耳の煩さは2回目の脳出血からあって、一番ひどかかったのは杏林大学病院。
私の頭も変だったんだけど、ヒマな透析中に80ホンレベル?の雑音を脳で聞き、頭はぷちっと切れて透析スタッフに「耳がうるさいんです」と言ってしまった。
言われたスタッフは目が点だったと思うが・・・

最近は雑音は数分聞こえて消える。
ここ2,3日は良く聞こえる。
意味のない繰り返しの音楽、複数の人がやっぱり意味のないことをしゃべっている声。
後頭部から聞こえると思えるこの音は、頭をホールと感じさせる。
スピーカーみたいに臨場感がある音と思ってしまう。

自分は何を聞いているのか?
正常ではない自分の脳は、聞いてもわからないから、意味のない音楽と声でわかろうとしているのか。

前回「寝たきりでのリハビリ」でコメントをいただきました。

でもとんちんかんな返信をして、まずいと思いました。

なのでブログに少しはまとも?な返信を書こうと思います。

でも当然ちゃんとわかっていないので、雰囲気が伝わればいいのですが・・・

 

認知神経リハビリテーションではリハビリ療法士が患者への問いが多く、療法士が患者の身体に触ったり動かした結果感じた感覚を、患者は自分なりの言葉で表現します。

自分なりの言葉なら、自分の本当の感覚に近づくからでしょうか。

 

療法士の問いは、戦略じゃないかと思います。

私は問いに曖昧な表現が多いですが、麻痺なので感覚が曖昧なんだと思います。

リハビリが進むと、私は自分なりの言葉に確信が生まれる気がします。

この自分の言葉の変化は、何だか療法士の戦略の結果と思ってしまいます。

 

今のリハビリは5年位?
と聞かれ、改めて寝たきりでリハビリを受けられる幸せな環境にあると思った。
現在は、外来リハビリを送迎車に夫と付き添ってもらっている。
寝たきりだと、ひとりで外出はできないし、訪問リハビリは家族か誰かがいなければ訪問してもらえないだろう。

1回目の脳出血で右片マヒ、2回目で両マヒになって寝たきりになった。

2回目の脳出血で、退院するため約1年リハビリを行っている。
記憶がはっきりしないが、1回目の脳出血時から持っていた「頭のなかの身体」という文庫本。
読み返した記憶はないが、その本は認知神経リハビリテーションに関する内容だった。
1回目の脳出血では、偶然にこのリハビリにお世話になり、様々な身体の変化を経験した。
一時、私は元気がなかったらしい。
今受けているリハビリでも回復すると思っていても、認知神経リハビリテーションを受けたかった。

すると私のPT担当の女性の方が、私の「頭のなかの身体」を読んでくれて認知神経リハビリテーションによるリハビリがはじまった。
本を読んでやったことのないリハビリができるとはすごいと思ったが、リハビリ療法士の知識があればできるだろうとおっしゃっていた。
嬉しくなったので、入院中にこのブログを開始した。
リハビリでは先生と患者との対話が重要だが、私は聞こえず話せないので、ご迷惑をおかけしまったが筆談をお願いし、私は50音ひらがなボードを指でさして答えた。(今のリハビリもそうである)
リハビリを終えて病室に戻ったら、リハビリ中に指さしでは答えられないものはブログに記録した。

2回目の脳出血の認知神経リハビリテーションは、入院中からはじまった。
退院後は、現在まで4名の先生にこの療法で診ていただいている。
コロナで約2年リハビリはお休みし、その間は何度か感染症で入院していた。
コロナがあったことにより寝たきり患者のリハビリの必要性がみえた気がしている。















 

唯一辛うじて動かせる左手でじゃんけんができなくなり困っている。
しょっちゅうじゃんけんしているわけではないが、中指が曲がって動かなくなると、今までできたのにできないことが増えた。

原因は、PCを片手でタイプして人差し指ばっかり使い、持つ掴む時は親指・人差し指・その他の指を添える、あまり動かない指が動きをやめたのではないか。

左手が変だと思ったのは昨年8月頃で、指がつっているのに似ていて、ひどくなったら透析で相談しようと思っていた。

年末年始にレスパイト入院で、OTの方に中指が動かないと言ってみた。もうすぐ退院頃に2日間診てもらった。
1日目に指をマッサージっぽく、2日目はリハビリ室のマットに寝て全身クターっとさせた。
2日目のまたやりたいと思った。筋肉はつながっているし、動かない中指は全然違う場所の筋肉の影響を受けているかもしれない。

その後透析中に中指がひどく痛み、やはり透析のせいなのか、などと思った。
透析でレントゲンを撮って頂くと骨折はなさそうで筋肉じゃないかということだった。

今は透析も訪問看護師も、拘縮防止のため温めたり指を動かすとよいとみている。

3月頃痛みが本当にひどいので自己流でリハビリをやると痛みが消えた。
中指の感覚は弱く、中指を見ずに何かに当てたりして、中指が動かされるのを感じていた。
でも自己流リハビリでは、痛みは消えても中指の曲がりは何もよくなっていない。
<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/a7/89e05cadc47b58ebe7120a36ac2cc68a.jpg">見づらい写真だが


<a href="https://koto-orthopaedics.com/rocking-finger/">ロッキングフィンガーに形は何となく似ているが・・・</a>

夜、眠れないときNHKで再放送が深夜にやってるのでよく観る。

先日、2014年にやってたドキュメンタリーの再放送があった。
自閉症でうまく話せないが、パソコンですばらしい文章表現ができ、文字盤上でローマ字を指さしコミュニケーションができる東田 直樹さんのことだった。
番組を観てネットを読んだら、それを可能にしたのは、お母様による試行錯誤で、ものには名前があると理解する必要があったという。

「自閉症の僕が跳びはねる理由 」は、東田さんが13歳のときに書かれたエッセイで、現在30歳になられ本を出されている作家です。
「自閉症の僕が跳びはねる理由 」という本は、20か国以上に翻訳され、子供とコミュニケーションが難しい多くの親に読まれている。 東田さんの思っていることや行動の意味が、一問一答わかりやすい本だった。

私も話せないと思って観たけど、「自閉症の僕が跳びはねる理由 」を読むと、自閉症は話せない、思いとは違うことを話す、自分の身体の感覚が分かりづらいなど、自閉症を何も知らなかった思った。

気持ちは周りの人と同じで、人と違う行動を取って恥ずかしいと思う・・・
 

いつものリハのPT先生はお休みで、そういうときには以前もそうだったがOTの青木先生に診てもらった。

私は、この男性の先生はやさしいからこういう表現をするのだろうと思っていた。
以前には、寝返りのリハビリで、マヒの右腕をひとりぼっちにしないで、と表現したことがあった。

でも麻痺側の半身の身体は、弱くても感覚はあるのだから、非麻痺側も麻痺側も、一緒に動かそうと易しく考えたらそうなるのか、と思った。
リハビリ中に、私が麻痺側は非麻痺側に頼ると固定観念に縛られていたとき、先生が左右の動きは一方だけでなく共同作業でしょうと言ったのは、自分は考えは違っていたなと思った。


麻痺の重い右足の感覚は、外側の方がわかりやすいと感じると思ってた。外部にぶつかる可能性が高そうだから?
でもその右足が、フットレスト状で左足にぶつかったら、右足の内側に感じるはずなのだ。
私の感覚は思い込み強いんじゃないか。

筆談のリハビリは本当にお疲れ様でした。
またリハビリを診ていただくときも筆談になってしまいますが、私は楽しみにしております。

 

リハビリ前に、自宅でわからなかった足裏の感覚はぼーっとしたときようやくわかりました、などと書き先生に読んでもらった。
先生は「感覚はなかったということですよね」と言い、何か考えている様子だった。
  
後になって自分の失敗に気づいた。
先生も心にいる自分も、当たり前のように足裏には感覚はあるとわかっていたのである。

このリハビリをはじめた当初(2004年位)、脳出血では感覚はなくならないと聞いていたことを忘れていた。
脳出血で神経が切断されることなどない場合、脳と接続でき、感じにくくなった感覚は回復できる。
お陰様で1回目脳出血ではいろいろな感覚の回復があって、足の装具が取れた理由には足裏の感覚がはっきりわかったこともあった。


はぁ~、それなのに私は2回目脳出血で両麻痺で寝たきり・耳が聞こえず話せないなど、信じ難い自分の病態に、「何もできなくなっちゃった」ので足の感覚もないと思い込んでいたところはあった。

でもリハビリで先生が私の足を揉むと、軽い/強いの違いが感じられた。

ずいぶん遠回りしてしまった気分である。
自分の身体をよく触って、感覚があることを思い出さねばならない。


動きのコツ協会の、認知神経リハビリテーションに似た内容のメルマガを時々読んでる。
最近感覚の話題で、感じることと運動は表裏一体です、とあり、以前PTの先生から全く同じことを聞いたと思った。PTの先生が認知神経リハビリテーションをご存知でないときに聞いた話である。
動きと感じること、同時に取り入れれば身体の回復につながりそうだ。

 

もうすぐ月1回のリハビリだが、せっかく足裏の感覚が出たのに、この感覚はどういうものか表現できず先生に言うことができない。

透析中はTVを観る。
説明できない感覚はざっくり何となくこんな感じに言えればよく、完璧に言えないとわかっているのになあ・・頭には表現の言葉はゼロ。足裏の感覚を感じても表現できない。
TVを観る気力が失せ、頭がぼんやりしてきた。

頭には足裏の感覚のみで何も考えなかった。
ふと、このわからない感覚、自分の足に正常の感覚があるとみなして感じてみたら?
頭がぼんやりして有り得ないことを考えていた。

今の足裏の感覚、みょうに足つぼ踏みに似てない?と思った。
すると今度は寒いとき、じわじわ足裏にはたくさんの<a href="https://chimmi.kanetoku.co.jp/blogs/column/c-tobikko01">とびっこ</a>が足裏にはりついている。

今の足裏の感覚、以前に感じた記憶と合わせないと、このわかりにくい足裏の感覚は表現できなかったらしい。

私は認知神経リハビリテーションにお世話になっている。
今回のリハビリでは困ったことになった。
このリハビリでは先生から身体に変化を感じたかしょっちゅう質問される。
今まで身体で感じたことを答えることは、感じた感覚とそれを先生に伝えるための言葉が自分の中にあって、その通りの言葉を伝えればよかった。
ところが新たに感じた感覚はあるのに、それを伝える言葉が見つからない。

伝えなければリハビリは進まないだろうし、まずいと思った。

足裏の痛みに似た感覚は、半月以上経過過ぎた。
今は、痛みというか協調性のない存在感を感じるだけだ。

いつもこの足裏の感覚を考える。
なんでこの感覚は言葉で表現できないのだろう?
感覚を言葉で表現できないのは、健康な身体でもあるのだろうか。
身体は感覚で守られているとも言えるのだが。
今までなかった感覚が裏足にあり、それが何か脳がわからず困っている。

 

昨年、乳がん手術があった。
全身麻酔が効くか不安だった。
全身麻酔の手術があるから食べて元気でいなければ、と思ったが、モリモリ食べても立って歩けることはないし元気と言える?、寝たきりだと手術はどうなるのかと思っていた。

でも手術は成功したので安心した。
術後の診察で、麻酔に1時間かかったと聞き驚いた。
私は13歳のとき腎移植で全身麻酔を受けたが、マスクをつけてひと呼吸したら寝てしまったイメージだった。
確かにマスクつけてもちっとも寝ていないし、起きていた。
私は耳は聞こえないので、何かやってくれているらしいと思っていた。
手術が終り、全身麻酔では人工呼吸の管を口から入れるがそれを入れるとき意識は無く、ホースのようなものを抜いてる最中に目が覚めた。 
全身麻酔から覚めると呼吸が浅くなり、深い呼吸がしにくくなるそうだが、自分の普段の呼吸に似てる。 私はレントゲン写真で「息を吸って、止めて」ができない。

「全身麻酔 仕組み」で検索したら、

全身麻酔の仕組みは解明されていますか?
厳密には、全身麻酔のメカニズムは未だ解明されていません。 脳を含む神経細胞の活動を抑制し情報伝達を遮断することで、手術の刺激に対する痛みや反射などの反応を抑えるということが部分的に解明されています。2023/02/03

全身麻酔は寝てしまうと思うだけだったが、自分のように脳出血で寝たきりだと、全身麻酔を効かせるのはかなりやっかいなことになるらしいと知った。
ふつうなら全身麻酔は20秒ほどで意識が無い状態になるようです。