だんねです。
いよいよ始まりました!平野区のマンスリーイベント!
『ダンディ・マンダム・赤いハンサム侍!』
先日、読売新聞社から取材がありました。
その時に記者さんから素朴な質問を受けました。
「大阪では天王寺が有名ですし、他には和歌山の九度山や上田市など、
幸村にゆかりのあるところで有名どころはたくさんあるんですけど、
今回はどうして“平野”でのイベントなんですか?」
そうですよね。
私も調べてみるまでは平野と幸村のつながりはよく知りませんでした(^^;)。
でね。調べました。
大坂夏の陣(1615年)。
大阪に攻め込もうとする徳川家康は、奈良の郡山を経由して大阪に入ります。
大阪の南側。羽曳野の誉田を通って平野へ進軍します。
誉田の戦いでは豊臣方の後藤又兵衛が敗れ、真田幸村はその場に遅れて到着します。
ここで徳川方と激突した豊臣軍の殿を引き受けた幸村は、大坂城に帰る途中に
ここ平野の志紀長吉神社に立ち寄り、先勝祈願に刀と六文銭旗を奉納します。
【志紀長吉神社】
http://www.shikinagayoshi-jinjya.org/treasure.html
【真田家の館】
そして、平野には史実とは別に講談で伝わる物語があります。
それが『難波戦記』のなかの「平野の地雷火」というお話です。
『平野の地雷火』
大坂夏の陣。大坂城落城の前日。豊臣方の軍師、真田幸村は最後の計略を企てる。
平野の樋尻口付近で家康が休憩を取ることを先読みした幸村は、
そこの地蔵堂の足元に地雷を仕掛け家康を暗殺しようと試みる。
計略は見事に成功し、家康はほうほうの体で地雷から逃げる。
ザーッと降ってくる雨。森の中をさまよう一行。そこに現れた幸村の伏せ勢。
家康絶体絶命のピンチを一発の落雷が救った。雨がやみ夜が白々と明けてくる。
わずかな味方に守られた家康はもう歩くことすらできず、ボロ寺で接収した死人駕籠に
乗せられて南へとやってくる。
すると南のほうからやってきた後藤又兵衛とはちあわせる。又兵衛は駕籠の中の人物が
何者か分からぬまま駕籠を槍で貫き家康は夢半ばにして落命した。
http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2013/05/post-ca62.html
堺にはこの時に絶命した家康の墓があるそうです。
また、平野区の全興寺にはこの時の爆発で粉々になったお地蔵さんの首だけが、
300m離れた樋尻口から飛んできて、今も安置されているそうです。
http://www.senkouji.net/keidai/hondosite.html
本作『愛はレッド・ミラージュ~平成・真田拾勇士~』でも、幸村にとってお地蔵さまは
とてもアツいキーワードになっています(^^)。
ぜひ、見逃さないようにじっくり観てくださいね!