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マルみのブログ

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3泊4日の長崎旅行もとうとう最終日ショボーン


関東のクニ友さん達とは、長崎駅でミルクセーキを食べてお別れ👋👋ありがとう🙏またね〜

長崎のミルクセーキは食べるタイプで、長崎の夏の猛暑をしのぐため、ミルクセーキに砕いた氷を入れたフローズンスイーツでした🍧


長崎最後の日、最初に訪れたのは「聖フィリッポ教会」(西坂教会)

この教会は1962年、ガウディ研究の第一人者、早稲田大学教授・今井兼次氏によって設計され完成しました

2日前に訪れた大浦天主堂



その26聖人が実際に殉教した場所に建てられた教会です

「双塔」
高さ16メートルもある、二つの塔は、向かって左の塔は、祈りと賛美の塔で、聖母マリアの象徴を表し、右の塔は、お恵みが下がってくる塔だそうです

教会内部の見学も出来ます

祭壇の正面には、26の十字架のデザイン✟
中央には、ギリシャ語のアルファベット(A)とオメガ(Ω)が刻まれ、始めと終わり、すなわち「永遠の神」を示し、その周りを二十六の十字架が取り囲み、神に感謝を捧げています✟

祭壇に向かって左側には聖母マリア像、右側には教会の保護者、聖フェリペ・デ・ヘススの像が立ってます

西坂教会からバスに乗り、カトリック浦上教会(浦上天主堂)へ

1873年
キリシタン弾圧の禁制をとかれ自由を得た浦上の信徒達によって築かれた教会です

聖母マリア像、真っ白でとっても綺麗でした✨


資金難の苦労を乗り越え1914年に東洋一を誇るレンガ造りのロマネスク様式大聖堂として献堂式があげられました

そのわずか20年後の1945年、原爆により浦上教会は無惨にも少しの堂壁を残し壊滅、アンジェラスの鐘も鐘楼もろとも崩れ落ちました。

現在の建物は原爆投下から約14年後の1959年にコンクリートで再建されたのち、1980年にレンガタイルで改装し、当時の姿に似せて復元されました



この後は平和祈念像を見学



平和祈念像
18年振りに訪れました🙏

天を指した右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を、閉じた目は戦争犠牲者の冥福を祈るという意味が込められています

平和公園内、爆心地公園原爆遺構(原爆により、崩れ落ちた旧浦上天主堂の側壁)

胸が締め付けられるような悲しい母子像
自然と涙が出てきます

8月9日、長崎原爆の日は私の誕生日、毎年特別な思いで迎えます

平和な日常は当たり前のものでなく、感謝すべきもの

今ある命に感謝し、一日一日を大切に、穏やかで心豊かな時間を過ごしていきたいと改めて思いました

山王神社二の鳥居(一本柱鳥居)

平和祈念像から徒歩約10分程、この山王神社の「片足鳥居」を見てみたかった

爆心地から南東約800mの場所の高台にあり、原爆投下により被害を受けました

社殿は跡形もなく崩れましたが、1950(昭和25)年に再建され現在に至ります

もともと鳥居は4つあったそうですが、被爆によりその2つが強烈な爆風とともに倒壊


残った鳥居のうち1つは戦後、交通事故により撤去されたため、現在も当時のままの姿で立っているのは右半分の柱だけを残した一本柱鳥居のみ

爆心側の吹き飛んだ左半分は、一本柱鳥居の近くに保存されていました


住宅街にひっそりと街を見下ろす位置に立っており、原爆の悲惨さを語り継いでいます


境内入口には大きなクスノキがあります


この大クスは、原子爆弾により、幹に亀裂が入り枝葉も吹き飛ばされ、熱線で焼かれ一時は枯死寸前になったそうです


しかしその後、奇跡的に再び新芽を芽吹き次第に樹勢を盛り返して蘇り、焼け野原から復興に向かう被爆者らを勇気づけました

平和や再生のシンボルとして親しまれ現在では長崎市の天然記念物に指定されているそうです

長崎市出身のアーティスト福山雅治さんの楽曲「クスノキ」のモデルにもなっています




この日は偶然にも山王神社の秋季大祭「浦上くんち」の開催中で、大勢の参拝者で賑わってましたおねがい


2025年、長崎は被爆80年を迎えました

市内には、原爆投下の爪痕が残る遺構や平和公園、長崎原爆資料館など平和を象徴する施設が数多くありました

そこに住む人々の平和を願う「祈り」の心を強く感じた今回の旅でした

異国情緒あるれる街並みや、平和を願うモニュメント、美しい海岸線や絶景の夜景、そして世界遺産の「軍艦島」

18年振りの再訪でしたが、全てが新鮮で、忘れられない想い出がたくさん増えました


長崎空港で皿うどんを食べて…3泊4日の長崎旅行〜無事帰ってきました✈️

御一緒してくれたクニ友さん達に感謝🙏

今回参加出来なかったクニ友さん達も、次回は絶対にね😉