多摩川の土手で興味深い門を見つけました。

一頭最初に見つけたときは、あれ不思議な水門だという印象で
したけれど、近づいていくと歴史のある年代物の様子で、脇に
は見事な解説がありました。国登録有形文化財だそうです。
引用すると、
「第一次世界大戦による好景気のなかで、川崎市は足りなくなっ
た工場用地の拡大を図る運河・港湾計画を立てました。川崎河港
水門はこの計画の一環として将来の発展に備えるべく、当時の多
摩川改修事務所長であった内務技師・金森誠之氏の設計により
大正15(1926)年11月に着工、昭和3(1928)年3月に
完成しました。2本のタワーと、タワーをつなぐ梁、ゲートに
よって構成され、タワーの頭頂部には当時の川崎の名産品のブド
ウ・梨・桃をあしらった装飾がされています。梁部分には、現在
は残っていないものの、エジプト様式の船のレリーフがありま
した。現在でも、千葉正面からの砂利の陸揚げ施設として使用
されています。」とのこと。
現在も稼動中とのことなので、なかなか難しいとは思いますが、
ぜひ一度なかに入って見学したいものです。
感謝!

一頭最初に見つけたときは、あれ不思議な水門だという印象で
したけれど、近づいていくと歴史のある年代物の様子で、脇に
は見事な解説がありました。国登録有形文化財だそうです。
引用すると、
「第一次世界大戦による好景気のなかで、川崎市は足りなくなっ
た工場用地の拡大を図る運河・港湾計画を立てました。川崎河港
水門はこの計画の一環として将来の発展に備えるべく、当時の多
摩川改修事務所長であった内務技師・金森誠之氏の設計により
大正15(1926)年11月に着工、昭和3(1928)年3月に
完成しました。2本のタワーと、タワーをつなぐ梁、ゲートに
よって構成され、タワーの頭頂部には当時の川崎の名産品のブド
ウ・梨・桃をあしらった装飾がされています。梁部分には、現在
は残っていないものの、エジプト様式の船のレリーフがありま
した。現在でも、千葉正面からの砂利の陸揚げ施設として使用
されています。」とのこと。
現在も稼動中とのことなので、なかなか難しいとは思いますが、
ぜひ一度なかに入って見学したいものです。
感謝!