朝から降っていた11月の肌寒い雨が夜にはみぞれに変わっていた。

 

僕は自転車を走らせ近くにあるフルコンタクト空手道場に体験入門するため向かっていた。

 

道場の位置は事前にグーグルマップで調べていたので、

近くまで来ているはずなのだが、どうもそれらしき道場が見当たらない。

 

住所を確認しても間違っていないのだが、

今いる場所は予想に反して閑静な住宅街で、

荒々しいカラテの道場があるような場所にはとうてい思われなかった。

 

あれれと思いながらもそのあたりをうろうろしていると

 

ちょうど目の前にある少し古びた木造アパートの壁に、

 

「極真空手道場はこちら」と書いてある看板を発見した。

 

「あー、あった、あった」

 

一人心の中でつぶやいて、

 

「それでは行くか」と気分を整えた。

 

実は今日ここに来るまでにかなり緊張していたのだ。

 

カラテ道場と言うとどうも殺伐とした印象が強く、

 

さらに僕が今日体験入門するカラテ道場は

 

当時子供であった僕たちを魅了した漫画、

「空手バカ一代」の極真空手の道場なのである。

 

創始者の大山倍達総裁は牛殺し、

更には全盛時代のプロレスラーアントニオ猪木と

死闘を繰り広げたウイリーウイリアムは熊殺しの異名がある。

 

もうね当時子供であった僕たちの心の中には、

極真空手に対しての畏怖の念が強烈なまでに存在しているんだよね。

 

だからそんな極真空手の道場へ体験入門する予定の僕の心臓は、

危険信号をキャッチしてバクバク鳴っていた。

 

「あーでもしょうがない、ここまできたんだ道場の門を叩こう」

 

と、思ったのであるが、道場の門、いや入り口がわからない。

 

さっきの看板に沿って進んでみたのだが、

古いアパートをぐるっとまわっただけで、

行き着いた先はそのアパートの駐輪場だったのだ。

 

子供用の自転車が何台か止まっているなんの変哲もない駐輪場。

その先にはアパートの隣の鉄筋コンクリートの、

ちょっとおしゃれな家があるだけで空手の道場なんてみあたらない。

 

「あれれ、道場はどこだ」

「わからないなあ」

「そうだ僕は痛いことはきらいなんだ」

「よし今日は道場がわからなかったことにして帰ろう」

 

道場がわからなかった事をこれ幸いに家に帰ろうとした時、

目の前のコンクリート打ちっぱなしの家の壁に掲げてある

極真空手道場と書かれた看板が僕の目に飛び込んできた。

 

「オーマッガッ!何たる不運」

見つけてしまったのだ、またまた看板を。

今度こそこの先には道場があるに違いない。

 

でも待てよ、入り口がわからない。

「えっ、どっからはいるんだ」

 

と思って看板の先を見てみると、

ちょうど木造アパートの塀と鉄筋コンクリートの家の間には

せまい通路があり、その先にはドアがあった。

そしてドアには「極真空手道場」の看板が掛かっていて

その横にはインターホンがあった。

 

一度道場が見つからなかった事を理由に家に帰ろうと思い、

家に帰ってからも妻に、

「いやーまいったまいった、道場がわからなかったから今日は帰ってきたよ」

こんなヘタレな言い訳をしても大義名分が立つと思って、

すこしホットしたところだったのだが、

見つけてしまったのだよ、

 

入り口を・・・

 

「あーあ見つけてしまった」

 

心臓の鼓動のバクバクが更に高まった。

 

時刻は夜の7時50分、降り続けているみぞれは更に冷たさを増していた。

 

こうなったからには僕は、道場のインターホンを押さないわけにはいかなくなってしまったのである。