方はされれば良い事です。
本論の手首攻め、
一箇条二箇条の手首攻めは剣の小指締(握力では無い)、合谷等の急所極めでも無い掴まず触らず、合気ポイントを意識する事。
三箇条は久先師の深逆の表現を素直に聴けば理解可能、直接関節を掴まない、捻り上げの悪手は関節技のみで合気と無関係です。
四箇条は裏表とも掌側にコツが存在し、一箇条から三箇条とは逆のパーツです。ここにも合気のコツが内包されており、合気修得稽古につながり上達の階段が複数回稽古修行中に覚醒します。急所技の小路で数十年迷い込む者が大半かも知れません!
急所技、関節技をしっかり理解し研究し体得は大東流合気柔術に於いて不可欠ですが、それぞれの小路が深く長い為に、浅薄者や研究者は迷路に嵌り易い、大東流合気柔術に於いて合気の道を会得したければ関節技、急所技は大局をつかむ事で理解を修了し、その小路に入る暇が有れば、時間は合気会得に費すべきかと考えます。
もう一つ本日は重要課題とコツが理解出来ました。稽古生本田氏が最後の方で自得された横面打ちに対する受けは、現代に於いて秘伝につながるコツです。
本田様ありがとうございました。
なお、当方で稽古されている素直さ、稽古課題の理解、本旨の身体作りをしてから技と言う思想、等が揃えばこそ、この文面の意味が理解可能でしょう。体感やコツの話は、最終的には本人がそのレベルに達した時にしか理解出来ません、そこに至るまで指導者は様々な喩えや表現を使います。また理解には段階が有り、同じ様に分かったと稽古生が言われても一人一人異なりますし、同じ人でも繰り返し理解が深く成ります。往々にして運動量やスポーツ好きな方はこの理解がかなり浅い段階で止まっている事も散見されて、わかったつもりで、最も浅い理解で停滞しているケースも多見されます。最初に時間かかる方の方か複数段階の会得を経験され結果的に本物に近づけます、継続は力ですね。
真っ直ぐに正中線を保ち横面打ちを受けるには、やはり素手でも剣をシッカリ使う事でした。
柔術家は柔らかさ目指す理解浅い者ほど肩線を傾けます、コレは真の身体作りが出来て無い証左です。
柔術家の柔らかさと合気とは遠い位置に存在する技術で、肘の力のみ抜き様々な力をかわそうとする方法が有り、これで全て解決しようとする浅薄者が多見されます、合気から見ると最も悪手で、稽古生の本田氏は正しい姿勢と剣の理合の一つを体現されてました。あとは自得するまで身体に染み込ませられかどうかは本人の努力と体感訓練の量だと思われます。一度出来たことは必ずその人は出来て行きます。あとは会得迄の時間でしょうか!