グリーフという愛のかたち

グリーフという愛のかたち

2018年秋 20歳の娘が天に還っていきました 

いのちは
砂時計とおんなじなんだって

落ちた砂はもう戻らなくて
砂はいのちの時間
なんだって


生き急ぐ
という言葉があるけれど
それは
落ちる砂の速度の違いでしょうか
落ちる砂の量の違いでしょうか

 時間の速さは
 みんな違うし
 日によっても違う

それぞれに違う速さを統一する
ために
時計というツールができた
と思っています


雑談してるときも
じーっと考え込むときも
労働しているときも
全部 自分のいのちの時間を
使っている
ってどれだけのヒトが
意識しているかな

何か起こるとき
例えば ハラスメントだったり。

 そんなことにも
 起こす側は
 自分のいのちの時間を
 費やして
 相手のいのちの時間を
 削いでいる


砂を渡したり受け取ったり
できないのは
砂がガラスのなかに
在るからでしょうか

砂時計みたいに
残りの砂は見えないけれど

誰の砂もいつか
全て落ちるということだけは
決まってるんだね

 「絶対」はナイ
 と言われるこの世で
 唯一証明されている
 絶対。