こんにちは maCです! 電話越しの君へ 引き続きお送り致します。
信じられなかった。彼の撮った写真と最初はまったく気付かなかった。何枚も見ていくうちに撮影している
視点・表現方法を見ると彼の写真ではないか。そう感じた。
それでも確信ではない。
すぐにブログをアップした知人に連絡をとった。
返信がくるまで、居ても立ってもいられなかった。連絡は幸いにもすぐに取れた。
メールの返事は
「残念ですが、彼です。」
メールを返信する指は震え、寒気さえも感じた。
体中の震えが止まらなかった。悲しんでいる余裕などない。
本当に信じられなかった・・・
通勤電車のなか震える手を必死になって抑え、知人とのメールを続けた。
ブログの知人が彼が亡くなった一報を受けたのは、彼が一緒に仕事をしている相方の方からだった。
相方の彼はブログの知人のことをよく話ししていたらしく、この一大事をブログの知人に伝えようと考えたそうだ。
電話越しの君の私も知らない事実が続々と明らかになる。相方の彼だから知っていたことなのだろう。
彼は昔から自殺願望があった。時たまその感情が湧いてくるようで相方の彼はそのことを打ち明けられていた。
最近の電話越しの君を心配していた矢先の出来事だった。
私maCはもちろんそんなことは聞いてはいなかった。そのことを聞いて今までの電話越しの君の発していた言葉・言動の理由が
やっと理解することができた。
そうか君は「さみしかったんだね。苦しかったんだね」
私たちは目に見えない世界の存在については語り合っていた。その世界を受け入れていたし、自殺などをしても意味がないことを知っていた。それでも電話越しの君は自殺という行為にいたった。
これは私なりの解釈だが「君は分かっていてもこの世界は生きづらいと感じていたのでしょ?
理屈では分かっていても心はウソをつけない。そんな自分の心の声に素真に答えたから?」
そう電話越しの君に伝えたい。
この世界が楽しくてしょうがない。死ぬなんてもったいないと思わせることができなかった私自身くやしかった。
彼の心の奥深くまでは入っていくことできていなかったという事実は他の人からのエピソードを
聞けば聞くほどあきらかになっていく。
電話越しの君へのイメージは多方面からの話を聞くと少しずつ変化していく。
彼だけの話を聞いていた視点・イメージは、ほんの片面でしかなく浅はかなものだ。
この世界は片側の視点でこっちが正義だ、あっちが正義だと争っていることが多い。少なくとも私が見ている世界ではそんな傾向にある。見られている自分に意識が向かい過ぎているのだ。電話越しの君も私と同じように本当の心の声を出せずにいた部分があった。何故か分からない不安感に苛まれて生きていた。
これが地に足がついていない状況なのだろう。
だから電話越しの君は、この地を離れていった。自殺はダメというそれだけの視点で片付けるのは私自身気に入らない。その行為にいたったそれなりの理由がある行動を起こしたからこそ分かることが良くなる。彼は行動を起こしたのだ。
彼は最後に遺書残していた。
一言 「ありがとう」だった。
何とも電話越しの君らしい。
彼の笑い声が、笑顔が浮き上がってくる様な感覚・・・・。
その瞬間、電話越しの君の死を受容することが出来たのか、涙が込み上げてきた。
「本当に君はいなくなったしまったんだね。水くさいよ。言ってくれよ。
もう一度、会いたかったよ。やっと友達になったのに。まだ話したいこといっぱいあったのに、
なんで逝ってしまったの?」
我慢していた感情も同時に溢れでてくる。
それから共通の知人と何度か連絡を取り合って、彼の思い出話に花を咲かせた。
知人も亡くなった彼からメッセージを受け取っていたらしく、信じるか信じないかは
別としてメッセージの内容は
「悲しまないで。僕は卒業したんだよ。お祝いしてよ」
確かに彼が言いそうな言葉だ。想像がつく。
人それぞれ死生観は色々とあるが彼は死を無でなく、卒業と捉えた。
今でも信じられないが彼とは一度しか会っていない。便利な世の中になり遠くの人でも
どんな時間でもつながることができる。
今の時代にそれは当たり前のことではあるが私macにとって彼との思い出、主に電話だけ
だが生き方をもう一度考え直すきっかけを生んでくれた。片側しか見れていなかった視点を増やしてくれた。好きなこと内側から湧き出てくる感情を解き放っていくことが大切だと
いうことを教えてくれた。
彼も私と出会いそう感じていたと確信している。
電話越しの君との思い出にいる時は私は彼とつながっている。思考を超えた私ときっと話を
しているだろう。
電話を超えたテレパシーで
おわり