(加筆修正あり)

うちには
小鳥が2羽います

10歳と8歳の
可愛すぎるシニア小鳥です照れ




娘の希望でお迎えしました


娘に勧められて
8年くらい前に
小鳥ブログを始めました


7年前に娘が空の上に昇ったあとも
小鳥ブログは続けていて

先日、当時の投稿を少し読んでみたら

物分かりが良いというか
前向きというか
大丈夫、とか
命あるものはみんな還る
娘はもう穏やかな世界にいるから良いんだ、とか

自分に言い聞かせていたのか
そう思いたかったのか
やたらと、元気で
過活動ぎみに動き回っていて


悲嘆もひとそれぞれ違うと言うし

心の深いところは見ないようにして
浅いところでサラッと過ごして
ちゃんと悲しまなかった
向き合わなかった弱さかもしれません

そんな時も逃げてばかり、のおっかだったね






娘がもう入院はしない、と言ったころ

でもこのままでは
心臓が持たないところまで来ていて
(あるきっかけがあり、睡眠剤から始まった処方薬に囚われていました)

でも、無理に入院をさせるのは信頼を全て失うことになるから
娘の意思を受け入れました



娘はそのころ「レイキ」を受けに行き
「もう頑張らなくていいって言われた。許された気持ちがする」
と言っていました

次の世界を見ていたと思います

今の人生はじゅうぶん頑張ったから

次にいきたい、って

身体より先に
心は魂の世界に入っていたのかなと思います

娘の望みがかなって
身体は静かに停止しました



娘が亡くなったあと
通っていた相談員さんの所に
最後の相談(報告)へ行き
聞いてみました

「もし、あなたが私だったら
無理にでも入院させましたか?」と。

彼女は苦しそうに答えてくれました
「わからない、わからないけど
そのまま(死を)受け入れる勇気もないかもしれない。
けど、それが良いとは全然思わない。そうすれば信頼関係は全て無くなる。
うーん、、わからない」


彼女の答えは誠実で
私にはありがたい言葉でした





終わりを望むことを
「生きたくても生きられない人がいるのに」と非難するのを見かけます
宗教によっては死後の怖いことを説いていたりしますが


私は確信しています
その状態こそが「生きたくても生きられない」病気なのだと。
それは心も体も同じだと。
(私は心=科学的に脳の問題と思っています)


生き物は本能で生を選ぶ、死を恐れる。その本能さえも否定せずにいられない状態は
やっぱり病気、なんだと思います


そんなに苦しんだ人たちが
魂の世界でひどい目にあうはずがない
天国に昇って穏やかに過ごすのだと思います




今日も秋晴れの
気持ちの良い日でした

娘が昇ったあの日が
どんな天気だったか
まったく思い出せません


私はどんな天気の日に
娘のところへ行けるのかな
楽しみだな〜










久しぶりに神社へウォーキング