東海道は十六次の由比宿と十七次の興津宿との間にあるのが薩?峠
です。
薩?峠の名前はご存じなくても、安藤広重の東海道五十三次といえ
ば由井の版画でご存知でしょう。誰でも「ああ」という、あの場所
です。


完全に逆光の写真で相済みません(笑)。
正直に申しますと、小学校の頃の図画だったか中学校の美術だった
かで初めて観たときから、こんな場所が本当にあるのか、これは昔
のことだし何より絵だからものすごくデフォルメしているのだろう
と思っていたのですが、その後写真を看たり話を聞いたりしている
うちに本当にその場所があること、今でも江戸の東海道の風景をそ
のまま残している数少ない場所だと知って、いつか来たいと思って
いました。
そして、ようやく念願成就です。

峠の手前の本陣辺りまでなら何度も来ていましたし、本当によく似
た町をイタリアのシチリアで見たことさえあったのですが、そもそ
もこの場所を知り得た広重画伯と同じ景色を眺めることができて、
ちょっと感無量です。
この薩?峠ですが、その昔大名行列が通ったであろう旧東海道であ
り、現在は海側をトンネルで通っている国道1号の手前から急に右
に折れた山道で、街道の両側には新道ができるまでは商いを営んで
いたであろう旅篭や茶屋が今でも並んでいます。
現代では地元の方が作る夏は枇杷、冬はみかん作業用の足として、
またウォーキングかトレッキングに最適なルートとして、江戸の人
々と同じように使われています。
この町の人々の暮らしも、見える風景は平成の世の通りですが、時
間の流れは元禄の通りなのでした。
感謝!
です。
薩?峠の名前はご存じなくても、安藤広重の東海道五十三次といえ
ば由井の版画でご存知でしょう。誰でも「ああ」という、あの場所
です。


完全に逆光の写真で相済みません(笑)。
正直に申しますと、小学校の頃の図画だったか中学校の美術だった
かで初めて観たときから、こんな場所が本当にあるのか、これは昔
のことだし何より絵だからものすごくデフォルメしているのだろう
と思っていたのですが、その後写真を看たり話を聞いたりしている
うちに本当にその場所があること、今でも江戸の東海道の風景をそ
のまま残している数少ない場所だと知って、いつか来たいと思って
いました。
そして、ようやく念願成就です。

峠の手前の本陣辺りまでなら何度も来ていましたし、本当によく似
た町をイタリアのシチリアで見たことさえあったのですが、そもそ
もこの場所を知り得た広重画伯と同じ景色を眺めることができて、
ちょっと感無量です。
この薩?峠ですが、その昔大名行列が通ったであろう旧東海道であ
り、現在は海側をトンネルで通っている国道1号の手前から急に右
に折れた山道で、街道の両側には新道ができるまでは商いを営んで
いたであろう旅篭や茶屋が今でも並んでいます。
現代では地元の方が作る夏は枇杷、冬はみかん作業用の足として、
またウォーキングかトレッキングに最適なルートとして、江戸の人
々と同じように使われています。
この町の人々の暮らしも、見える風景は平成の世の通りですが、時
間の流れは元禄の通りなのでした。
感謝!