月曜日、無事に両親が退院しました。




退院の日は妹と私の夫が仕事を休んで病院まで行ってくれました。




本当はキーパーソンである私が退院のお迎えに行くべきだったのですが、この日に限って2年半不登校の長女が学校に行くと言いだしたので、そちらを優先させてもらいました。




退院前の土日は私が実家で過ごしていた部屋を空にしたり、介護用ベッドを2台搬入したり、バタバタでした。




子連れで2年以上住んでいた部屋なので荷物がいっぱいすぎて、何度も2階にあがったり降りたり。もうフラフラでした。




でもその甲斐があってか、退院してきた両親はすごく嬉しそうです。




やっと家に帰れた、と言った感じ。




去年癌の告知をされた時に、主治医の先生から「来年のサクラは見れないかも」と言われたのが脳裏から離れません。




退院の前日、両親の面会に行きましたが、病院の庭の早咲きの桜は綺麗に咲いていました。









色々な意味で「サクラ咲く」と言う言葉にはトラウマがあります。




長女の小学校受験の時も、みんな揃って「サクラが咲きますように」と言ったり、合格したら「サクラ咲く」と言ったり。




大好きだった祖母が亡くなったのも、サクラが咲く少し前。亡くなった祖母に「桜が綺麗に咲いてるよ」と何度も涙を流しながら心で伝えていました。




父の時も「サクラが咲く前に…」と言ったお話を聞いていたので、桜に何の罪もないけど、サクラが咲くことに大きな不安と意味を感じるようになりました。




日本人にとって、桜は本当に意味のある花なんですね。国花というものを痛感しています。




さて、退院と同時に介護のスタートです。




これからは毎日死の恐怖と隣り合わせの生活が始まります。




毎日朝昼晩とヘルパーさん、宅食サービス、訪看の人が来て、週に何度か往診の先生が来ます。




施設ではなく、病院でもなく、自宅を選んだ父。




でも父は病識が不足していて、まだまだあと3年から5年生きれたらと言っています。




主治医の先生は、3時間かもしれないし、もう少し長いかもしれないし、と言いました。




3時間はすぎました。。。




でも、みんな口を揃えて、もう長くないだろうと言っています。私もそう感じるし、これから日々死に向かって行くんだろうと頭では覚悟していますが、なかなか心の準備が出来ません。




毎日誰かが交代で仕事を休み、父に付き添う生活。





いつまでも続くわけじゃないと思っているからこそ、みんなやっている気がします。




私は、いつまでも続いて欲しい…




どんなに大変でも。




残された時間にたくさん話をして、子供達ともたくさん会わせて、思い出作りに励みます。




年末に実家を出なければ良かった。。。




夫の家に戻ったばかりに、もう実家には帰してもらえなくなってしまった。。。




今の唯一の後悔です。