ある日突然、他人の顔が鏡に見えるようになった。
「なんだこれ」
僕は唖然として立ち尽くしていた。
ご近所さん、通勤電車、上司や同僚みんなの顔に当たる部分は鏡に変わっていた。少し面白かったのは、ランチタイムには鏡が手鏡を持って化粧をしていることだった。必要あるのかよと、笑っていた。
だけど、それは裏を返せば鏡になったみんなを僕だけしか認識していないということだ。
しかし、特にこれは困ったことではない。不思議とそれでも誰が誰かというのが認識することができる、表情も鏡の歪み方などで分かるようだ。
「青池、こっちにきてくれ」
「はい」
上司に呼ばれデスクの前に立つと、そこにはおぞましいものが映っていた。僕の手や足には枷が付いていて、薄汚れた囚人服を着させられていた。どういうことだ…?
「青池どうした?」
ハッとすると上司(と思き鏡)が僕の肩を揺らしていた。多分、心配してくれている。いや、いやいや、していない。鏡の歪みが全くなかった。そして、鏡の中の僕の顔はやたらと疲労感を見せていた。
分かったことがある。鏡の中に映った僕は、映している相手が僕のことをどう思っているかが分かるらしい。上司は僕のことを囚人だと思っている。つまり、本人は看守だ。横暴な態度をとっては囚人に鞭打って働かせて悲壮感や疲労感を見せた顔が大好物。そんな最低野郎だった。しかもこの時、上司は無感情でこれをやっているのだ。心配なんかしていない。
その夜は気になっている同僚の女の子とディナーの約束だった。見てはいけないとは思いつつ、鏡の中を覗く、やはりダメだった。鏡の中の僕はブランドのバッグや甘い流行りのお菓子を携えている。僕は金ヅルだったということだ。
「『人は鏡』とはよく言ったものだね」
今日で久しぶりに鏡じゃない人の顔を見た。しかし、それは知らない顔だった。
「みんな醜い顔をしているだろう」
「なんなんだよ、この世界は」
「誰も自分のことを見てないなんて、つけあがるなよ?」
「は?」
聞いたことが返ってこないことに僕はイラっとした。
「おい、お前」
「無関心が一番怖いことなんだ。興味がないふりしてみんな意外とその人のことを見ている、それに気づかない無関心さが怖いんだよ、人間は」
そんなの…分かってる。
「分かっていないんだよ」
分かっていない、そうなのか。
「無理に好かれろって言ってるいるわけじゃない」
「じゃあ僕はどうしたらいい?」
「朝起きて、鏡を見るだろう。それと同じだよ、身だしなみは常に整えなければいけない」
次の日から、人の顔が元に戻った。いつも通りの風景だ。
朝起きて、顔を洗う時、あいつの顔が思い出せないことに気がついた。確かに知っているあの顔にすら、僕は無関心だったのだろうか。
せめて、身だしなみを整えよう。せめて、今日これから会う人たちには挨拶をしてみよう。
楽しく周りを気にしよう。
過去の自分とまた面と向かって遊べるように。
