むかし「ツレちゃんのゆううつ」というファニーでシュールで
確かにちょっと憂鬱という「ちびまる子ちゃん」のような漫画が
ありましたが、これは漫画の出来事ではないでしょう。
凋落はいつから始まったのか。
スクデリーア・フェラーリの最後のチャンピオン獲得は2007年
と、もう5年前の出来事になってしまった。強かったあの頃とは
皇帝ことミハエル・シューマッハーが引退する2006年以前の
頃を指すのは衆目が一致するところだけれども、強さに陰りが見え
たのは2005年だ。そのとき何があったのか。
自動車競走の道具であるレーシング・カーが、速く走るための一番
大きなファクターは空力だ。
強力なエンジンで軽い車体を走らせると、スピードが増すにつれて
車体が浮こうとする。車体が浮けばタイヤも浮き上がりステアリン
グが効かなくなるのは、雨の中を走る乗用車と同じ。だから車体を
地面に押し付けるダウンフォースが必要不可欠なのがレーシング
カー。
昨今のF1のように、エンジンの開発が規則で凍結されてしまうと、
速く走ろうとするエネルギーは一定で不変だから、なお一層空力の
重要性が高まる。
「なお一層」と書いたのは、とにかく闇雲にダウンフォースを稼ぐ
というのではなく、同じダウンフォースを稼ぐのなら「効率的に」
と質的側面が最重要課題になっているほど進化しているからで、
車体の形だけでなくエンジンからの排気ガスも積極的に利用しよう
とするのが昨年までの話。
今年はその排気の利用方法も規制が掛かって、規則で失われたダウ
ンフォースをどうやって回復するかにテーマが集中しております。
以前にも書きましたけれども、競技車両に関らず良いクルマとは
軽くて、重心低くかつ重量物が車両中心に集まっていることですが、
多くのチームはその良いクルマの教科書通りの開発を行って新車
登場となりました。
しかし、開幕戦を勝利で飾ったマクラーレン・チームは教科書通
りのクルマなのでしょうが、一見そうは見えない第一印象です。
これはイレギュラーなのでしょうか?
開幕戦オーストラリアのサーキットとは、普段は公園の周遊道路
として使われている場所なのだそうで、レース専用サーキットと
はアスファルトの種類が違います。
ここでスムーズに走るには足回りの柔らかさが重要であり、正に
マクラーレンチームの得意分野が効を奏した印象です。
対して、セオリー通りに新車を開発してきたチーム、とくにスク
デリーア・フェラーリは足回りが固いのか、そもそも地(路面)に
足(タイヤ)が着いていないのかと思うくらい車体が浮き上がって
走っていて、あれではドライバーはクルマを走らせるだけで汗で
ビッショリになるような状況でしょう。
そのようなダウンフォース不足は、今に始まったことではありま
せん。それは2005年からの長いお話です。
この年、2000年代の黄金時代を築いた空力設計者ロリー・バー
ン氏が事実上引退。手下として働いていたアルド・コスタ氏にバ
トンタッチしました。
その後発表されるモノポストマシンは泣かず飛ばずが長く続き、
駄作が決定的となった昨年にはコスタ氏もスクデリーアから姿を
消しました。
流体力学の世界は理論と実際とに乖離があるのが現実だそうです。
いくら実験しても理論値をそのまま当てはめて再現するのが難し
いということでしょう。
すると、起こっていること(レース結果)が正しい指標なのだから
実際に理論値を合わせ込む技量が必要になるはずです。そのレベ
ルのエンジニア兼ディレクターが不在だったこと、または、その
くらい絶対的ともいえる強権を握る人間の存在を許さない組織文
化が不振の原因ではないのか。
なんだか昔話を聞いているような雰囲気になってきました。
そのころスクデリーアでステアリングを握っていた人物が、先日
インタビューで同内容のコメントを残しています。
ゆううつが漫画の話ではないのは、漫画のように全体像が単純で
分かりやすいわけでないのと、自動車競走という人間の本質的に
は不必要な活動を真剣に営んでいることに対して、漢字で憂鬱と
書くのが不適切のように感じるからでもあります。
かつて、長年不振を極めたスクデリーアに対して、腐っても鯛と
表現する人がいましたが、ファンというのはそういうもの。片や
「フェラーリが優勝したいなら事は簡単だ。ミハエル・シュー
マッハーを乗せればいい」と達観した人がいました。
だから、パドックで囁かれているように、今ならこう言うのが最
適でしょう。「フェラーリが優勝したいなら事は簡単だ。エイド
リアン・ニューウィーに作らせればいい。」
感謝!
確かにちょっと憂鬱という「ちびまる子ちゃん」のような漫画が
ありましたが、これは漫画の出来事ではないでしょう。
凋落はいつから始まったのか。
スクデリーア・フェラーリの最後のチャンピオン獲得は2007年
と、もう5年前の出来事になってしまった。強かったあの頃とは
皇帝ことミハエル・シューマッハーが引退する2006年以前の
頃を指すのは衆目が一致するところだけれども、強さに陰りが見え
たのは2005年だ。そのとき何があったのか。
自動車競走の道具であるレーシング・カーが、速く走るための一番
大きなファクターは空力だ。
強力なエンジンで軽い車体を走らせると、スピードが増すにつれて
車体が浮こうとする。車体が浮けばタイヤも浮き上がりステアリン
グが効かなくなるのは、雨の中を走る乗用車と同じ。だから車体を
地面に押し付けるダウンフォースが必要不可欠なのがレーシング
カー。
昨今のF1のように、エンジンの開発が規則で凍結されてしまうと、
速く走ろうとするエネルギーは一定で不変だから、なお一層空力の
重要性が高まる。
「なお一層」と書いたのは、とにかく闇雲にダウンフォースを稼ぐ
というのではなく、同じダウンフォースを稼ぐのなら「効率的に」
と質的側面が最重要課題になっているほど進化しているからで、
車体の形だけでなくエンジンからの排気ガスも積極的に利用しよう
とするのが昨年までの話。
今年はその排気の利用方法も規制が掛かって、規則で失われたダウ
ンフォースをどうやって回復するかにテーマが集中しております。
以前にも書きましたけれども、競技車両に関らず良いクルマとは
軽くて、重心低くかつ重量物が車両中心に集まっていることですが、
多くのチームはその良いクルマの教科書通りの開発を行って新車
登場となりました。
しかし、開幕戦を勝利で飾ったマクラーレン・チームは教科書通
りのクルマなのでしょうが、一見そうは見えない第一印象です。
これはイレギュラーなのでしょうか?
開幕戦オーストラリアのサーキットとは、普段は公園の周遊道路
として使われている場所なのだそうで、レース専用サーキットと
はアスファルトの種類が違います。
ここでスムーズに走るには足回りの柔らかさが重要であり、正に
マクラーレンチームの得意分野が効を奏した印象です。
対して、セオリー通りに新車を開発してきたチーム、とくにスク
デリーア・フェラーリは足回りが固いのか、そもそも地(路面)に
足(タイヤ)が着いていないのかと思うくらい車体が浮き上がって
走っていて、あれではドライバーはクルマを走らせるだけで汗で
ビッショリになるような状況でしょう。
そのようなダウンフォース不足は、今に始まったことではありま
せん。それは2005年からの長いお話です。
この年、2000年代の黄金時代を築いた空力設計者ロリー・バー
ン氏が事実上引退。手下として働いていたアルド・コスタ氏にバ
トンタッチしました。
その後発表されるモノポストマシンは泣かず飛ばずが長く続き、
駄作が決定的となった昨年にはコスタ氏もスクデリーアから姿を
消しました。
流体力学の世界は理論と実際とに乖離があるのが現実だそうです。
いくら実験しても理論値をそのまま当てはめて再現するのが難し
いということでしょう。
すると、起こっていること(レース結果)が正しい指標なのだから
実際に理論値を合わせ込む技量が必要になるはずです。そのレベ
ルのエンジニア兼ディレクターが不在だったこと、または、その
くらい絶対的ともいえる強権を握る人間の存在を許さない組織文
化が不振の原因ではないのか。
なんだか昔話を聞いているような雰囲気になってきました。
そのころスクデリーアでステアリングを握っていた人物が、先日
インタビューで同内容のコメントを残しています。
ゆううつが漫画の話ではないのは、漫画のように全体像が単純で
分かりやすいわけでないのと、自動車競走という人間の本質的に
は不必要な活動を真剣に営んでいることに対して、漢字で憂鬱と
書くのが不適切のように感じるからでもあります。
かつて、長年不振を極めたスクデリーアに対して、腐っても鯛と
表現する人がいましたが、ファンというのはそういうもの。片や
「フェラーリが優勝したいなら事は簡単だ。ミハエル・シュー
マッハーを乗せればいい」と達観した人がいました。
だから、パドックで囁かれているように、今ならこう言うのが最
適でしょう。「フェラーリが優勝したいなら事は簡単だ。エイド
リアン・ニューウィーに作らせればいい。」
感謝!