前回、前々回のブログで、『たたかう植物』の話を書きました。

 

読んでいて気づいた大事なことをひとつ書くのを忘れていたので、

今日はその話。

 

「雑草は、踏まれても大丈夫なように出来ている。

むしろ繁殖のために踏まれたがっている。」

 

実はこの本を読むまでそれを知らずに、

生きてるものは踏まれたくないものという思い込みが自分の中にあって、

勝手に配慮、つまり踏まないように極力避けていたなと思う。

でもそれは余計な気遣いで。

元々はみんな踏まれたくなかったのかもしれないけれど、

進化の過程で踏まれても大丈夫なように、むしろ利用するように変わっていっていた。

 

この話って人間でもあることだと思う。

私は自分が言いたいこと言いづらかったり、

周りに遠慮してしまう癖があるので、

その分、他の人がそういう思いをしないようにと

良かれと思って気を配ってしまうところがある。

でも、気づいたら周りも自分も大人になっていて

周りと自分とうまくやっていくためにそこそこ乗り越えてきている人が大半で。

みんな自分の攻め方だったり守り方を

進化の過程で手に入れてきている。

それが有効に働いているかは別としても。

何が言いたいかというと

自分の気の遣い方は、相手の能力を低く見積もっているということ。

もっと相手を信用して任せて良かったんだなと思った。

 

寄り添うことは縛ることではなくて

目を離しても大丈夫で、

助けを求められた時に支えになれるってことだと思う。

いつでもふんわりと手放しで相手を思うことが出来たら

とても素敵だなと思う。