ネパールの闘病生活と私のボランティア活動 | ネパール市場MAAYA*シンギングボウル専門店*ネパール医療援助ボランティア

ネパールの闘病生活と私のボランティア活動

私が日本にくる少し前、2009年8月に
お父さんは糖尿病から糖尿病性腎症になり
腎不全のために亡くなりました。
65歳でした。



父の闘病生活から感じたこと、
そして行動したことを記したいと思います。





ネパールの一般的な病院は日本と違って、
入院したら家族が全部患者の世話をします。
寝たきりのトイレの世話や体拭き、食事などの日常の世話は、
24時間病院に泊まり込みで全部私と兄弟でしました。
亡くなる直前まで浮腫んで意識が遠のく辛そうな父の姿を
間近でずっと世話するのは精神的、体力的に大変でした。
だけど、父の最期のに立ち会えて、
父が感謝してくれて嬉しかった想いもありました。



薬や点滴は医者が処方撰をだすと
家族が薬局まで実費で買いに行きます。
そして買ってきた薬を医者や看護師に渡して、実施してもらいます。
父の入院していた国立総合病院では医療行為だけ医者と看護師がして
その他は全て家族が行っていました。
ネパールの一般的な病院ではほとんどこのようなスタイルです。




父の入院生活を支えるのは本当に辛い日々でした。
だけど、私が想像する以上にもっと辛い想いをしている人々が
たくさんいることを知りました。
貧しくて医療費を借金しながら病院に通う人。
農村部では治療できないため遠くからカトマンズにきて、入院費、宿泊費がないために汚い病院の通路で寝ている患者とその家族。
病院にいるとみんな疲れきっていました。




ネパールでは保健制度や保険が整っていないため、全額自己負担です。
父の行っていた腎臓透析はとても高く、
一般の病院だと透析1回3000~4000ルピー
(日本円で約3300~4400円)
病状によってですが、透析は週に3回~2回行います。
ネパール人の平均月収が5000ルピー程度なので
1回の透析を行うのも難しく、
お金持ちや外国人しか実際にできないのが現状です。


一部の病院では貧しい人に限定して
国が透析の治療費を補助するところがあります。
そこでは物と薬を本人が準備すれば、その他の治療費は無料です。
だけど、その物や薬の価格は安くはありません。

必要なものは、
ダイアライザー
(透析に一番大切な血液をろ過するフィルターのようなもの。)
血管回路、薬品などです。

ダイアライザーは製品にもよりますが1000~1200ルピーします。
ネパールではダイアライザ-は使い捨てではなく洗浄して
2、3度位使用できるまで使います。
週2~3回の腎臓透析の人もだいたい月4、5本=4~5000ルピー
(約4400~5500円)は買わなくてはなりません。
補助が受けれる病院に通えたとしても、
とても苦しい生活を強いられている人がいると知りました。


そのため、貧しく物が買えない人々は、透析回数を減らしたり、
治療を諦めるしかありません。
透析が必要な重篤な腎臓病で治療を諦めるということは、
死を待つしかありません。
お金がなくて、死んでしまうのです。



だけど、そうするしかない現状の人々がたくさんいました。
そんな人々を多く見ているうちに、
父が亡くなって、病院から遠のいた後でも
私にできることはないか・・・と考えるようになりました。





2009年10月に奥さんと一緒に生活をするために日本に来ました。
苦労してもゼロから奥さんとがんばろうという気持ちで来日しました。
ネパールではパシュミナ店や輸入衣類店の経営をやっていましたが、
日本での仕事のあてはありませんでした。
ネパール商品の商売は、商品はあっても売る場所がなく
月に数回のフリーマーケットや友達に買ってもらえるぐらい。
商売といえるほど稼げません。
そのため、来日してすぐバイトを探しました。
今まで雇われた経験もありませんが、そうは言ってられません。
奥さんは働いているのに、自分だけ何もしない日々が
すごく苦痛でしかたありませんでしたから。
だから我武者羅に数カ月仕事を探しました。
だけど、バイト募集の広告をみて、電話しても『外国人』というとことで
なかなか受け入れられませんでした。
何回も何回もバイト先をあたり、面接をして、
やっと雇ってくれる飲食店を見つけました。


来日当初は、分からない日本語、習慣ばかりで
苦労しましたが働けることがありがたくて精一杯働きました。
最初のバイト先は残念ながらつぶれてしまいましたが、
そこから紹介してもらい、今の大きな飲食のチェーン店で
バイトすることができました。


そこでは社長や店長、スタッフみんな優しく、
多くのことを教えてもらいました。
時が経ち、日本に慣れるにつれて、
たくさんの人々に出会い、支えられました。
そのうちに商売も少しずつ広げることができ、
奥さんと2人で貯金もちょっとずつできるようになりました。




日本での生活が軌道に乗って落ち着いてきたころ
ネパールであの時あった腎臓病で困っている人々の役に立ちたいという
想いを行動に移したいと思いました。
そして、日本にきてから約2年後の
2011年10月ネパールに帰国し、実行に移しました。




父がお世話になった病院にいき、親しくなった看護師や商店の人に会い
腎臓透析を行っている患者さんで、
貧しく困っている人々を5人紹介してもらいました。
そして、「1ヶ月1フィルター活動」を考案し、始めることにしました。
一人の患者へダイアライザー1個1000ルピー(日本円現在約1200円)を
月に1個提供するというものです。

 実際提供しているダイアライザー


今5人へサポートしているので月に約6000円。
あっというまに消費してしまうお金だけど、
ちょっとずつでも貯金できる額。
何もかも娯楽を我慢する訳ではなく、自分にできる範囲で援助する。
その想いと、そのお金があれば少しでも長く生きられる人がいる。
そう思うと私は頑張れます。

MAAYAの商売だけでなく、アルバイトを続けているのも、私の肉体労働分の稼ぎが、腎臓病の人たちの手助けになればという想いでやっています。
個人的にやっている私のボランティアは微々たるもので、
月に1回のダイアライザー:フィルターで
人の命が助けられるわけではないです。
実際に去年の10月にボランティアを始めてから、
既に2人の方が亡くなられました。


だけど、透析治療を続けられる、
少しでも長く命をつなげられる手助けになればと願い、
続けていきたいと思います。



 
画像:援助している国立総合病院透析センターにて。
患者さんの中には若い女の子もいます。





今年夏前にネパールに帰ったら、
サポートする患者さんを5人から10人へ増やしていきたいと思います。
そのためにも、仕事がんばります。
そしていつか、多くの人を助けたいと思います。