夏休みは終わったというのに砂漠から吹き抜けるかのようなエアコンの室外機のような風が渦巻くこの頃。
妻と二人暮らしの警察官が人民のおこぼれのような税金で食っているにも関わらず、道を尋ねれられなきゃこちらから声を掛けないが如く冷たく国連の安保理決議は採択された。
アメリカの国連大使の女性はそのルーツにサウダージ(郷愁)を思わせる小アジア系も混じった黒髪ながら、北朝鮮問題と真剣に向き合おうとせず、何もしないほうが、静観し相手の様子を伺うほうがまだマシなんじゃないかと思うように早急に採決に踏み切った。
トランプ大統領は共存のための仕方のない戦争というより、理由もなくそこに敵がいるからとミサイルの発射ボタンに手を掛けている。
トランプという個人としてなら、まだ企業家ならプライドのための戦いは許されるかもしれない。
アメリカの市民層はベトナム戦争の時のような厭戦気分になっておりアメリカ国民が恥ずかしくなってるに違いない。
またベトちゃんドクちゃんのうような被害者を出すのか、戦争が終わって大量の自国の若者も死に何も得なかったような愚をまた犯すのか、と。
制裁においても経済的被害を受けるのもセブリを張ってるようなその日暮らしの庶民層であり金正恩政権ではないのに。
猪野木ではないが、なぜ外交でアメリカの新自由主義と北朝鮮の共産民族主義との対話で相互理解しないのか?
女性差別のトランプ大統領は、自国の文化を後進国には発信したくないのかもしれない。
北朝鮮の庶民にルイアームストロングを聴かせれば、アメリカに対する羨望と尊敬は生まれるだろう。
パンやワインを貿易すればアメリカに対する感謝も生まれるだろう。
人びとの怨念で造り出したような水素爆弾で祝賀ムードを出す北朝鮮のおばさんも哀れでならない。
「放っておけばいいんだよ、もう、ねえ」
テレビインタビューに答えた在日朝鮮人の商店街のおばあちゃん店員はそう答えた。
その人は金正恩が経験したことのないような大小様々な苦渋を顔の皺に表していた。
日本にいて商売することで塩を投げられるような経験もしたこともあるかもしれない。
一部の在日朝鮮人がそうだったように、息子が非行に走りまくり、苦労したかもしれない。
それでも日本を、世の中を信じた。
結局人間皆同じだという思いをどこかに抱え込んでいたのだろう。
商売を固めていく事で様々な日本人と知り合った。
その日本人らにも同じように違うところに田舎があると言う話も聞いた。
多少の感覚の違いはあるにこそ家族の幸せを願ってるのはよくわかった。
韓流ブームでよくお店に若い女の人も来た。
食文化にも興味を持ち、なんで日本と違うのだろうと興味を持って帰っていく人もいた。
旅人のような白人青年がきて、焼き肉は日本のものだと思いました、と寂しそうな笑顔をたたえて行った。
「日本人も朝鮮人なのよ。昔、大陸から渡って来て、今はここに住んでるだけ」
と笑顔で言った。
白人青年はぽかんという顔をして、作り笑いをして、ヨーロッパから渡ったアメリカ人みたいですね、と言った。
その在日朝鮮人のおばさんがいるのは大久保なのか西日暮里なのか西川口なのかはわからない。
この列島のどこかの庶民の海の流れに身をゆだねてどこかにいるのだろう。
西日暮里から流れるように浅草寺に着いた。
まるで高度経済成長期のように人々がいた。
誰彼も話題にならない話題を気を向くままに話している。
日本人も中国人もアメリカ人もカップルが目立った。
浅草寺は何時代に建って何宗だか知ってる?という話よりも浅草寺の近くにスカイツリーがあって、スカイツリーって俺達が付き合い出した年に建てられたんだぜ。そうなの、浅草寺は昔、近くにおじいちゃんが住んでたって言ってたと他愛のないものだ。
互いの日頃のストレスを放出するように旅に来た二人は、心の内に埋まってる質のいい情報を引き出せたにちがいない。
それは職場で活かすためか?
あの人の言葉を代弁するためか?
自分の世界を夢想するためか?
パジャマ用の半纏に行き着くためか?
今、この年の思い出を記録するためか?
風神雷神、阿形吽形と対話するためか?
壮年になり仏具の製作体験でもしたいからか?
傷心になり、下町のオリエント世界に癒しを求めてか?
日本人は民族系統が多少離れてる東南アジアの下町の寺院に行くだろうか?(植民地だった事もアメリカと共通)
アメリカがモンゴロイドのインディアンの文化を破壊した過去と、キリスト教から仏教的な考え方への移行にあるのかもしれない。
しかし、それは大きな波でもなく、大河でもなく、底流を流れる下水道のようにささやかなものに感じている。