オウム真理教による地下鉄サリン事件。
この事件は、日本社会が排除してきた望まれない子供たちの存在およびそういった子供たちがどのように大人として生きているのかを象徴している。
社会によって排除されたこのような子供たちは、下賎の世界のある一部で生きていると思われる。
そこで子供たちは大人になっているわけであるけれど、そこはなんらかのきっかけによってオウム真理教のような場所をつくる温床であると思われる。
そして、オウム真理教は結果として社会の中で、サリンをばら撒くという犯罪行為を犯したわけであるけれど、下賎におけるその一部の世界では、一般社会に出れば、それは必ず犯罪行為であると思われることがはびこっていることは間違いないと思われる。
たとえば、オウム真理教の教祖となった人物が、下賎のこの一部の世界に生きていたとして、彼が教祖となってオウム真理教という教団を立ち上げ、社会の中で犯罪行為をおこなうに至ったきっかけがなんらかあったと思われる。
そのきっかけがなんであったのかということも追求していくべき内容である。
つまり、世界中でおこっているテロ事件なども同様に、こういった世界で生きている人々に対し、なんらかのきっかけを与えるものがあり、それによって、社会に対して犯罪やテロ行為というものが発進されるのであろうと思われる。
そして、それはおそらくなんらかの政治的策略が絡んでいるということは否定できないことであろうと思われる。
つまり、彼らは政治的に利用されている存在であるといってもおかしくはないだろう。
社会に向けて犯罪やテロ行為を発進するきっかけを、彼らに与えているものが必ず存在するんである。
それは果たして悪であるのかどうか。
こういった見解から、事件を解明していくのが、今後は望ましいと思われる。