おはようございます🌄








最近はよくYou Tubeにて生前のoshoの講話、動画を観ています📺







シャンタンさんのブログを読むようになってから知り、調べてみるようになったoshoやアンマバカブァン、津留晃一さん。








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写真は京急線の浦賀駅🎞



















社会にはエゴとしてのあなたが必要だ
 
 子どもは自己を伴って生まれるが、エゴは伴わない。子どもはエゴを発達させる。子どもが社会性をもち、関わるようになればなるほど、エゴは発達する。エゴはあなたのまさに周辺にあり、あなたはそこで他人と関わる――ちょうどあなたの実存の境界線上で。だから、エゴはあなたの実存の周辺であり、自己はあなたの中心なのだ。子どもは自己を伴って生まれるが、無意識だ。彼は自己だが、その自己を意識していない。
 子どもの最初の気づきは、自分のエゴとともに生じる。彼は「私」に気づくようになる、自己ではなく。実際には、彼は最初に「他者」に気づくようになる。子どもはまず、自分の母親に気づく。それから、その反対として、自分自身に気づく。彼はまず、自分の周りの対象に気づくようになる。そして徐々に、自分は別なのだと感じはじめる。別だというこの感覚がエゴを感じさせ、子どもはまずエゴに気づくようになるために、エゴが自己の被いになる。
 
 そして、エゴは成長しつづける、社会には自己としてのあなたではなく、エゴとしてのあなたが必要だからだ。自己は社会にとってはどうでもいい。周辺が重要なのだ。そして、多くの問題がある。エゴに教えることはできる、エゴを仕込むことはできる、エゴなら強制的に従わせることができる。エゴを適応させることはできるが、自己はできない。自己に教え込むことはできない、自己に強制することはできない。自己は本来、反逆的で、個人なのだ。それを社会の一員にすることはできない
 
 Osho, The Ultimate Alchemy, Vol. 1, #14 より抜粋
 
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 あなたはユニークだ
 
 だれでも、ネズミですら、独自のエゴを持っている。だれでも、宗教家ですら、独自のエゴを持っている。「私はあなたの足もとの塵にすぎません」と宣言している最中ですら、あなたはエゴを集めている。
 
 エゴと人格は落とされなければならない、その後で、個性が生じてくるのがわかるだろう……唯一無二だという感覚が。その通り、あなたはユニークだ。ほかの人もみなユニークだ。この世界にはユニークな人たちしかいない。だから、比較はとにかくばかげている、というのも、あなたのような人はあなたしかいないからだ。あなたのような人はひとりもいない、そうであれば、比較しようがあるかね?
 
 Osho, The Discipline of Transcendence, Vol. 1, #4 より抜粋