旧国鉄に関する博物館といえば、東は東京・神田の交通博物館、
西は大阪・弁天町の交通科学館でした。

田舎の山奥で育った私にとって、東京の交通博物館は秋葉原から
徒歩3分、御茶ノ水から徒歩5分とはいえ、複数の駅からアク
セスがあるというだけで大都会の混沌に飲み込まれてしまうの
ではないかという恐怖感にも似た感情があり、初めて出掛けた
のは小学校1年生の頃のバス遠足、その後の2回目は、なんと
閉館直前の大の大人になってからという有様でした。
そういう具合ですから、大阪の交通科学館などというところは
いくら弁天町駅前徒歩1分とはいえ、幻の彼方のような場所で
あり、いつか大阪に行くことがあれば行かれるかな?と思って
いたのですが、その大の大人になっても、大阪にはなかなか
ご縁がなく、気がついてみれば当の交通科学館は交通博物館の
閉館後に交通科学博物館と名を変え、それも半世紀の歴史に
幕を下ろすことになってようやく訪問することができました。

交通科学館は、鉄道だけでなく船や飛行機、自動車も展示の
対象ですが、私が興味があるのはもっぱら蒸気機関車のみで、
とりわけナメクジの愛称で親しまれたD51 2でした。
1号機は梅小路にありますが、あちらは扇形庫のなかの1両
ですからディーティルの観察は難しく、四方八方からゆっくり
観察するには、こちらの方が向いているわけです。
ナメクジと呼ばれたD51の初期型は、当時流行していた流線
型の影響によるものですが、煙突の前に通常型の前照灯がある
ことやその他部位は一般型と同型であること、そもそも空気
抵抗が問題になるような速度で走行することはほとんどない
ことから、単純に形だけの問題であったと知るのは、これも
大の大人になってからのことです。
今回の鉄道科学博物館の閉館によって、基本的に展示物は
梅小路にできる新博物館に移転するそうですが、あちらには
上記のとおり1号機がありますので、2号機はどうなるので
しょうか。C62に至っては既に2両あるわけです。ともあれ、
C62と同じように2両(そのうち1両は動態)、あわよくば
4両とも動態になってくれると嬉しいのですが。
夢は持ち続けていたいものですね。

感謝!
西は大阪・弁天町の交通科学館でした。

田舎の山奥で育った私にとって、東京の交通博物館は秋葉原から
徒歩3分、御茶ノ水から徒歩5分とはいえ、複数の駅からアク
セスがあるというだけで大都会の混沌に飲み込まれてしまうの
ではないかという恐怖感にも似た感情があり、初めて出掛けた
のは小学校1年生の頃のバス遠足、その後の2回目は、なんと
閉館直前の大の大人になってからという有様でした。
そういう具合ですから、大阪の交通科学館などというところは
いくら弁天町駅前徒歩1分とはいえ、幻の彼方のような場所で
あり、いつか大阪に行くことがあれば行かれるかな?と思って
いたのですが、その大の大人になっても、大阪にはなかなか
ご縁がなく、気がついてみれば当の交通科学館は交通博物館の
閉館後に交通科学博物館と名を変え、それも半世紀の歴史に
幕を下ろすことになってようやく訪問することができました。

交通科学館は、鉄道だけでなく船や飛行機、自動車も展示の
対象ですが、私が興味があるのはもっぱら蒸気機関車のみで、
とりわけナメクジの愛称で親しまれたD51 2でした。
1号機は梅小路にありますが、あちらは扇形庫のなかの1両
ですからディーティルの観察は難しく、四方八方からゆっくり
観察するには、こちらの方が向いているわけです。
ナメクジと呼ばれたD51の初期型は、当時流行していた流線
型の影響によるものですが、煙突の前に通常型の前照灯がある
ことやその他部位は一般型と同型であること、そもそも空気
抵抗が問題になるような速度で走行することはほとんどない
ことから、単純に形だけの問題であったと知るのは、これも
大の大人になってからのことです。
今回の鉄道科学博物館の閉館によって、基本的に展示物は
梅小路にできる新博物館に移転するそうですが、あちらには
上記のとおり1号機がありますので、2号機はどうなるので
しょうか。C62に至っては既に2両あるわけです。ともあれ、
C62と同じように2両(そのうち1両は動態)、あわよくば
4両とも動態になってくれると嬉しいのですが。
夢は持ち続けていたいものですね。

感謝!