僕のいちばん古い記憶、それは夜の岐阜羽島駅の新幹線ホーム。たぶん4、5歳くらいの頃?一枚の写真の様にそれは記憶に残っている。大きくなってから分かったことだが、それは母や叔父に連れられて行ったらしい。旅行に出かける為などではない。父を迎えに行ったのだ。躁うつ病(今で言う双極性障害?)だった父は上げてる時は家などにいなかった。女を作ってはどこへでも行ってしまうような人だった。その父を「帰ってこい」と説き伏せて迎えに行ったらしい。お金も相当に浪費していたと思うが、当時の実家があったところは新興の団地がどんどん出来ていく途中で、自営で住宅設備をやっていたうちは仕事には事欠かなかったようだ。そう、普段の父はそこそこ真面目に働いていたのである。子供の頃からよく連れられて手伝いをしたものだ。おかげで小学生の頃には工具等の名称は全部知っていた。あっ、役に立ってる事もあるんだww
 上げてる時があるという事はもちろん下げてる時もある。これが最悪で、いや、地獄なのである。ずっと家に居てお酒吞んでるだけならいいけど、機嫌も最悪なものだからとにかく長男の僕が的になる。弟が2人いるのだが、子供だから喧嘩くらいする。すると怒ってコンクリートの土間で正座。時間未定。でもこれぜんぜん優しい。冬の雪の中へ放り出されたこともある。マジで死ぬかと思うよ。まあほとぼり冷めた頃に母が入れてくれるのだが。いちばんツラいのは家の中が常にどんより重い空気に包まれてること。子供ながらに父の顔色ばかり窺ってた。そんな環境の中で幼い頃を過ごしたもんだから暗い性格で小学校では苛められたりもしたなぁ。

 しかし、中学生になって周りの友達もガラッと変わり思春期真っただ中の僕。この世の春を謳歌するかのように彼女を作ってみたり、振ってみたり、振られたり。すこし不良の真似事してみたり。でも家に帰るとあの父が居る。反抗期も重なってやり合うわけですよ、はい。でもねやられちゃう訳です。足蹴にされて母が助けに入ったこともあるし、何かの棒切れ持って立ち向かってみたり。でもそんなこんなが嫌で中学何年だっけか?一晩だけ家出したのよ。(今思うと可愛いもんだわww)で、翌日に職員室に呼び出された訳です。父が来たよね。で、職員室入ってくるなり先生方も居る中で渾身の力を込めてビンタよ。気を失いかけました。倒れそうになる僕を担任の先生が受け止めてくれた。その時目の前に居た生活指導の先生の顔が未だに忘れられん。(これヤバい奴じゃん!みたいな顔ww)

 

                                                   長くなりそうなのでつづきはまたいつか…