天下の険、箱根温泉を書きましたが、ではさて湯本はどうか?
という話です。
「郷土史の世界では基本書とも云われる「風土記稿」の相模国版
『新編相模国風土記稿』『七湯の枝折』のなかには、北条氏綱
以下早雲時に参詣する武将は湯本で入浴したと伝えています。
湯本の湯は、北条氏の「足洗いの湯』という伝承があると
伝えています。
その、『足洗いの湯』ですが、北条早雲が統治のため小田原に
入って(明応四年・1495)から、領国支配の要のひとつとして
早くから湯本に注目し、早雲庵という小宇を設けていたと考え
られています。早雲の遺言によって氏綱が大永元年(1521)に
金湯山早雲寺を建設、境と大徳寺の以天宗清を講じて開山した
というのが定説となる。早雲は傷の治療や戦の汗を流すために
としばしば訪れ、湯治気分に浸っていました。
『七湯の枝折』は、江戸時代の文化8年(1811)に、文窓、弄花
という二人の人物によって著された絵巻物で、10巻10軸で
成り立つ。この「七湯の枝折」は、いわば当時の温泉案内書で
あり、箱根の温泉の様子が克明に表されています。そのため、
箱根町の重要文化財に指定され、現在は箱根町立郷土資料館に
保管されています。
当時箱根には、麓の湯本からカルデラの中央部まで、早川に
沿って七ヶ所の温泉場が開かれ、温泉場ごとに温泉の温度や
泉質に違いがあることがこの『七湯の枝折』の記述で明らかに
されていました。
ここで紹介されている温泉場は、古くから『箱根七湯』と
呼ばれ、広く人々に知られていました。」
やはり箱根は七湯ですね。
感謝!
という話です。
「郷土史の世界では基本書とも云われる「風土記稿」の相模国版
『新編相模国風土記稿』『七湯の枝折』のなかには、北条氏綱
以下早雲時に参詣する武将は湯本で入浴したと伝えています。
湯本の湯は、北条氏の「足洗いの湯』という伝承があると
伝えています。
その、『足洗いの湯』ですが、北条早雲が統治のため小田原に
入って(明応四年・1495)から、領国支配の要のひとつとして
早くから湯本に注目し、早雲庵という小宇を設けていたと考え
られています。早雲の遺言によって氏綱が大永元年(1521)に
金湯山早雲寺を建設、境と大徳寺の以天宗清を講じて開山した
というのが定説となる。早雲は傷の治療や戦の汗を流すために
としばしば訪れ、湯治気分に浸っていました。
『七湯の枝折』は、江戸時代の文化8年(1811)に、文窓、弄花
という二人の人物によって著された絵巻物で、10巻10軸で
成り立つ。この「七湯の枝折」は、いわば当時の温泉案内書で
あり、箱根の温泉の様子が克明に表されています。そのため、
箱根町の重要文化財に指定され、現在は箱根町立郷土資料館に
保管されています。
当時箱根には、麓の湯本からカルデラの中央部まで、早川に
沿って七ヶ所の温泉場が開かれ、温泉場ごとに温泉の温度や
泉質に違いがあることがこの『七湯の枝折』の記述で明らかに
されていました。
ここで紹介されている温泉場は、古くから『箱根七湯』と
呼ばれ、広く人々に知られていました。」
やはり箱根は七湯ですね。
感謝!