実際にお会いした訳じゃないけど

素敵だったー

なんで素敵って思ったのかなって考えたら

力入ってない(力んでない)
優しい
自然

だったから

それってきっと
自分がそうなりたいという人

憧れる

自分もそうなりたい

なんか誰にも幸せにしてもらわずに
自分で自分を幸せにしている人な感じがした

そんな人が人を幸せにできる

体現している人だった

私もあんな人になりたい

あの人も昔は実はそう思ってて
今そうなってたらいいな

そしたら私もなれる気がする

苦しい思いとか
悲しい思いとか
辛い思いとか

そんなことも一つも無駄なことじゃないよって
未来の私が言っていたらいいなと思うから。
インターネットが日常の中に
入り込んで久しい

スマホが登場することで
もっともっとインターネットの世界が
近くなって

人の意見や考えが
とても身近になった

家族や友達よりも近い時もある

一人の時間に向かい合っているものだから
バリアがない状態で受け入れることは
ある意味恐ろしい

人の意見だと
頭ではわかっているつもりでも
恐ろしいほどするっと自分の中に入っていく

実際の人間に比べて
相対する場所にいないことが
その原因かもしれない

実態もないし(その場には)。

空間的な隔たりを感じにくいのかもしれない。

怖くもあるけど
多分インターネットがない生活には
戻れない気がする
(今だって実際にこうやって関わっている)

じゃあ、どうしたらいいんだろう?

これまで以上に無理をしないこと

大切な自分の心の状態を把握すること

何もしなくてもいいこともわかること

むしろ自分もインターネットに言葉を残すこと
⇧実践中

そう

誰に見て欲しい訳じゃない

だけど人の言葉の渦に巻き込まれないよう
同じ土俵に
自分の言葉を乗っけていこうと思った

それがブログをやっている理由の一つ

久しぶりに都会に行ってきました。

 

疲れた・・・。

日曜日の渋谷に行くなんて、かなり危険行為w

 

歩くだけでぐったり。

 

なんでだろうなぁ。

 

「歩く」という行為自体は毎日行っているものなのに。

 

人が多くて自分のテンポで歩けないのはある。

 

でも、それだけなのかな。

 

人の多さと、自然の少なさにおいてはいつもと異なる。

 

人がたくさんいると何が起こるんだろうか。

 

何も取り立てて起こらないとしても「喧噪」がある。

人の感情がそれだけある。

みんな色々なことを考えながらその場にいる。

 

何も聞こえないのに、聞こえてる気がするんだろうか。

 

あの喧噪がすべて一つ一つ聞こえてくるとしたら、それは確かに疲れる。

聖徳太子だって疲れる。

 

答えを求められているわけじゃないけどね。

 

無意識にバリアを張っている気もするし。

バリアを張るのは緊張することだからやはり疲れるんだろう。

 

 

スクランブル交差点で信号待ちしているときに

 

こんなにこんなにたくさんの人間がいて

みんな違う目的をもってここにいて

違うことを考えていて

違うところに帰って

また違う明日を過ごすんだ

 

そう考えたら

シンプルに

すごいな

と思った。

 

自分がその一人で

とても小さいということも。

 

みんなも平等に小さいということも。

 

それを感じられたから

今日行ってよかったかも。

 

お洋服も買えたしね♪