人生100年を目指してこれからもいろいろチャレンジしていきましょう。

人生100年を目指してこれからもいろいろチャレンジしていきましょう。

予防医学一筋50年。皆さん方の健康と生きがいのお手伝いをしていきます。

Amebaでブログを始めよう!

 色々世間では高齢者の交通事故が報じられ、気がついたら自分もその仲間にいることに気が付きました。何となく昨年の四月に辞めようという気になり、運転をしなくなりました。農業を家から1時間くらいのところでやっているので、いろいろなものを運んだり、持ってきたりするときは必要なこともあるのですが、その時は家内に頼むということになりました。 

 丁度今年が更新の時だったので2ケ月前に警察に行き、手続きをし、先日35近い暑さにもめげず、往復1時間かけて運転経歴証明書をもらってきました。添付(住所はカット)のようにほとんど免許証と似ているのですが、真ん中の部分だけが変わっていました。これでもう運転事故を起こすかとがなくなったのだという安ど感でいっぱいになりました。

 

    

交換前の免許証         交換後の運転経歴証明書

 

もともと運転は好きでなかったのですがつくば学園都市や大分市に住んでいたころは必須でしたので、どうしても乗らざる得ませんでした。私の家はJRの駅から数分の所なので、東京に戻って来てからは運転はしたくなかったのですが、埼玉で農業をしているので、1時間くらい(渋滞時には2時間もかかることがあります)かけて、この時だけ運転をしていました。。

 

 思えばいろいろな事故をしてきました。すべて対物だったので、相手との交渉で嫌な思いをしたことはあっても対人事故が全くなかったので、ほっとしています。しかし、1度は周りの人が良く助かったといわれるくらいの事故を起こしました。

 

 

 四月の初めの温かい日、子供を大分駅方面に送って行った帰路、自分の勤務先の医大の手前の坂道の途中で異常な睡魔に襲われ、途中で止まって仮眠をしようと思ったのですが、あと数分で家(医大の前)に着くと思ってしまい、「寝るな・寝るな」と思いつつ運転を継続。坂を上り詰めたところで、ちょうど自分の研究室が遠くに見えたと思った瞬間、今までの緊張が取れたのか、居眠りをしてしまいました。そこから100数十メートル先のコンクリート製のしっかりした中央分離帯の途切れた所(当時勤めていた大分医科大学正門の横断歩道)で対向車線に入り込み、停車していたコンクリートミキサー車に激突しました。朦朧として車から出たら、コンクリートミキサー車の運転手さんに「てっきり死んだと思った!」と言われるほどでした。

 すぐ整形外科に行ってみてもらったのですが、むち打ちになるどころか首が痛いということもなく、お医者さんにもびっくりされました。もともと骨格が丈夫なでしょうか。この時事故で痛切に感じたのは人身事故でなくてよかった!ということです。対向車のコンクリートミキサー車が停車していたということは横断歩道は青だったはずですから、天気の良い連休前の土曜日の医大の正門前の横断歩道は歩行者がたくさんいてもおかしくなかったはずです。本当にラッキーでした。もう1つラッキーだったのは当時はまだシートベルト着用が義務で無かったので、普通の道路では締めないことが多かったのですが、当日は何となく締めていたということと、コンクリートミキサー車のちょっと前で目が覚め、大きなコンクリートミキサーに気が付き、慌ててハンドルを左に切ったのでタイヤにぶつかって4メートルくたことです。警察官に「どうしてコンクリートミキサー車とこんなに離れているのだ」といわれた時にはまだ状況がつかめず「誰かが運んでくれたのでしょう」と答えたのですが、コンクリートミキサー車の運転手さんが言うには「タイヤにぶつかって跳ね飛ばされた」とのことでした。それにしても、もしシートベルトをしていなかったら、もし直前でハンドルを切らなかったら、すっぽりコンクリートミキサー車に飲み込まれ、確実に死んでいたでしょう。

 どうして眠かったというと。早稲田大学に転任することがほぼ決まっていて、新設の学部だったので文部省の設置下にあるため、厳重な審査があることが知らせれていたので(実は私と同じ年の国立大学の助教授の先生がすでに決まっていたのですが、その人が文部省の設置審議会で却下されたために、私に回ってきた職でした)、念入りに書類を書かなくてはいけなかったのです。しかも急に決まったので時間がなかったこともあり、2日間徹夜して書いたのがいけなかったのではないかと思います。

 その時思ったのは、「神様は今私が死ぬのはまだ早い」と思われたのだ、これからの人生は無駄にしないで頑張ろうということでした!