いのちは
砂時計とおんなじなんだって
落ちた砂はもう戻らなくて
砂はいのちの時間
なんだって
生き急ぐ
という言葉があるけれど
それは
落ちる砂の速度の違いでしょうか
落ちる砂の量の違いでしょうか
時間の速さは
みんな違うし
日によっても違う
それぞれに違う速さを統一する
ために
時計というツールができた
と思っています
雑談してるときも
じーっと考え込むときも
労働しているときも
全部 自分のいのちの時間を
使っている
ってどれだけのヒトが
意識しているかな
何か起こるとき
例えば ハラスメントだったり。
そんなことにも
起こす側は
自分のいのちの時間を
費やして
相手のいのちの時間を
削いでいる
砂を渡したり受け取ったり
できないのは
砂がガラスのなかに
在るからでしょうか
砂時計みたいに
残りの砂は見えないけれど
誰の砂もいつか
全て落ちるということだけは
決まってるんだね
「絶対」はナイ
と言われるこの世で
唯一証明されている
絶対。