それなりの年齢になれば、往生を考えない人はいない。
往生とは、我々の前途に生活の道が開けていることです。
人生の苦痛は死によってかぎられておりますます。
人生はこの死の苦痛に行き詰まっているのです。
この頃日本は経済的に行き詰まっている、思想的に行き詰まっている
政治的にいきずまっている、といいます。
行き詰まっていると言わにゃ娑婆の話が出来んようになっている。
行き詰まっていると思うような人がいきずまっているのです。
決して日本は行き詰まっておらんのです。
だいたい経済ということは行き詰っているものです。
行き詰まらん経済というものはないのです。
だからいくら景気が良い時だって行き詰まっているところは行き詰まっております。
景気の良いものは良いで行き詰まり、
悪いものは悪いで行き詰まっている。
思想というものもそうである。
人間の考えなんて行き詰まりです。
人を敵のように考えるのは行き詰まりです。
堅苦しい息詰まるようなことばかり考えているから息詰まるのです。
なんで息詰まるのか。死です。
左傾だって、右傾だって、死という物には行き詰まる。
この行き詰まっているものが、開ける道は死の関門が開けることです。
前途の死の幕が取れにゃならんのです。
取り払われると大きい舞台が現れる。
往生とはその死のカーテンの切り落とされたことです。
我々が南無阿弥陀仏という心も、
帰命無量寿如来と仰る親鸞聖人のお心も
死のカーテンの払われた相です。
そこに行き詰まりはないのです。
『我が歎異鈔』 暁烏敏