札幌市内の小学校は、ほとんどが昨日入学式だった。
はじめて子どもが小学校にあがる家庭では、楽しみあり、不安ありだろうが、それでも人生の節目として、入学はおめでたい。
小学校に入ると、必ず保護者の前に現れるのが、「PTA」という怪物である。
Parent-Teacher Association
保護者と教員の組織であり、各学校単位で組織される。
そして、各学校単位のPTAが市区町村のPTA連合会を組織し、市区町村のPTA連合会が都道府県の連合会を組織し、都道府県の連合会が全国の連合会を組織する。
このPTA。
法的には、1947年に制定された社会教育法で社会教育関係団体と定義され、ゆえに学校施設や文化施設を利用するときにかなりの優遇を受けることができる。
しかし、社会教育法において、社会教育関係団体は自主自立が原則とされており、その活動に加わるのも、自発性に基づいたものでなければならないことが、長い間の社会教育分野の研究で明確にされてきた。
そして、社会教育とは、日本が戦争に負けたときに、「大人に民主主義を広めよう」という機運の中で広まった学校外教育のことである。
ではこのPTA、本当に自主自立し、自発性に基づいた活動がなされているのだろうか。
全てとは言わないが、それは否である。
こんなことがあった。
ある小学校のPTA役員を決めるときに、「できない理由を述べなければならない」という滑稽な方法がとられた。
「私は、共働きで仕事が忙しいから会長はできません」
「私は、妊娠中のため会長の仕事をこなすことができません」
「私は、親の介護もあって時間的な余裕がありません」
立候補とは、やりたい理由を訴えて、みんなの同意を得ようという営みであり、それが民主主義である。
しかしPTAは、できない理由がない人が役員をするというのだ。
社会教育とは、大人が民主主義とはなんたるかを体験をもって学ぶはずなのに、言いたくないことを言わなければ役員をやらされるという、いわば民主主義とは逆行する方法でしか、役員が決まらないのである。
つまりは、みんなやりたくないのだ。
だって、自発性に基づいた活動をする社会教育関係団体であるはずなのに、PTAに加入することは当たり前だから、加入しないという選択肢は示されないし、活動は面倒だけど子どものためと言われたら断れないし、入っておかないと保護者にも不利益があるかもしれないし…。
これが社会教育関係団体だと聞いて、開いた口が塞がらない思いだった。
ただ単に、当たり前だからという理由なら、PTAになんて入らなくてもいい。
PTAに入ったとしても、理由を述べずに役員を断ればいい。
自分や、自分の子どものためになると思えるなら、一生懸命活動すればいいし、自分の生活の向上にメリットがないと思うなら、そんなPTAなんて無視してもいい。
だって、PTAは自発的な意思に基づいて活動する社会教育関係団体なのだから。
そして、PTAは、ただでさえ忙しい教頭先生の仕事を増やしているのも事実。
やりたくない人が会長をやり、事務局を担う教頭先生の仕事を増やし、そして、その活動といえば、交通安全の運動だの学校の施設維持だの、年に1回の懇親会やレクリエーションだのだ。
交通安全や学校の施設の維持は、町内会でやればいい。
僕は、学校と地域の連携という考え方には反対で、学校は地域の中にあると考えている。
だから、学校がヘルプを出すのはPTAではなく、町内会なのである。
年に1回の懇親会やレクリエーションは、PTAが無くてもできる。
イベント好きなお父さんが音頭をとれば、すぐに実現できる。
世のお父さん、お母さん。
PTAに入らなければならない。
そんな呪縛から、もうそろそろ開放されませんか。
私、PTAに入りません。と言ってそれを認めないPTAがあれば、それは、社会教育法の精神に反するので、堂々と主張しましょう。