相続放棄をするとなって、いろいろ調べたがどうやら放棄は自分たちでできるとのことだったので試しにやってみた。

 

父が亡くなった時の最後の住所地から、出す家庭裁判所が決まるとのことだったので調べてみると、ラッキーなことにうちから近いところにある家庭裁判所でほっとした。

 

遠くで亡くなっていたら困ったことになっていた(郵送でも行けるらしいが)

 

必要な書類を揃えて家庭裁判所に持っていって、しばらくすると(1週間くらい?)家に照会書が届くので、それに返信して家庭裁判所で受理されると相続放棄申述受理通知書が届く。

これで相続放棄終了。

 

わたしと母と妹(第一相続人、第二相続人)をいっぺんに行い、第三相続人(父の兄弟(うち亡くなっている兄弟にはその子まで。つまりわたしたちのいとこも!)に電話でまず連絡し、必要書類を父の兄弟のところに送付し、わたしのところに送ってもらうように手配した。

 

これがまずよかった。

 

歳いってる方々に、この作業はホントに大変だった。

送られてきた書類に不備があれば電話して直してもらったり、父の兄弟は遠くに住んでいるので戸籍謄本とかホントにもらうの大変で、そのたびにわたしと父の繋がりを証明する戸籍謄本を見せたりすることを考えたら、自分たちの書類は自分たちで取ってもらうのが良かった)

 

久々に連絡を取ったいとこに不覚にも優しい言葉を貰って、涙したり。

 

ホントに迷惑かけてゴメン…えーんって思っていたので、ホントに嬉しかった。

 

そろった書類をまた家庭裁判所に出しに行き(郵送でもいいらしいが、直接出したかった)

照会書が各兄弟いとこのところに届き送り返してもらい、相続放棄申述受理通知書をコピーしてもらい、それを私のところに送ってもらう・・・。

 

すべての相続放棄申述受理通知書をわたしが持ってまずやったこと。

 

それは保証人協会に連絡すること。

 

さて、どうなることでしょう!

2021年の9月。

 

「動けなくなった、食べられなくなったから何か食べ物を買ってきてほしい」

 

そう、わたしに電話をしてきた父。

 

2~3日に一回。そんな電話をしてきていた。

 

そのうちに「お金を銀行から降ろして来てほしい」「振り込みをしてきてほしい」

 

とお金関係も手伝っていた関係で、父のお金関係はなんとなくわかっていたが、全部でどれくらいあるのかは不明だった。

 

父が亡くなって、借金の総額が分かって、また父の貯金額も分かって。

 

本を見ながら問い合わせをしたのが

 

CIC…クレジットカード系の借金が分かる→歯科の治療費46万円

 

JICC…消費者金融系の借金が分かる→ゼロ円

 

全国銀行個人信用情報センター…銀行からの借金が分かる→ゼロ円

 

あれ?父の言っていた借金が出てこない。

 

そうなんです。

父の借金は、一緒に起業するのに借金をして保証人ゲローになり、起業した知人が逃げてしまったからという連帯保証人からのものなので、上差しを調べただけじゃ、出てこなかったのです。

 

家をくまなく調べて明細が出てきたのを見たところ、約370万円。

 

貯金は約400万円弱。

借金は370万+46万=416万円

 

 

返せるように見えるけど父から借金について詳しく話を聞いていなかった。

 

①もしかしたらこれ以上知らないところで借金をしているかもしれない

②葬式費用も考えたら完全に赤字

 

 

と考えた私たちは11月に相続を放棄する手続きを取ることにした。

 

相続には、単純相続(相続をする)

     相続放棄(相続をしない)

     限定承認(プラスだったら相続する等できる。詳細はこちら)

 

 

ただし1個1個について手続きが必要なため、煩雑な手続きが必要なこと、自分たちだけでなく間に弁護士さんなり司法書士さんを挟まないと難しそうに感じたこと(知り合いに声をかけてみたがやっていただけそうな方はいなかった)

 

わたしは最後まで限定承認を考えていたが、借金が明らかなことから相続放棄をすることに決めた。

     

二年前。

 

子宮筋腫による過多月経から子宮全摘を決心して、手術に向けて通院していた日々。

楽しみと言えばいつもお昼は給食を食べていたわたしにとっては外食!

しかもマックの月見!

 

病院に行く前、行った後。

 

マックだけじゃなくて、「今日は何食べようかなあ…」なんて選べるのがとても嬉しかったな。

 

生理がないのはもう快適すぎてなんにも言えません照れ

Hbも15台(もともとこれくらいw男子並み!)まで上がってきていて、また献血熱も上がってきているところ。

最近の献血ルームもコロナの影響で予約制になっているところが多く、またインドア派なのでなかなか献血ルームのある町までw電車電車に乗って行くのも億劫で、実現できていません照れ

 

子宮全摘から2年。

突然だった父の死から1年。

 

気持ちを忘れないために、ちゃんと文字にしないといけないな…と。

 

誰のためでもなく、自分のために。

 

もし記事を読んで「へ~」と思ってくれたらうれしいです。

その夜。

 

次の日の打ち合わせを子どもたちも含め、最終確認をした。

 

死亡診断書取りに行ったり。

(厳密には遺体検案書。これがめっちゃ高くて魂が抜ける5万円もした!お休みのところ来てもらって書いてもらうんだからそんなもんなの?)
 

ちょっと手が空いた時間があると、実家の中の大事な書類を探したり、自分の荷物でいるものを分けたり、冷蔵庫の中のものを処分したり大忙しだった。

 

午前中はそれぞれ学校に行っていた息子たちをそれぞれピックアップして、母を迎えに行って、斎場に向かった。

斎場に入って、葬儀会社の人と落ちあい、火葬する前にもう一度父の顔を見た。

 

ひんやりした空気をまとって、皺が取れ少し若返って見える顔。

その顔見て愕然とした。 

 

霊感はないけど明らかにわかる。

 

ここにはお父さんもういない魂が抜ける

 

あまりのさっぱりぶりに夫と顔を見合わせて笑った。

 

火葬をしている間待合で待ち、お骨になった父を骨壺に収め。

 

お骨になって、200万の歯が焼けずに残り(すっかり入れ歯の存在を忘れていた)

 

父をいまの母の家に連れていくことは母は嫌がるだろうから、私の家に連れて行こうと思っていた。

 

がその心配をよそに、お骨を抱え母は家に帰っていった。


普通のお葬式のお通夜とお葬式をすっ飛ばして、火葬し、お坊さんのお経をあげることなく、お骨にする。


なんの不都合も見当たらないように思った。

葬儀会社が間に入ってるから、棺も用意してもらえたし、ドライアイスも用意してもらえた。


湯灌がなければ九万弱でお見送りをすることができた。


もっともっと費用がかかると思っていたので、少しホッとした。

 

そして、ここから家族会議が始まったのである。


そう、遺産相続だ。


部屋を掃除してるときに発見したもの。


それは借金返済表………


まて!次回!



以前からずっと考えていたことだったのだが、父の葬式はしない。と決めていた。

 

親戚類はここから何百キロも離れた所に住んでいてみんな高齢。

来るのなら泊まりは必須。

内々で済ますことができるなら、それがいい。

 

そう思っていた。

 

うさぎ「あのさ・・・ お父さん直葬じゃダメかなあ…」

 

お母さん「ああ、お父さんもそう言ってたしね。親戚に連絡して言ってみるよ」

と、父の兄・姉に電話をかけ「コロナ禍ということもあって、こちらでやらせてもらおうかと…」と伝え、承諾をもらっていた。

 

 

母はパンフレットを眺めながら、「湯灌くらいはやろうかねええ…」

 

正直湯灌もいらないと思っていたが、別居していたとはいえ母がしたいというのなら、それでいいと思い、手続きをした。

 

葬儀会社の人がてきぱきと手続きをし、簡単な祭壇を作ってくれ、湯灌は明日の午後、行うこととなった。そして明日から明後日は葬儀会社に父はお泊りをし、明後日の月曜日に斎場で待ち合わせをすることとなった。

 

母と一晩実家で過ごそうと思案していたが、夫が「二人きりにしたほうがいい」というので、そうすることにしたが実際は眠くて仕方なかったと思う。

なんで夫がそういうことを言ったのか、いまだに謎だ(夫の自分の母が亡くなった時も、妹たちに番をまかせてぐーぐー寝ていたことを思い出したわオエー


不思議だったのは、亡くなったあとに体液の漏れがなかったこと。

警察の方になんて聞いたかは忘れたけど、訪ねてみたら


真顔「オムツ、履いてますよ」

とのことだった。


オムツ…?家にはなかったはずなのに、オムツ履いてたんだ…。

必要になるかなあ…と、生理が重かったとき使ってた私のオムツを今日持参してたけど。


あのちょいプライドの高い父がオムツを履いていた。

なんかちょっと信じられない気分だった。

 

翌朝、銀行が開くのを待って葬儀に支払うお金を降ろし、母と交代した。

午前中はわたしと父と過ごし、葬儀社の方が午後に来てくれた。

 

うちの部屋の近くのエレベーターはうちの階には止まらないため、近くのエレベーターを使うには階段が必要だった。

父を部屋から出す際に、白い布にくるんで担架で運ぶのだが、エレベーターに載せるのに奥行が足りず、縦にする必要があった。

 

階段の上り下りの時点でちょっと手際が悪いな…と思ったが、お互い緊張していたのか、白い布から足が飛び出てしまったオエーオエー

 

いったん仕切り直しをして無事に車に乗せることができたが、誰かとすれ違うんじゃうないかとめっちゃひやひやしていた驚き


葬儀会社の人もさぞ肝を冷やしたことだろう。


お父さんなら苦笑いして、なんか冗談の一つでも言ったんだろうけど、わたしにはなんにも思い浮かばなかった。

 

湯灌といっても、みんな普段着で集まった。

 

めんどくさがりだったし、頼まれた洗濯物の様子、実家のお風呂場の様子から見てここ最近お風呂には入っていなかっただろう父の湯灌をみて、不覚にも


泣くうさぎ「気持ちよさそうだな…。湯灌してよかったなあ…」


と楽しかったころの思い出を思い出しては、一人泣いてしまった。

 

湯灌師さんに「お髭どうされますか?」と聞かれ、わたしがとまどっていると、母が

 

お母さん「お義父さん、口ひげに憧れててたから、上だけ残してあとは剃ってもらおうかな」

と言った。

 

そんなことを知らなかったので、やっぱり夫婦だけにしかわからないこともあるんだな…と新ためて思った。

 

旅支度をみんなでして、買ってきたお花を顔周りにたくさん乗せた。

 

乗せたあとは、このままここで父は一泊お泊りなので車で帰宅した。

 

(タイトルにもあるように、今回の記事はネガティブ表現がある記事です。直接的な表現もあるため、苦手な方は読まないことをお勧めいたします。)


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いつもの少し離れた駐車場に車を止め、借りてきた車椅子を押しながら部屋へ向かう。

 

構造上の理由で、郵便ポストがあるところのエレベーターはうちの階には止まらないので、郵便ポストの中を見たほうがいいのかな…と思いながらも、隣のうちの階に止まるエレベーターへ向かう。

 

ちょうどお昼にかかる時間で、車いすを置いたら夫とどこかでご飯を食べよう…そう思っていた。

 

いちおう玄関のチャイムを一回鳴らして、鍵を開けて入る。

 

うさぎ「おとーーさーーん。約束通り来たよ~」

 

玄関からすぐのいつもは閉まっている引き戸は開いていて、すぐのスペースで父が横向きで寝ているのが見えた。

 

昨晩、夫が帰る前に少し嘔吐があったようで、布団をベランダに干していた、と聞いていたので、

 

うさぎ「ここで寝てたんかな…」

と思った。

 

そして最近痛みで眠れないこととわたしが夜に訪ねたときも寝不足のせいなのか少し反応が鈍かったので、奥の部屋にまず荷物を置こうと、寝ている父をまたいで驚き乗り越え、荷物を置きながらうさぎ「おとーーーさーーーーん?」と呼びかけた。

 

後ろで夫がわたしの名前を呼び、

お父さん「あ。これダメだ!!!」

 

と。

 

振り返ると、夫が父の手を握り脈を確認しようとしていた。

 

お父さん「おれ、こういうとき自分の脈を拾っちゃうんだよな。これ、自分のかな、どっちかな」

 

と焦った様子だが、もうすでに死後硬直が出ていて、横たわった形のままどこも動かせない父の姿があった。

 

お父さん「電話!!電話!!!」

 

という夫に

 

汗うさぎ「ねえ!救急車救急車?警察パトカー??」

 

と聞くと

 

少し考え、お父さん「救急車!!」

 

と言われた。

(後から考えると、もう亡くなっているの確かなら、警察だったかもね…)

 

携帯からかけようと思ったが、動揺しているから家電のほうが住所も分かるだろうし、電波の状態から行っても家電!と家電から110をした。

 

救急車「すぐ向かいます。とりあえず、心臓マッサージをしてください。わかりますか?」

 

と言われ、つい先日職場で受けた救急救命講習を思い浮かべる。

夫は教えることも出来るので、OKとしてわたしはホントに人生初の心臓マッサージだ…凝視と、夫に心臓マッサージをするよう指示した。

明らかにわたしの見た目で亡くなっていることが分かっても救命措置はするんだな…とぼんやり考えていた。(救命士?の方に電話越しに聞いたのだが、心臓マッサージをする、とのことだった)

 

硬直が始まっているので、横向きから仰向けに体を起こすが、手や足が曲がったままの状態で、夫と交代しながら心臓マッサージを続ける。

 

すぐに遠くから救急車救急車がくる音が聞こえ、幾分かすると玄関のチャイムが鳴った。

 

救急隊の方が、AEDを取り付けてくれるが、波形はフラット。

何回か電気ショックがかかったが、やはりもう見た目からアウトなのがお互い分かり、救急隊の方が警察を呼んでくれた。

 

わたしの母に電話をし、ここ最近父からの呼び出しがあったこと、救急車を金曜日に呼んだこと、週明けに病院に行くから車いすが必要だったので届けに来たら亡くなっていたことを告げた。

 

母は真顔「わかった。すぐ行くね」と返事をして来てくれた。

 

病院以外の場所で亡くなると、警察を入れることはわかっていた。

そうこうしていると警察の方が来て、実況見分をすることとなった。

 

その間は部屋に入れないため、自分の荷物を持ち、外のベンチで待つことに。

 

その時点で14時近かったので、夫が近所のコンビニでパンを飲み物を買ってきてくれ、母と談話しながら待った。

 

夫は今日の最終の新幹線で単身赴任先に帰る予定だったので、切符を変更しに駅へ向かった。

 

ようやく警察の方が呼んだ医師が15時半近くになって到着し、遺体の懸案が行われ事件性もないことから、16時過ぎてわたしたちはようやく部屋に入ることができた。

 

待っている間、母が以前父が葬儀の互助会に入っていたことを思い出し、葬儀の手続きをすぐにしたので、17時に葬儀の方が家に来ることとなった。

 

部屋に入ってみると警察の方が父をお布団に寝かせておいてくれた。

 

硬直も解けたのか、きちんと上を向いて寝ている。

 

うさぎホントに…死んじゃったのかな。

 

全然実感は湧かなかった。

 

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父の家から自宅に帰るまでに、自分の夫に報告。

 

父はわたしの夫と結構連絡を取り合っていた。

 

不安定なことから今週末、単身赴任先から帰ってきて、父と話をしてくれると新幹線の最終に乗ってきてくれていた。

 

わたしは土曜日は仕事で、日曜日は自分の検査をしに病院に予約をしていたので、行けても日曜日の午後なので、一緒にはいかず土曜日に夫は父を見に行くことになった。

 

父も「仕事だから土曜は夫が行く」ことを了承していた。

 

癌の大きさから行って、10年間育てたものだということ。

歩けなさから行って、来週の病院へは車いすが必要になるのでレンタルする必要があること。

 

翌日わたしは仕事の合間を見て車いすのレンタルをしていて、なおかつ土日にやっているところをピックアップしておいた。

 

また、同僚のお子さんの通っている保育園でコロナ要請が出ていて、濃厚接触者になったとのこと。

もし、お子さんがPCR陽性だったら、月曜日の出勤を替わる約束をしていた。

 

その結果がでてPCR検査結果が出て陰性だったとのこと。月曜日の出勤がなくなったので、月曜日はお休みにさせてもらい、夫に病院に電話して診察の予約を月曜日にしてもらった。

 

夫は土曜日はもう父のところへ行っていたため、車いすのレンタルは日曜日の午前中、わたしの病院が終わったらその足で向かうこととなった。

 

仕事が終わって帰ってくると、夫はまだ帰ってきておらず、20時過ぎに帰宅した。

いろいろこれまでのこととか、つらつら話したり、男一人暮らしの部屋がめっちゃ汚いので掃除をしたりしたらしい。

 

どちらにせよ、来週病院にちゃんと行って、診てもらってからじゃないと、介護保険にせよ治療にせよ決めることができないよね、という結論で終わった。

 

翌日も日曜日なのに早起きして、MRIを撮り(膝の老化だった…)約束した通り、車いすをレンタルしに行った。

 

短いと二泊三日、とかあったけど、料金が大して変わらないので、延長にしてかかってしまうよりは最初から長めに…と2週間で予約して、車に積み込み父のところへ置きに行った。
 

病院につき、手続きをして待合室で待つ。

 

30分くらいして、先生に呼ばれた。

 

やった検査はCT、血液検査もろもろ

 

病院「まずお父さんが訴えていることは

 

胸が痛い、身体を動かすことが難しい。とのことです。

 

3カ月くらい前から咳

2カ月前から食欲低下

1カ月まえから胸の痛みが出てきた

と言っていましたが、合っていますか?

 

うさぎ「いや、ここ何年も連絡を取っていなくて、最近体が動かなくなってから買い物ができなくなって、会い始めたのでよくわからないです驚き

 

そんなこともまあ普通にあるのか淡々と話は進む。

 

病院「血液検査の結果は、まず腎臓は問題ないです。

レントゲンは右の肺が白くなっています。

足の付け根が痛い、ということでしたがゴリゴリしたものがあります。

 

CTを見た限り、進行性肺がんの疑いがあります。」

 

その言葉を聞いたとき、

ああ…やっぱり…うさぎ

 

と悲しいわけでもなく、無の気持ちで引き続き聞いた。

 

病院「このCTを見た貰うとわかるけど、左の後ろのほうにも腹膜に転移してます。

足の付け根の痛みも、がんの転移でしょう」

 

 

そっか…。やっぱりそうなんだ。

んでこのまま入院なのかな。

 

 

病院「で、ここは救急なので詳しい検査は出来ません。来週の一般の時間に来てもらって、詳しい検査をしてください」

 

え…あ…入院じゃないんだ。

 

病院「来週いつがいいですか?」

 

の話に、ちょうど今日、勤務先の同僚のお子さんの保育園がコロナの陽性の子が出、お子さんが濃厚接触者になったとのこと。月曜日代わりに出る約束をしたところだった。

 

月曜日が無理なら、金曜日…。

 

もっと早くしたい…と思ったが夜なのでほかに連絡の取りようがなく、その日は金曜日に予約を入れ、痛み止めをもらい(カロナール驚きってがんに効くのかな)帰宅した。

 

実家のマンションは部屋のすぐ近くに車を止められず、来客用の駐車場に止めて、歩かないといけない。

 

しかもあるいて2~3分はかかるので、父とわたしと長男はゆっくり歩いたが、買い物も頼むほど弱っていた父にとって、むちゃぶりなことだった。

 

…積んである台車が一瞬頭をよぎったが、振動と小ささに無理と判断。

 

迷っていると息子が

 

「おんぶするよ」

 

びっくり

 

うさぎ「ええ?大丈夫?」

 

と聞くと

 

「大丈夫大丈夫!」

 

と軽々と(実際軽くなってたと思う)おんぶし、無事に家に到着し、痛み止めを飲ませ、

 

「わたし明日仕事だから、夫君がくるよ。わたしと夫で日曜日にくるからね」

 

と約束して、自宅に帰った。


あれだけおじいちゃん「病院に行ったらもう帰れなくなる…」


と騒いでいたのに、すんなり帰ってこれたので拍子抜けしているようだった。


今になって思うのだが、先生の話はわたしと長男で聞いた。父は別室にいたようだが、このことは知っていたのだろうか?うさぎ

 

新幹線の最終で帰ってきた夫を駅までその足で迎えに行き、その後のことを話しあった。

 


 

いよいよ2022年が始まった。

 

年末は、「このテレビ、父が好きだったな…」とかいまはもうない実家のこととか思うとちょっとセンチメンタル的な気分になり、

 

うさぎ「…もう何もしたくない」

 

と思っていたけど、主婦であるわたしにとってなにもしないという選択肢はなく。

 

気になったところを適度に掃除したりw

これ食べたいな…と思うものを作ってみたり。

 

正月気分は正直作りたくなかったけど、りんごきんとんは食べたかったので作ったが、ぱっさりしていたのでこのあとバターと牛乳を入れようと思う。

 

うちの父と義母は年末年始の同じ誕生日。

 

結婚してすぐのころ。

お父さん「年末年始は義実家で過ごすもの!」

 

と明治の頑固おやじよろしく夫が言っていた。

 

そして、お義母さんの誕生日を張り切って祝うまでがフルセット。

 

うさぎ「うちの父も誕生日なんで年交互に祝うんじゃダメなんかね?」

と夫に聞いたこともあったが

 

お父さん年末年始は義実家で過ごすもの!

 

と言われた。

 

文句を言うと

 

お父さんお前は何家に嫁いできたんだ?ムキー

 

という始末。

 

いったい何時代のイキモノなのかしら。

とその頃から醒めた目で見始めていた。

 

お義母さんが10年くらい前に亡くなってからも、義妹が「お義母さんの誕生日を祝いたいラブ

 

と言ってきたので、年末年始もかかさずいない人の誕生日を祝い続けた。

 

ここ何年かは息子たちの受験が続き、さすがに受験の年の帰省(必ず3~6日は泊まり)は免除だったが、夫と受験のない息子たちはかかさず23年義実家に帰省していた。

 

まあ不謹慎だけど、義父と父は20歳くらい年が離れていたのもあり、先に亡くなるのは義実家のほうで二人とも鬼籍に入ったら、わたしの実家のほうでゆっくり過ごせばいいか、と単純に思っていたのもあった。

 

4~5年前お義父さんが脳溢血で倒れ体が不自由になり、グループホームに入り義実家に誰もいなくなっても、コロナが流行っていた昨年もかかさず帰っていたが、今年。

 

29日に

 

お父さん「お義父さんを自宅(義実家)に正月連れて帰ろうと思ってたんだけど、コロナ関係もあってダメになった」

 

と。

事前に正月は義父と義実家で…と言っていたので、まあそらそうだろうなにっこりと思っていたし、そうはいっても31日くらいには帰って早くて1日、遅くても2日には戻ってくるんでしょ、と思っていたのだが、なぜだか今年は

 

お父さん「これから夕方かえって30日に戻るわ」

 

…と。

 

年末年始を誰もいない義実家で、自分でご飯を用意したりお餅買って帰ったり、夕飯外食したり…というのが面倒になったことがネックなんだろう。

 

わたしと自宅にいれば、黴臭くないあったかいこたつに入ったきりで、お風呂も沸かしてもらえるし、ご飯は出てくるし掃除して帰らなくてもいい。

 

物申すそんなんで曲げる信念なら、父の誕生日を交互に祝うくらい、どうってことないと思うんだけどむかつきむかつきむかつきむかつき

 

怒っていった割には簡単なことで自分の信念を曲げ、対したことないことを大げさに言ったりする人なんだねにっこりと夫の言う言葉が思ったよりも軽いことも知れたし。

 

 

 

わたしもわたしで、夫を立てていこう、夫についていこうとか殊勝なことを思ったりしてたけど、もういいや

 

 

わたしもわたしの好きなように主張していこう飛び出すハート

好きなように生きていこう飛び出すハート

 

今はもう令和。

わたしも上手にアップデートしていこう。

 

父の誕生日を祝ったことがもう20年近くないしこれから先も祝うことはない。

 

もともとそんなに好きじゃないし、母に「出ていけ!」と父が言った日から母派だし、足が遠のくようになっていたのに更に拍車をかけて交流をなくさせていたのは夫なのになにこのひどい仕打ちの正月…凝視

 

義実家で毎年みんなが楽しみに見ていたニューイヤー駅伝を、今年も冷めた目で横目で見つつ、メルティーキスのイチゴ味を食べる。

息子の塾が19時からなので、早めに夕ご飯を食べていた翌々日の金曜日。

 

お父さんからスマホに電話が。

 

お父さん「さっき義父おじいちゃんさんから電話があって、救急車を呼んでほしいって」

 

うさぎ「は?」

単身赴任中の300km以上離れている夫にヘルプ?なんで自分で呼ばないの?驚き頭おかしいんちゃう?という言葉を飲み込んで

 

うさぎ「お父さんがホントに言ったの?わかった。呼ぶね」

 

と電話を切り、119番をしたのだがいかんせん父の住んでいる市とわたしの住んでる市は違うので、管轄の消防署にかけないといけないとのことを丁寧に教えてもらって、救急車を依頼した。

 

救急車「もしもの場合はカギを壊して中に入りますがいいですか?」

の問いに

 

うさぎ「え…あ…はい」

 

としか答えられなかった。

 

わたしは焦って運転したくなかったのと、いざという時のために長男(運転免許持ち&力持ち)を隣にのせ、実家まで急いで向かった。

 

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実家の近くの救急車が止められそうな道に辺りをつけて、車を回すとそこにもう救急車はまだいて父も救急車の車内にいた。

 

救急車「お電話をくれた娘さんですか?」

 

横になって目をつぶっている父

 

救急車「お父さん、とにかく足の付け根が痛いと言っています。また息がしづらい、と言っています。かかりつけの病院はありますか?コロナワクチンは打っていますか?」

 

うさぎ「ほんとに病院嫌いで、かかりつけもないですし、ワクチンも打っていません」

 

先日父にワクチン打ったか聞いたら、おじいちゃん「どこで打ったらいいかわからない・・・」と言っていたし、コロナが怖くて外に出ていないと言っていた魂が抜ける

 

テレビが大好きでずっと見ていたせいでもあるし、周りに聞く人がいなかったんだろう。

今年の初めに仕事を辞めてから、新しい情報が手に入りにくくなっていたのかなあ?

 

もう70歳で優先枠もあったはずなのに。

 

うさぎ「あの…鍵はどうなっていますか?」

 

いくら老人の独居とはいえ貴重品もあるから、もし鍵を壊したんだったら誰かに門番を頼まないといけない。

 

救急車「ああ、ご自分で歩いて鍵を開けられましたよニコニコ

 

と救急隊員のお兄さん。

 

救急車「この中に貴重品と鍵と靴が入ってますからニコニコ

とスーパーのビニール袋を手渡してくれた。

 

え…動けんじゃんオエー

自分で呼べたじゃん…無気力無気力

 

私が救急車に乗ってすぐ、搬送先の病院が見つかりわたしは自分の車で搬送先の病院に向かうことになった。

 

結婚して20年余りが経ち、すっかり土地勘も無くなっていたのだが、何とかわかる道をカーナビだよりで憂鬱な気持ちで向かうこととなった。

 

…これで入院になって、もう出れなくなるのかな。

なんとかでれてもターミナルケアになるだろうから、そういうところも探しておかないとな…。

 

そう思っていた。