今から書く事は
私の戯言レベルの独り言です。

Youtube 上で観たこの論争
真剣に考えてしまった。

というよりも、
この論争を観る前から
日本のアニメには
そろそろ規制が
必要になって来たかも
という風に思っていた側だった
のだけど、実際は

表現規制を行うと
表現の自由が失われる

の狭間で考えてしまう
というわけで。

そもそも日本のアニメは
大人も楽しめる内容なので
諸外国と状況は違うのだけど、
最近はアニメや物語を作る
所謂アーティスト側の方が
売るために(需要のある範囲で)
過去にはない新しい発想の探求
をした結果

過激な妄想を2次元で表現する

という事態に陥っている
気がしてならないワケです。
恐ろしい事に、
そのアブノーマルな暴走は、

・小学生にしかみえない主人公の不適切な描写
・ホモ系同性愛者向けのもの
・殺人系などの凶暴な内容

などにまで発展していたりする。

ところで、戦後の日本について
少し調べてみると
それはもう秩序も倫理観もない
どうしようもない犯罪が
少年レベルでも多かった様で、
普通の薬局ではヒロポンという
とんでもない薬まで買えたそうだ。

そんな時代のアーティストが作る
アニメ作品を観ると、
その影響だからなのか、
色彩からしてとてもスプーキーな
雰囲気が漂っている。
でも物語としては希望に満ちたもので
子供に見せても大丈夫、
という範囲におさまった内容
と言えるかも知れない。

日本人は勤勉な人が多いので、
常に新しいものを創造しようと
寝るのも惜しんで取り組むので
素晴らしいものが出来る事が
多いのだけど、反面、
超えてはならない一線を
越えがちな一面もある。

新しい事が芸術的なのか、
売る為に新しくなければいけないのか、

倫理の限度を通り越すと、
自分の性器を3Dでプリントアウトして
『これは芸術です』
と言って、お店のウインドウに飾る事も
(お金の為なら)躊躇わない様な
おかしな人が出て来てしまうワケで。
ただ、そう思うのは私の主観なので
ああいうものを芸術的だと思って
お金を出す人もいるのかも知れませんが
私にはどうしても理解できません。

『芸術ですから』

と言えば、
何でも許されると思われて
そのまま爆走された先には、
普通の精神状態にない人達の
犯罪や正常ではない妄想等へ
肩を押すきっかけに
なってしまうのではないのか。

実際には、

・児童買春
・レイプ
・生身の人間と向き合えない精神異常者
・殺人

などのニュースが日本には多く、
スイスの様なのんびりとした国に
住んでいると
その事実に大変なショックを受ける。

『でもアメリカと比べたら
日本の犯罪数は少ないじゃないの?』

と思う人もいるかも知れない。
でもそれはあまり賢い比較
とは言えない。
何でもワースト圏と比べていたら
逃げにはなっても
改善にはならない。
更にアメリカは沢山の人種の方々
が住んでいると思うので、
抱えている問題も色々でしょうし、
国土も相当デカい。
メキシコとも陸続きで、
日本とは状況が違う。
だから安易な比較には説得力が
全くない、という事になる。

さて、そこでどうしたものか。

私もアニメは好きです。
でもスポ根系アニメか
普通の純粋な雰囲気の恋愛アニメ
もしくはルパンなどのレジェンド系
あと、ヴァイオレントではあるけど
ブリーチも好きです。
でもそれくらいです。

問題視されている

・児童買春
・レイプ
・生身の人間と向き合えない精神異常者
・殺人

に繋がる様なアニメは
普通の精神状態の人は寧ろ
軽く観てみるとしても
のめり込む事は十中八九なく、
アニメの物語から倫理的、哲学的、
人生論的に学べる何かを
感じ取れなければ
何回か観たら違和感や嫌悪感、
もしくはワンパターンから来る
飽きから観なくなると思うからです。

こういうアニメを作るな
と言っても芸術という鎧を纏って
アンダーグラウンドで
多分作り続けるのでしょうし、
表現の自由を規制するのは
やはり如何なものかと思うので、
苦肉の策ですが
年齢制限による規制をかける
という方法が妥当かも知れません。
英語圏の様に、レジで身分証を
提示する方法を敷くのです。
また、インターネットでも
パーレンタル・コントロール
は絶対に必要になります。
中学の義務教育終了までは
徹底して子供達を守る方向で
行かないと、将来的に
変な大人が多く出来上がる
可能性は増え続けるかも知れません。

子供は親の鏡

という言葉は、
本当に的をついていますが、
親は子供をそういう形で
守っていく他ありません。
中学生までは1日にTVやパソコン
に接しても良い時間を決めて
徹底するしかありません。

成人してしまった大人は
もう変える事はほぼ出来ない
と考えても過言ではない気がします。
児童買春、レイプ、殺人等は
法を犯した行為である為、
法の下で裁かれなければなりません。

そんな中、ただ生身の人間に
興味がない人種については、
周りの助けこそが必要
かも知れません。

よく考えてみてください。
2次元=誰かが描いた絵
に恋が出来るという時点で
精神的に病んでいるという事実と
向き合う様にと周りは無視せずに
メンタル・クリニックへ行く様、
アドバイスをしてあげた方が
良いかも知れません。

だって紙やプラスチック、
シリコン、ソフトウェア等に
恋をしているんですよ?

何が彼らをそこまで
追い込んでしまったのか、
それはメンタル系のドクター
の助けが必要なケースかも
知れないのです。

お金のためにそういう
心に病を抱えていそうな人達を
相手に商売をするのが
芸術と呼べるのか、
アーティストの方々には
そこも考えて欲しい気がします。
そういう人たちのための
サルヴェーションなんですけど、と
主張されるかも知れませんが、
その逆の一面についても
作品を世に送り出す側の責任
として、考えて頂けたらなぁ
と思うに至りました。

それにしても難しいですね、
白黒では決められない議題です。
芸術家から自由に表現させる事を
奪えば新しいものは生まれませんが
公共の電波に流れるものが
いち芸術家の主観的正義で
あまりにも自由に表現されたら
そこは混乱が残るだけかも知れません。

限定されたエリアのみで
ご自身の世間的にアブノーマル
と判断される域のアートを
表現できるのならば
多分然程の問題はないのでしょうけどね。
例えば自分の作品をみせる
映画館を作るとか。お金がかかるけれど。笑
その為にわざわざ遠出して観に行く
という方がなかなか贅沢な楽しみ方だし
カップラーメンの様にインターネットで
数分後には世界に即拡散配信されるよりは
プリヴィレッジ感がたっぷりで
楽しいですけどね。