日本も何個かメダルとって、がんばってますね。
なんかさー、あれ見てると自分もやりたくなるんだよねえ。
アーチェリー見てたらアーチェリーやりたいし、
卓球みてたら卓球やりたいし、
水泳みてたら泳ぎたくなるわけ。
もちろん体育の通信簿2ついたこともある位運動神経がアレなので、
遊びとしてもなりたってるかどうか疑問なレベルだけど、
やってて楽しいからいいの♪
子供のころにそう思えてたら、もうちょっと体育ができたかもね。
ほんと、体育に限らずだけど、学校の教科の好き嫌いとかって、
先生のちからが大きいなーとおもうんだけどさ。
小学生のとき、大学で体育専攻してたらしきジャージ系先生のクラスで、
わざとじゃないんだろうけど、先生も人間だからさー、
体育の出来る子がお気に入りなわけ。というか構う。
記録めざせる子みたら、アドバイスして伸ばしたくなっちゃうのはわかる。
しかしねー、まさかの50メートルを9秒とか10秒かかる子ってのもいて、
先生からすると頑張ってはしってそんな遅いとか考えられないんだろね。
もう遊んでるとかちゃんとやってないんだろ的な?
本気で走っててもそんなタイムを叩きだす人間もいるんですよー!!!
褒めるとこもないし、やる気もない(と思われてる)からアドバイスもないし。
あたしは勉強できるしそれはいいんだけど、と思ってたけど、
音楽にあわせてクラス全員まるまる縄跳びでダンス?
できないなりに出来る子にやり方きいて一生懸命やってたら、
先生がトコトコってやってきて、
「どうしてもやりたくないなら見ててもいいんだよ?」って。
えっ・・・。
それは、イジメとかヘタで邪魔だったからとかじゃなくて、
先生が心から(嫌々やってると思って)心配して言ってくれたんだけど、
それだけにこれはほんとショックだった。
苦手だったりできない運動も多かったけど、楽しくやってたんだよねあの時は。
楽しんでた姿が嫌々に見えたってのがなんか子供心に恥ずかしくて、
皆の前で言われたのもあって、それから体育の授業に参加しなかった。
今なら、えー楽しいんですけどつまんなくみえるとかウケるwとか言えたけど、
へんな意地もあってあの時は言えなくて。
他の子の目もあって次に体育に参加するタイミングもなくて、
発表かなんかあった最後の日まで毎回石ころに座って見てた。
皆の輪に戻りやすいように声でもかけてくれればよかったのに。
あれはほんと、未だに考えただけで泣けるんですけど大久保先生!
中学入っても、すっげー運動音痴は変わらなかったんだけど、
体育の講師だったっけか?(若くて美人だったような気がするけどちょっと厳しい)
まさかのあたしのハードルのフォームがイイと褒めてくれた(タイムはクソ)。
ハードルなんて初めてやったし普通にぴょんぴょん飛んだだけなんだけど、
このハードルが、あたしの当時の股下よりちょっと高い位で、
あたしは背が高かったから偶然飛びこえられただけで、
ジャンプ力もクソだから、背が低かったら絶対飛べてないし、
実際フォームがよかったかどうかも怪しいもんだけど、
みんなも飛べてる中、まさかのあたしを褒めるとかもう謎。
一回派手にコケたら怖くて飛べなくなったけどw
褒められて気をよくして、先生に言われたように歩数数えたり、
足の向きとか変えて速くなってたのも事実。
次の学期は水泳で、最初の授業で、飛び込みが怖くて出来なかった。
二回目の授業にむけて、そうだ、
そもそもあたしのタイムとかクソなんだからどうでもいいべ、
うまく出来ない振りして足からポテっと飛びこんじゃお(キシシ)
2クラス合同だし、80人位いるからバレねえべ(浅はか)!
と思ってやっつけでやったのに、授業終わって移動中に先生に出会った時、
飛びこめるようになって、前より良くなったじゃん!頑張ったねって褒められた。
その次の授業では、怖かったけどなんとか頭から飛び込もうと努力した。
また見ててくれてるかもしれないし。
他の誰にでもそうやって声かけてたわけではないし、
もちろん出来る子は気にいって褒めてたけど、
あたしと同じように出来ないほかの子には厳しかったりして、
昔のあたしははひっそりした性格だったからアピール力もないのに、
なんでひいき目だったのかさっぱりわかんなかったけど、
とにかくなにかいいとこがあったら褒めてくれた。
大抵は偶然その時だけ出来ただけだから、毎回できるわけがないので、
しかし褒められたからには次もできなきゃまずいと思って、
コソっと練習しておいたりしてみた。
努力ってやつじゃね?
んで、どんなにどんくさくてもできるもんなんだよ何回もやれば。
よく言う、「やれば出来る!」ってやつですね。
ほとんどの子供は選手や学者を目指してるわけではない。
生まれつき天賦の才を贈られなかった、ほとんどの人間にとって、
完璧である事を目標にその時点では出来ないことを、
出来て当たり前だからやれと言われて、誰が努力をするのか。
どの教科も、好きだと思えれば少なからず伸びるし、集中もできるのでは?
好きと思えるようにするには、教えるということ以外にも、
褒める、認めるという手伝いも必要なのでは?
そして、努力して出来ることを、出来るとこまで、でなにが不足なのか。
人にはそれぞれ、得手不得手があり、だからこそ個性がある。
出来ないことがあるならば、良く出来る他を伸ばせばいいのでは。
人生において、勉学や運動能力がはたしてどのくらい必須なのか、
大人になればみんな知っているはず。
どうせわすれるんだから、これといって、必要はなかったと。
けど学校に通う理由はあると思う。
社会で生きていくうえで、必要最低限のモラルは身に付けた方がよいから。
しかし努力をしても、それもできない子もいるかもしれない。
であれば他の伸びしろを探すべきで、見捨てる理由はどこにもないと思う。
なにもできない、生まれてきた意味のない人間などいないはず。
どのような人間になるかは環境によるところも大きいだろう。
そして子供たちは、来るべき時がきたならば、自らの責任で、
好きなことを学ぶなり、社会に出ることなりを、悩み、未来を選ぶといい。
と、いうのは単なる理想ではあるが。
話がそれちゃったけど、
あたしは大人になって、遊びとしていくつかの好きな運動ができました。
たとえば卓球ね。
高校の授業でやったけど、まともにラケットに当てられないし、
当たっても玉が遠くに飛んでっちゃってラリーが続かなくてw
なのになんでかわからないけど、10年ぶりにやったら普通にできた。
あれだけ出来なかったのに、人のいる方にむけて意図して打てるの。
何もしてないのに、10年寝かせたら奇跡としかいいようがない上達っぷり。
フォームもクソもないし、スピンとかけられるわけじゃないし、
まあ、卓球ってかピンポンだけど、楽しいのでまたやりたいなと思いました。
どんなことでも、あの子供のころにそう思えたら、
どうやったらもっとうまくなるかなと思って、
出来るようになるまで、一生懸命練習したと思います。
そう考えると、小学生の時、先生に思われてた通り、体育に関して
あたしはたしかに努力もしてないし頑張ってなかったんだけど、
頑張る意義を見つけられなかったからでは?
できる(と、思われてた)勉強に関しては、出来ないわけにいかない!
と思って結果的に頑張ってたんじゃないかと。
頑張ったねと褒められて、期待されれば、大抵の子供は、
期待にこたえたくてもうちょっと努力するのでは?
どうか、
親や先生、影響力のある言葉を発する人の、無意識の心ない言葉で、
小さいけれども大きな可能性に傷をつけることのないように。