【4月14日の続きです♪】

東行庵を後にして下関の町は火の山、下関を一望できるレストランでお昼御飯を頂きました。

昼食後は展望スペースから下関の街を撮影!!
青空と関門大橋と桜の絶景ですわくわく!!

マチコの『マチぼうけ。』

続いてはバスで長府の城下町へ向かい、功山寺へ。

【高杉晋作 回天義挙之碑】
マチコの『マチぼうけ。』

【碑の解説】
マチコの『マチぼうけ。』

元治元年(1864年)12月15日、長州藩の藩政を牛耳っていた幕府寄りの俗論派を倒し、倒幕へ藩論を統一しようと、晋作らは雪の中この功山寺で決起をします。
当初集まったのは伊藤俊輔率いる力士隊と石川小五郎率いる遊撃隊をあわせてわずか84名のみの死を覚悟したものでした。

これまでも九州逃亡など間一髪で死を免れてきてきた晋作でしたが、これには
『死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし 生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし』
という松陰先生の教えを守り、「今こそ己の命を捧げる時」と見定めて決起をするのです。

【士気高まった志士たちがつけたと言われる刀痕】
マチコの『マチぼうけ。』

【功山寺山門】
マチコの『マチぼうけ。』

【高杉晋作回天義挙像】※スミマセン。桜を入れようとしたら像が小さくなっちゃいました
$マチコの『マチぼうけ。』

【七卿潜伏の間】
マチコの『マチぼうけ。』
七卿。。とは言っても実際ここに潜伏していたのは五卿(七卿のうち一人は病死、一人は途中で抜け生野(生野の変)に向かうので、五卿に。)なのですが、元治元年(1864年)12月15日雪の降る夜半、ここで晋作はあの有名な

『これより長州男児の肝っ玉をご覧に入れ申す』

と、五卿の前で決起を宣言するのです。
ここがまさにその場だと思うと、鳥肌立ちました。。

ついでに調子に乗って「この辺じゃない?」とか言いながら晋作ごっこなんかもやってみたりしました。。(写真は載せないでおきます。。)

決起をした晋作達はただちに下関の萩藩新地会所(厳島神社のそばに碑があります。)を襲撃・占拠し、三田尻(防府市)では海軍局を攻め入り丙辰丸などの軍艦を奪取します。
(正義派で、粛清されてしまった山田亦介さんや松島剛蔵さんも海軍の中心にいた方々だった、というのも血を流すことなく説得で無血で奪取することができたのでしょうね)

勢いづいてきた晋作達に、山縣狂介(有朋)率いる奇兵隊も加勢し、太田・絵堂では長州藩正規軍(俗論派)とぶつかり、劇的な勝利を収め、藩論は一気に正義派の唱える「倒幕」に向かって長州藩は動き出すのです。

この後、対幕府との四境戦争においてもそうですが、相手の意表をついた戦術をひらめくスマートさと、胆力の強さ、高杉晋作という人物に魅力を感じたきっかけの一つがそれなのです。

【桜吹雪!!】※見えづらいですが上の方に花びらが舞っています※
マチコの『マチぼうけ。』
春風に煽られて、桜の花びらが美しく功山寺を吹き抜けていました。
季節こそ違いますが、まるで晋作(春風)の先導で走り抜ける志士達(桜の花びら)の様で、見ていて大変心に突き刺さるものがありました。
それに「春風」は、晋作の本名ですからね顔ハート

続いては櫛崎城址、そして豊功(とよこと)神社へ。
【櫛崎城址。うしろには石垣も残されていました。】
マチコの『マチぼうけ。』
櫛崎城はかつて長州藩の支藩、長府藩・藩主の居城でありましたが、徳川幕府の定めた一国一城令により長州藩は萩の萩城の一城のみとし、この櫛崎城は取り壊されてしまいます。

【長府藩報国隊顕彰之碑】
マチコの『マチぼうけ。』
報国隊は奇兵隊と比べると耳にする機会が少ないかもしれませんが、奇兵隊同様、武士階級に限らず有志で構成されており、小倉戦争や北越戦争にも出陣、奮闘をします。
豊功神社は、彼らが決起・盟約を結んだ当時は、現在の場所でなくて別の場所にあったそうです。
報国隊の隊士の中にはあの乃木希典大将(当時15歳そこそこ??)も居たそうですよ。

豊功神社からは国指定天然記念物に指定されている満珠島・干珠島が見えます。

【満珠島・干珠島(まんじゅ・かんじゅ)】
※島の詳しい説明・伝説についてはリンクからWikipediaにとべます※
マチコの『マチぼうけ。』

マチコの『マチぼうけ。』
晴れていたこともあり、海の色がすごくきれい!!
そういえばネットでちょっと話題になった「角島」も下関市内ですものねキラキラ

そして満珠島・干珠島の説明版にはなにか見慣れないマーク。。
文化財愛護シンボルマークそうですよ!
マチコの『マチぼうけ。』


続いては桜山招魂場へ。
こちらでは宮司様の御厚意で正式参拝をさせていただいた上に、高杉たちのお話を色々として頂きました。

そしてこちらは特別な時にのみ公開(開扉?)されるという。。
【桜の木の一刀彫の高杉晋作像】
マチコの『マチぼうけ。』

。。すごい気迫!!
目力とか凄かったです。。!


マチコの『マチぼうけ。』

そして!
こちらでおもてなしして下さった馬関浪士会の皆様ともお話をさせて頂きました。
見覚えのあるお顔の方がいらっしゃったのでお尋ねしたら、やはり昨年の萩の時代まつりに参加していらっしゃったとの事で!!
。。実は私も参加していたので(笑)。。今年もお会いできますかね!

さて、ツアーの行程はここで終了。
下関から博多の街へ戻り、参加者さん達で打上げをしました!!

こちらでは、Facebook【高杉晋作ファンサイト】のメンバーの方の御厚意で晋作ラベルの白ワインで皆さんで乾杯をしましたよ乾杯キラキラ
マチコの『マチぼうけ。』

美味しいお料理と、飲み放題(←大好きW)で皆さんとの会話も弾みますネコ・OK星

その中で、この「2017年晋作伝プロジェクト」の第2弾についても話題にありましたので、宣伝もさせてくださいませ。。

2017年晋作伝プロジェクト・ツアー第2弾の行き先は晋作の故郷、そして私も愛してやまない「萩」です!!

◆◇◆ 晋作伝プロジェクト 歴史まち歩きツアー その2 ◆◇◆ 
萩博物館企画展 『志士と元勲の書』 と 萩・松陰先生・晋作を訪ねる旅
ツアー催行日:6月16日(土)


ツアーに関しては【西鉄旅行】さんへ♪
※ツアーラインナップの6月の所から申し込みページへのリンクがあります。※

首都圏の方には、東京~福岡の飛行機+ホテルセットのプランもあるそうなので、土日の週末を利用して参加をご検討されている方は、詳細など西鉄旅行さんに是非お問い合わせくださいませすまいる

翌日曜日のフライトを夕方以降に選択できれば、太宰府天満宮など福岡観光も楽しめますよ♪
福岡は市街地から空港が激近でアクセスが便利です!

ちなみに。。私は第2弾は参加できないのですが、ツアーについてちみちみっと微力ではありますが、ご協力させて頂ければ。。と思っておりますクローバー

。。さて、話は東行忌ツアーの4月14日のことに戻りますが。。
晋作を通してまた新に幕末ファンの皆様と交流を持つことが出来て、この日も大変有意義な一日でしたniko*★!!

梅 翌日は平尾山荘・太宰府天満宮をガイドして頂きながらめぐります♪【続】 梅
【2日目は分割して更新します☆


明けて2日目。博多で迎える朝。

4月14日、敬愛する高杉晋作さんの146回忌でした。

そして私は今回の旅のメインイベントでFacebookの『高杉晋作ファンサイト』さんが興した【2017年晋作伝プロジェクト】の、西鉄旅行さんとの夢コラボツアー・第一弾

【東行忌】下関・東行庵を訪ねる旅

に参加して参りました すまいるハート


梅【2017年晋作伝プロジェクト】とは。。梅

2018年に明治維新150年を迎える前年、2017年は高杉晋作没後150年にあたる年になります。

このプロジェクトは、2017年に晋作の生涯を描いたドラマの実現を大きな目標に、色々な地域にお住まいの晋作ファンの皆様とFacebookやオフを通じて密な情報交換をしながら盛り上げていこう!!

。。という趣旨で活動しております。


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Facebookに登録されている方で、ご賛同頂ける方は、是非とも「いいね!」を押して下さいませ嬉しい宜しくお願いします!!


※私のブログのBookmarkにもリンクを張っておきます♪

そして。。ファンサイトのTOPなどの画像は、「百花春風抄」の作者さま・朔田浩美先生の素敵な晋作なのですきらハート sei


百花春風抄 花の章 (ワイドKC キス)/朔田 浩美

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百花春風抄 風の章 (ワイドKC)/朔田 浩美
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晋作ファン、長州ファン、幕末維新ファンの皆様に超オススメのコミックスですネコ・OKキラキラ!!


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さて、日記に戻ります★


朝、小雨降る博多駅をバスは出発し、途中、下関に着く直前の壇ノ浦PAで休憩を取りました。


あのですね、ゆるくてツボだったので載せちゃいますが、壇ノ浦PAのお手洗いの外標識が。。


【ふく(ふぐ)なんですよW】


ちょっと。。かわいいコレ。。///
ちなみにMENのふくはなんだかドヤ顔(`Θ´)でしたW←見るなよ~


そして
、一路下関・晋作の眠る吉田の地へ。

東行庵に着く前にちょっと寄り道ポイント。

晋作の葬儀が実際に行われたという末富家(東行庵の近くにあります)を通過。






そして東行庵に到着。




着いた頃には雨もすっかりあがり、青空が広がる心地の良い春の陽気おひさまさん


まずはご本堂に行き、朔田先生が東行庵さんに寄贈されたというイラストを。。発見niko*!!



久坂c.blossoms*      晋作赤梅      晋作赤梅

これがまた近くで見ると素敵なんですよキラキラ 。。惚れ惚れスキ ハート
この日が初公開だったのでしょうか?非常に眼福でございました///

本堂の前でツアー参加者の皆様と記念写真を撮り、物販ではおススメの書籍を紹介して頂いたので持っていないものを購入しました。
   
そして下関からご乗車された下関の凄腕ガイドさんの案内を交えての本堂や敷地内散策♪

幸いにも桜が残っていて、庭園はこんなに綺麗c.blossoms*!!



この間に墓前祭は、読経や奉納行事として散華の舞や奉納の吟などが行われていました。


【東行庵の晋作像。『キリッキラキラ!!』】



昨年の2月に行ったときは刀の鞘が破損していたのですが。。修繕されてました。
(ツートンになっているのが若干気にはなりますが。。直ってよかったネコ・OK !!)

前日桜山招魂場でお会いした宮司さんもご参加されていたので、お声を掛けさせて頂いたり、俊輔もとい伊藤博文公による晋作顕彰碑(動けば雷電の如く 発すれば風雨の如し~)をみたりして、お焼香の為に東行さんの墓前へ。。

100名はいらっしゃっていたでしょうか。。?
お焼香の列に並び。。

念をこめて合掌。

。。あ、着物で参加させて頂きました♥akn♥
並んでいる時や、このお焼香のあとも、晋作を慕う参加者さん達とでちょっとした交流会みたいになっておりましたよ。


そしてこの東行庵の初代庵主・梅処尼さんことおうのさんのお墓。


晋作が亡くなった時はまだ20代前半のお嬢さんだったのですよね。
彼亡き後、遊女に戻る(?)とか、彼女がほかの男と噂になって晋作の名に傷が付かないように俊輔や山縣さんが出家させるんですよね。

尼になるのを嫌がって脱走した事もあると聞きましたが。。W


それでも!晋作が藩主から賜った「谷」姓を受け継ぎ”谷梅処”として、亡くなるまで40年以上愛する人の菩提を弔ってきたんですよね。。

昔の女性って決して非力ではなく、潔さと心根の強さを持ち合わせた方が多い気がします。。


そうしている間にもここでのタイムリミット=お昼時になり、売店で名物「晋作餅(しその葉に巻かれている餡子餅)」。。でなく梅ソフトクリームを買い(ちょっと暑かったのです。。)、これがまた美味しい!!


そしたら西鉄旅行さんのおはからいでお昼までのつなぎのおやつとして参加者さんに各一個晋作餅も配られたので、美味しいうちに両方頂けちゃいました音符


あ、東行庵と道を挟んだところにある売店ですが、「晋作くんとおうのちゃん」の顔はめパネルもあるので、いらした方は是非記念に一枚撮って行かれるとよいと思います笑


今回、はじめての東行忌の参加で。。というか歴史上の人物の法要に参加するのも初めてでした。


歴史は細々と好きだったけど、法要まで行きたい!!そう思うくらい惚れた人物、それが高杉晋作なのです。

知識はまだまだですが、好きというシンプルだけど強い気持ちで補って、これから勉強させて頂きたいですスキ


来年の東行忌は日曜日になりますね。

また参加できたら、といまからスケジュール表とにらめっこです。


そしてバスはお昼ご飯を取るために下関は火の山まで向かいます☆


梅2日目☆4月14日~その2~へ続く。梅



※追記部分をオレンジで書き込みしました♥akn♥汗

2月の萩&防府旅行記がまだ完結しておりません。。おりません。。が、ちょっと間を挟んで再び旅行記です。


(萩&防府旅行記も必ずや完結させます!!。。超マイペースblogですが)




4月13日(金)~15日(日)まで、下関と福岡へ行って参りました!



初日は萩の周布さんことKさん(以後「周布さん」と呼ばせて頂きます。)が長府藩櫟木(いちき)流砲術の砲術演舞に参加されるとのことで、朝一の飛行機で羽田から山口宇部空港まで飛び飛行機、バスで下関は唐戸に向かいバス、そこから連絡船乗り場から一路巌流島へ船。。(連絡船でおよそ10分です♪)




【連絡船から臨む関門大橋。左側が山口県(下関)、右側が福岡県(門司)】


マチコの『マチぼうけ。』




途中、下関行きのバスの中でのほほんとツイッターを見ていたら、なんとフォロワーさんのフォロワーさんが同じバスにいらっしゃる事を知って浮かれ上がりましたよ~



ちょうどその日は宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の決闘(1612年4月13日)からちょうど400年にあたる日だったそうで。。現地で案内を見てそれに気づきました




【400年前のまさにこの日。「えいや~~!!」】
マチコの『マチぼうけ。』


でも連絡線を待っている間に遠くの方でドッカンドッカン聞こえて


「あ~。。これ始まっちゃってるな。。間に合わないかも


と思っていたので、念のために島に上陸して走って会場に向かったら、最後の一発




間に合った。。


写真がこちら☆



【構えてからの。。】


マチコの『マチぼうけ。』






【ドッカ~ン!!】


マチコの『マチぼうけ。』






すっ。。すごい!!!!


これは。。間に合ってよかったです。。///!!




終演後、お声を掛けさせて頂いたら、砲をもたせてくださいました!!




【お、重っW】


マチコの『マチぼうけ。』


火薬のかほりがまだする(≧∀≦)!

腕っ節には自信があるのですが(笑)。。これがなかなか重いのです!


(約20㎏とかおっしゃってました。)



少しお話しをさせて頂き、周布さん、この後は彦島(←馬関戦争の講和条約で法外な賠償金と彦島租借どうこうの時、晋作の功で租界のようにならずに済んだあの彦島です!)でイベントが引き続きあるとのことで、船乗り場までお見送り頂き、私は唐戸まで戻りました。。長府博物館にも行きたかったしね♪




【巌流島から見える彦島。晋作・・ありがとう・・///】
マチコの『マチぼうけ。』


ちょうどお昼時だったので、ちょっと奮発をしてふくを頂いちゃいましたよ♪


折角下関に来たんですもの


気になっていたお店、唐津の市場からほど近い「旬楽館」さんへ行ってみました。




「翌日は晋作のお墓参りだからコラーゲン摂取していくんだい!」


。。とふざけたことを思いながら、ちょっとずつ色々いただける、ミニコースみたいなのを頂きましたよ。


その中の。。




【ふく刺し】


マチコの『マチぼうけ。』




【ふくのみぞれ煮】 ←個人的にこれヒットでした!!

マチコの『マチぼうけ。』




。。で、ちょうどデザートを頂いているあたりで周布さんから連絡があり、イベントが終わってこの後桜山招魂場へ行くけどどうですか?との事で、是非にと随行させて頂く事にしました




周布さんと無事合流し、新地にある桜山招魂場へ。。




【391柱の霊標が並んでいます。】

マチコの『マチぼうけ。』


霊標として並び切らず本殿に祀られている方々をあわせて800以上(810幾つとか?)の志士の神霊が祀られているのがこの桜山神社です。




【”身分問わず皆平等”という考えの下に、松陰先生以外の霊標は同じ高さに作られています。】


マチコの『マチぼうけ。』


松陰先生は思想の支柱である存在だったので、台座が一段高いです。


ちなみにこの写真の一番手前は春風くんこと晋作の霊標です。






【小雨振る中、一柱一柱を丁寧に見る周布さん。】




マチコの『マチぼうけ。』




【晋作の七言絶句】


マチコの『マチぼうけ。』


猛烈の奇兵何の志す所ぞ 一死を将(も)って邦家に報いんと要す 尤も欣ぶ名を遂げ功成りて後

共に弔魂場の花と作らんを



弔われる人に入るべき身なりしに 弔う人となるぞはずかし



霊魂 故奇兵隊士東行狂生





【霊標の向こう側の小高いところに何かを発見。】
マチコの『マチぼうけ。』


【百三十年祭顕彰会 前原一誠大人命】
マチコの『マチぼうけ。』


あ、前原さんだ。


またなんでここに。。?と、すごく気になって。


このあと宮司さんとお話をさせて頂いた際にお聞きしてみたのですが、正式に祀られてはいらっしゃらない。。?けど、後援の方々が立て札と共に苗木を奉納されてたそうです。




う~ん。。勉強不足なので憶測がしきれないのが悔しい。でも、いい加減な事いえないです。。


萩の乱の首謀者として悲しい最期ではあったけれど。。でもでも彼も維新の功労者の一人であることには間違いないからね。




ほかにもこの神社や周辺の事とかを丁寧に説明していただきましたよ


本当にありがとうございました!!


そして宮司さんとの会話を聞いていて周布さんの顔の広さにビックリでしたW




そうそう!この招魂場が出来た際に読まれた献詠の数々が「櫻山の歌集」という本になって販売しておりますよ


白石資風(正一郎)さんや、栄太の妹のフサさんとか。入江粂子って九一の奥さんの粂さんのことかしら。




そして桜山を後にして次へ向かったのは「高杉晋作療養之地」。




マチコの『マチぼうけ。』


こちら、去年一度行ったことがあるのですが、車じゃとても入れない細い道沿いになるので、途中から歩いて行きました。


かつて晋作が肺結核の療養をしていた東行庵があったところで、現在は住宅街の中にひっそりと碑があるのみです。


ここから歩いても5~10分ほどのところに「高杉晋作終焉之地」もあり(←こちら、看板もあって分かりやすいです!)、同じく昨年訪れたのですが、今回は療養之地のみ行きました。



【追記分(抜けておりました;;)】

続いては、前田砲台跡に。。

マチコの『マチぼうけ。』
歴史の教科書や資料とかにもよく掲載されている写真家・フェリーチェ・ベアトの撮影したあの写真。
Wikipediaで馬関戦争を検索しても、この[フランス海軍陸戦隊によって占拠された長府の前田砲台]の写真が出てきますね。


【ちょうどベアトの写真のあの場所を歩く周布さん。】
マチコの『マチぼうけ。』

ついこの5日ほど前に、恵比寿で開催されているベアトの写真展で実物をみたのでこれまた感慨深い。


続いて私のリクエストで長府博物館へ。。


ここで5月6日まで展示されている常設企画展「幕末長州馬関戦争」を見たくてね。。///


ついでにお得情報なんかも頂けるであろう「友の会」にも入会しましたよ!!


翌日の東行忌ツアーの行程にも入っているのですが、どうしてもゆっくり見たい展示もあったので、一足先に展示を拝見致しました///




そして、国宝である功山寺の仏殿が開扉されているとの事で、そちらも見てまいりましたよ!



建築は全然詳しくないのですが、上のほうをみると梁のない内部のつくりは、ジェンガのように組み合わされ絶妙なバランスで保たれている。。とこれ、受け売りですW



そんなこんなで私がバスで博多へ向かう時間になったので、唐戸のバス停近くまで送って頂き私は翌日のツアー参加の出発地・博多へ向かったのですバス



周布さん、この度もどうもありがとうございました





2日目に続きます。