認知神経リハビリテーション(旧 認知運動療法)の話が日本で出たのは、1990年代頃だそうで、イタリアにいた日本人リハビリ療法士が片麻痺は治るかもしれないと発見している。 現に重度の片麻痺のとき、私は全力疾走できるようになったわけではなかったが足の装具が不要になったことがある。 この解放感は忘れられない。

<a href="http://chatcafe.littlestar.jp/ninchi/ani/20081008.3gp">ぶん回し歩行でなく、地面を感じて歩いた(動画、携帯で撮った3gpファイル)</a>

認知神経リハビリテーションは新しいリハビリ療法。




以前、認知神経リハビリテーション学会の会員に配られたTemiという冊子で、認知神経リハビリテーションを受けた患者の感想みたいなものを読んだことがある。

とても上手な文章だったし、読み応えがあったと覚えている。

認知神経リハビリテーションを受けた人の生の文章で、貴重である。

ブログでこんな文章を読みたいけど私は見つけてない。




偶然私は1回目脳出血で認知神経リハビリテーションを受けはじめた。(2002年頃) 脳出血で頭がすっきりしないときから、質問が多くて考えさせられるが、自分のイメージとは違うリハビリだと思っていた。

知らない人が多そうだと、かっこ悪いHPで公開したが、「読む人はいない、自分しか見ないものだよ」「はずかしい・・・」といいイメージを持たれなかった。 でもHPに載せ続けてしまったが。

神経患者が質問に答える言葉には、患者本人が感じた独自の感覚の言葉が出るときがある。 でも確かに人のHPで見てその言葉を真似して表現しても、リハビリの意味は持たない。 リハビリ中に自分の感覚が変化して、「今はこう感じました」と言いセラピストに伝わり、セラピストの施術は成功になるわけだから・・・ 

認知神経リハビリテーションを受けている人の言葉を、患者は読まなくてもいいのかな。

2006年リハビリ制限が始まるまでは、通院リハビリは週2回もあるような状態で、その頃セラピストの質問に答えられず答えを知りたいとか、どうして質問をするのか聞いていたのを覚えている。 でもセラピストは、種明かしはできないと言った。

考えて自分で質問の答えを見つけなさい、と言われたと思う。

私は困っている。
自分ではしゃべっていないのに、声が出ている。

それを知ったのは、
父が私は寝言を言ってると聞いた、
夫が突然「呼んだ?」とよく聞かれる、
入院中に消灯後に看護師から「しゃべらないでくれる?」と言われた、
などである。

入院時に無意味に声を出す、特に夜に人の睡眠を阻害するからやってはいけない。
けれど、看護師に苦情を言うのは、おばさんで、おばあさまではないようだ。
おばさんがうるさくて寝られないと怒っているとき、私はベッドごと別部屋へ移動する。
おばあさまばかりだと、寛大でいらっしゃるのか、消灯前から寝ているご様子。

看護師にしゃべっていないと言ったことはあるが、でもしゃべらないでねっと言われた。

普段話せず自分の声を聴いたこともない。
発声のコントロールができず、パソコンで考えてたら声を出したりする。

夫に私は何て呼んでいたか聞いたことがある。
『ウ~、ウ~』って。。。
呼ぶ声でなく、うめき声?

耳さえ聞こえたら、このホラーめいた声、出すことやめられるのに・・・




 

ある日自分がオムツで寝てると気付いたのは、2回目の脳出血で1か月位だったであろうか。
オムツ交換をしてくれたのは男性の看護師で、頭が混乱したことは覚えている。

後になって自分のオムツを交換してくれた男性看護師は職人に思え、どんな方だろうかと思い、どんな仕事をしようと考えたとき、人のためをまず最初に思ったのじゃないか。
私は製薬の研究を思ったけど、人のためというより自分のためと思った気がする。

脳出血後、自宅に帰るため約1年間リハビリ入院した。
ある日担当の看護師が、リハビリ時間に来て療法士に質問した。
「排泄は出さないよう訓練はできないのか」
するとこのブログに最初に登場したPTの先生は、膣を閉じるとできると聞いたと言った。
このような情報はPTの試験には出なそうで、記憶力いいなと思った。

女性の出血みたいな生理は意識でなく出てしまうが、今の排便も勝手に出てしまう。
2つは似ている感じだが、膣のリハビリ、成功した人いるのかな。
できたら排泄は少し自立に近づく?
少し膣を閉じるリハビリを立膝で行ったが、膣を閉じる感覚は感じられなかった。

 

意識的に身体を動かしてリハビリをしていると思っていたが、身体の回復はすべて自分の意識でおこなったことではないと感じる。

身体も「こう動いてみようかな」と自分の考えを挟まずに無意識にリハビリしている気がする。


私は首は左に倒れており、以前入院時に療法士に鏡の前で「ね?」と首が倒れた左にしわが寄って、自分は自然に首は倒れてることを教えてもらった事がある。

首はまっすぐでなく変だと思っても、なおしても元に戻ってしまう。
ところがある日、首がまっすぐで楽なときがある。

うまいな、と思うけど、恐らくやっているのは、倒れた首を起こしただけではないと思う。
無意識の自分は、心地よい身体がどんなか知っているのでは?

倒れた首の動きは病的に思え、首だけでなく、車イス上とかベッドでの姿勢が気になった。
自分はひとつの動きしかリハビリしてくれない感じだが、複数の個所を「ふつうじゃない」と思ったら変えてみてる。
無意識にはかなわないが、自分で忘れるほどやったら、変えた姿勢同士の相互作用で首の動き治るかも・・・とやってみている。


 

曲がった中指について、整形専門がある病院へ行く予定である。

腱がかたいと言われているから、注射するかもと言われてるがボツリヌス療法だったらお断りしたいと思っている。

切開すれば早く治るかもと言われているが、切開して腱を切るとなった場合、重度のマヒの右手にシャントを作るために、曲がった右肘を伸ばすために肘の腱を切ったことを思い出した。
そのときのシャントの先生は、診察ではしゃべれない私でなく母と話していて、腱を切ることを知ったのは母だけだった。

ちなみに現在シャントを診てくださる先生は、スマフォに話して文字に変換できるアプリが入っていておもしろい。
スマフォで話したことは、そのスマフォの画面を見せてくだされば、私に早く伝わり、診察にいる夫には耳で伝わる。

現在の右肘の腱は、術後に1本残して全部切ったと聞いている。
術後、右肘はくたっとなり、元気がなくなり、腱切っちゃったんだと思った。
ところが2,3日すると、右肘はまた曲がりだした。
腱がなぜ曲がるのかよくわからない。
でもこの右肘の腱を切る手術で、自分の右肘は腱は1本だけでも強く曲がることができるんだなということだ。

今思うのは、もし中指の腱を数本切ったら、また元に戻って強く曲がるのではないか。

右肘も中指も同じ現象で曲がっているなら、曲がる原因は麻痺で手術は難しいかも。
右手は、リハビリがうまく行っているとき、右肘は伸びていた。

こんなこと考えなくても良さそうな気はするが気になる。

曲がった中指は、早く治すのは無理でリハビリが必要らしい。

整形では、腱をやわらかくする注射の可能性の話がでたが、たぶんボツリヌス療法だと思った。
ボツリヌス療法は認知神経リハビリテーションで使うだろうか。
認知神経リハビリテーションを10年以上治療していて、使った薬は、筋緊張性頭痛を抑えるミオナールだけだった。
脳梗塞や脳出血は脳を治療しようとする考えでボツリヌス療法を採用している病院があった
ボバースというリハビリ療法は、認知神経リハビリテーションに似てるがどうだろうか、この病院のボバースセラピストがHPのページを書いている。

秋田赤十字病院では、脳梗塞でストレッチをやってこなかったらボツリヌス療法はやらないそうだ。
私はこっちに近そう、、、
 

リハビリで立ち上がりを行って2週間経過した。

寝たきりなってからは、尖足になり、足指は天井ではなく、寝て伸ばした足の方向を向いている。

看護roo!  
尖足(せんそく)とは、足の変形の一種で、足の甲側が伸び、足先が下垂したまま元に戻らなくなった状態のことである。踵を地面につけることができないため、足先で歩くような状態になり、体の支持機能に影響を及ぼす。
 
リハビリ終了後の1週間で、ふと左足足指の方を見ると、天井を向いていて目を丸くした。
これがあったのは1日だけで、しょっちゅう自分の身体を見ない私が、足指の向きが違うことに気づいたことはちょっと不思議だった。


リハビリ終了後の2週間で、これも1日だけだったが、足裏にヒリヒリする感覚があった。
ヒリヒリ感は、痛みとは違う。
今まで足裏で感じたことのない感覚だった。

透析では、誕生日月にいろいろな検査をしてくれる。
この検査のうち、骨密度測定が先週あり、びっくりするほど骨密度は下がっていた。
コロナ禍のとき約2年間入退院を繰り返していたが、その頃とは比にならない下がり方で、恐らく50歳以上になったためだろう・・・
あな恐ろしや、である。

早速このことをリハビリで伝え、骨に負荷を与えるリハビリをお願いした。
今までやった立ち上がりのリハビリだった。
私は頭が左へカクンと下がるので、立ち上がりつつ頭を左に下げないリハビリをおこなった。

何度も肩を持たれて立つ。実際は自分で立ててはいない。子供が高い高いされた風である。
立つ旅にどう感じるか質問され、「足裏の感覚うすい」「足が不安定」「なんで立てないのか」、目まぐるしく私の身体の表現は変化した。

リハビリを終え、自宅ではよく寝ている。いつも熟睡。

困ったのは、頭が左に倒れると、重いような痛みのような感じがする。
たぶんこの感覚が本物で、今まで長く頭が左に倒れても何とも感じなかったのは病的感覚なのだろう。
今の困った感覚をなくしたいし、頭が左に倒れるのをやめれば、楽になると思う。







2回目脳出血後の大雑把な記録である。
これを書いたのは、最近食事に介助が必要になったからで、以前から食事に時間がかかったが、理由がはっきりしないと思い、書き出してみた。 ある病院でSTに食事に2時間かけるときもあると言って驚かれた。だからといって食事は介護にならないはずだし・・・

飲み込みがおかしいと言われリハビリを始め、入院では背もたれを下げて食べさせてもらっていた。
STの方に「昔からこういう嚙み方してたんじゃない?」、私飲み込めてないですかと聞くと「飲み込めてます。たまに音が気になるけど。」といわれていた。
正常でない噛み方で、天井を見ないと飲めずとても遅いから、食べるリハビリを行っている。
こんなへんな飲食、自分以外にいるのだろうか。

はっきりしないまま、ヘルパーさんから朝食の介助を受けている。 私は介護者が夫だけのときひとりで食べるので大丈夫だと思うが、患者が介助はなくても平気といってもヘルパーさんは介助をやめることはできない。 ケアマネジャーと相談が必要だが、食事介護を始めたケアマネジャーはおやめになったので難しいかも。 退院時に病院から食事介護を決められていたと聞いている。

その後、訪問歯科医が飲み込みを鼻から内視鏡で診ると問題ないことがわかった。実際ヘルパーさんから介護を受けている食事、フレンチトーストを食べて飲み込むところをみてもらった。

現在、入院時も食事介助だが、試しにひとりで食べると、けっこうこぼした。
「料理があまりおいしくないから?」
と最初思ったが、リハビリは2年お休みしたり、自分の感覚は鈍くなっている。
一時、手の感覚は消えたが、はっきり感覚があるから、持って、道具を使いこなすのかと思った。 
今はスプーンやフォークは、器用に使えていない。



2010.11 2回目の脳出血 杏林大学病院に搬送
2011.3  代々木病院 1年リハビリ入院、退院
  <span style="color:blue;">親に言われるままでなく少しずつ自分が出る、自分の好みがわかる</span> 
週1リハビリ 2012.8~2017.2
週1訪問リハビリ 2017.4~2018.8 ※ 認知神経リハビリテーションでない
週1リハビリ 2018.9~
2020.4   <span style="color:red;">コロナでリハビリお休み</span>
     12  グラフトシャント感染症で入院
2021.3   誤嚥性肺炎、外来透析で1W点滴治療 → アレルギー反応※
     9   シャント感染症、シャント作成後に血腫ができ治療 <入院3M>
     12~
2022.2   肺炎、飲み込みリハビリ<入院約1.5M>
     4   乳がん左胸全摘 <入院2w>
     6   左手グラフト作成、シャントを右手から左手に変更 一時感覚なくなる
     7   発熱外来でコロナでない39度の熱 → 点滴でアレルギー反応※
     8   アレルギーがおさまるまで入院 <2.5M>
     9   透析中に38℃の熱でアレルギーが足に残っており再入院 <1M>
     10  <span style="color:red;">月1リハビリ</span>
     12  月曜日の朝てんかん発作 薬はデパケンからイーケプラに変更<入院3W>
  <span style="color:blue;">脳出血20年以上経過して記憶がはっきりした</span>
2023 11 シャントがつまり、修復(入院1週間)

※ 薬にアレルギー反応するのははじめて

耳の煩さは2回目の脳出血からあって、一番ひどかかったのは杏林大学病院。
私の頭も変だったんだけど、ヒマな透析中に80ホンレベル?の雑音を脳で聞き、頭はぷちっと切れて透析スタッフに「耳がうるさいんです」と言ってしまった。
言われたスタッフは目が点だったと思うが・・・

最近は雑音は数分聞こえて消える。
ここ2,3日は良く聞こえる。
意味のない繰り返しの音楽、複数の人がやっぱり意味のないことをしゃべっている声。
後頭部から聞こえると思えるこの音は、頭をホールと感じさせる。
スピーカーみたいに臨場感がある音と思ってしまう。

自分は何を聞いているのか?
正常ではない自分の脳は、聞いてもわからないから、意味のない音楽と声でわかろうとしているのか。