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diary

ありのままをつらつらと

何年ぶりに書き起こします。
やっぱり私は日記にしてる時の方が精神安定してるということに気がついた。
知っている人ははなから知っていた訳で。

ただいまと言うべきものなのかよくわからん。


2018年ブログを書かなかった訳では無い。

すごく保存しては削除しての繰り返しでした。

大半悩んでて
しんどいしんどいしんどいしんどい

抜け出したいとか

死にたいとか

負のループがね取れなくて


まあ、いいんです。過去は過去なので
過去があって今の私。
幸せなことも辛いことがあっても
それは他の人が変わることもできないし
どんな経験も今の私になるための
ステップアップだと思えば
段々と楽になるのです。

苦行につぐ苦行でしかなかったけどな。


それを踏まえて今どうあるべきなのか
考えるだけなのです。


あー、だいきやでぃーご言われてたことがまんま過ぎて何も反論できず腹立つ2018年でした!

くそっ!
って言わせてください。 

まじみる目すげえなと感心したけど
もう連絡取ってないし
だいきに至っては自然とさよならバイバイしたのが
彼らしいと言うかなんと言うか。

でも一緒にいた時間は結構楽しませてもらえたし
素直になる練習もできたかなと思った。
本当にありがとう
と本人見てるか分からないけども
書いとく。


さてこれからの私
男絶賛信じない問題
が重症化と言うか危篤レベルの深刻さ

と同時に出てくる私の黒い部分
これでもかと言わんばかりにじわじわと息の根止めない程度に痛ぶりつける

よーくーなーいーねー!

知ってるからこそ
そろそろ治さなくちゃなと思う。

なんだろうね。
20歳の時は性格くそヤンキーから矯正したのに
また大人になって性格を矯正するとは夢にも思わなんだ。
20歳の自分は本当にえらすぎた。
あの頃の私なら無敵だったからなんでも出来たなと。

歳を取ったらダメ女とか
本当に情けないから
過去の自分にも恥ずかしくないように
また頑張らねばな。


でもって
人は鏡とタイトルにしたのは
昔昔、教えてもらったこと

今でも大切にしている考えであって
鏡の法則のひとつに

真円と少し欠けている円があってどっちの円に目がいきますか?っていう問題。


人間の目は欠けている円特に欠けた部分に目がいく。

認知不協和という習性があるから
欠けている部分が気持ち悪いと感じるのである。

人間に元々備わっている美意識の成せる業であるかもしれないけども

この習性は悲しいことに他人を観るときにも働いてしまいます。

他人の足りない箇所駄目な箇所に目がいくのです。
人の習性。

したがって意図して「良い箇所」「好ましい部分」を観るをつける必要がある。
でなければ、人の粗ばかり探しては不平不満を言うだけの人間になってしまいます。

これはとても哀しいこと。

なので今一度リマインド。