どーも、今年はまだ半袖で外出したのが一回しかないクズです。と、いつもなら軽く自虐するのですが、今回は本当にクズなんですよという話を書こうと思います。こんなこと書くと自分が真のクズだということを強く再確認してしまって、また不安定になるかもしれないなと思います。ただ、書きたくなってしまったので書きます。なぜ今なのか?とか理由も特にありません。何か今書きたくなってしまった。それだけです。ただ、せっかくなので、いつもは誰に見られるとかあまり気にしていませんが、今回は多くの方に見てもらえたらと想いを込めて書きます。

私はおそらくいじめの主犯だったというお話です。いや、自分ではそんなつもりはないんです。私が直接彼に悪意を持って接したことはありませんし、そういうことをするように誰かに指示したとかもありません。けれど、時代が変わりいじめやハラスメントなど、された側が不快に思えばそれはもういじめであり、ハラスメントなんだと言われるようになってきています。今なら私もそういう考えに弱めの肯定をします。弱めというのは「この時代にそんなこと許されるか!」と誰かを糾弾するようなものではなく、「こういう時代だから気をつけなきゃな」と自分に言い聞かせるように呟く程度のもので、それが誰かに聞こえてあいつはそう考えてるんだと思われても否定しない。そういうものです。
だいたい普段ここではいじめなんていう行為は悪でしかないとか、いじめられる側にも問題があるなんてのはいじめる側の勝手な言い分で、そんなこと絶対なくて、双方に色々な立場や事情があっていじめは起きてしまうのかもしれないけれど、どっちが悪かと言えばそれはいじめる側だとか書いてるのに、実はそっち側だったのかと思われるかもしれません。他人のことは責めるのに自分のことは擁護するのかとか思われたくはないので、なるべく言い訳はせずに事実を書いていこうと思います。と言ってもそれはやっぱり私の視点から見た事実に過ぎなくて、相手がどう思ってたのかなんて知りようもないんですけどね。

そういうことを考えると、当時の私はいじめの主犯だったのではないか?と思い悩むことが度々あるんですよ。あれはいじめだと捉えられていたのだろうか?あの時どうしていれば良かったのだろうか?過去のことをいくら思い悩んだところで、もうどうにもならないとわかっていますが、気になってしまうのは止められないんです。

さて、じゃあ何があったのか書きますね。私が中学二年の時のことです。私が通っていた学校は一年から二年になる時にクラス替えがあり、二、三年は同じクラスでした。担任の先生も同様のシステムでした。で、新年度の初日に担任の先生に呼ばれて、あるクラスメイトについて、ちょっと様子見ていてやってくれないかと言われたんです。彼とは一年の時はクラスも別で、彼が何組だったかも知らないぐらい、全く接点がありませんでした。私は小学生の頃は割と社交的でいつも結構な人数の友人たちとグループでいるような、どちらかと言えば目立つ方の生徒でした。ただ、高学年になると次第に身の程を知ると言いますか、勉強もスポーツも得意ではないし、自分は目立つグループにいてはいけないんだと思い始めてました。それで中学では大人しくしていようと決意していたのですが、中一の時は誰もやりたがらない学級委員を押し付けられて、目立ちはしていませんでしたが大人しくもできていない状況でした。
まぁ無難に学級委員をこなしたこと等を聞いて任せられるとでも思ったのか、二年の担任が私にそういうことを言ってきたのだと思います。その様子を見て欲しいと言われた彼は、勉強もスポーツも苦手で、一年の時はクラスのほぼ全員からいじられるような感じだったらしいです。普段はいじられても笑っているのに、たまに急に学校を休む。不登校とまではいかないけれど、ちょこちょこ休んでいたというのは後から聞いた話でした。クラスも担任も替わった日で緊張もしている中、担任に頼まれれば断るわけにもいかないでしょう。よくわからないけどたまに見るぐらいなら良いですよと安請け合いしたのが悪かったんですかね。
担任は彼にも「あいつに頼んでおいたから」みたいなことを伝えたんだと思います。クラス替えから十日も経った頃には、彼は我々のグループの近くにいるようになってました。グループと言っても気の合う友人5~6人でつるんでいると言う感じで、特別陽キャでも陰キャでもなく、目立つこともなく、いたって普通のどこにでもいる奴らという感じだったと思います。話題の中心はゲームだったので、周りからはやや陰キャ寄りに見られていたかもしれないなとは思います。そんなグループの連中ですから、彼をいじるということもほぼありませんでした。積極的に話しかけたりもしませんし、追い払ったりもしませんでした。私自身もそういう言動をしていました。
良くも悪くも私は見てやってくれと言う言葉をそのまま受け止めていました。問題がなさそうなら見ているだけ。話し掛けてくれば答えるし、軽い世間話とかはする。けど放課後とか休日遊ぶのに誘うことはなかったし、俺たち仲間だとはなってなかったですね。
で、七月頃だったと思いますが事件が起きたんですね。私たちは昼休みには頻繁に鬼ごっこをしてたんです。タッチされたら鬼が交代するオーソドックスなものですね。まぁ、廊下は走ってはいけないと言われていましたが、学校全体を使ってやるやつです。褒められたことではないですね。それで隠れるところもたくさんあるし、見てないところで鬼が代わってることもあるから駆け引きとかもある。グループ内でもフィジカルに多少の差はありましたが、そういう要素もあるし、足が遅くても楽しめていたんです。ある日それを彼もやりたいと言い出したんですね。で、まぁこっちとしては積極的に誘わないけど、やりたいと言ってきたなら断ることもない。それで一緒にやったんですが、彼がずっと鬼だったんですね。そうなると次第に機嫌が悪くなっていき、ついには勝手に止めて勝手に教室に帰ってたんですね。我々としては仲間内では足が遅くても楽しめていたんだから、ちょっと工夫するだけで良いのにって思いましたし、そっちがやりたいって言ったくせに黙って勝手に止めるなよと思いました。
今になればこの時の私たちは相手の立場に立って考えるということができていなかったんだなと思います。つまり私たちの中では相手が運動神経があまり良くないからと言って手加減をしようとは考えない。それは失礼だろって言うのが我々の中での常識で、そこに入れてくれと言ってきたんだからそういう考えに賛同するのは当たり前って思ってたんですね。ただこれは憶測に過ぎませんが、彼としてはただそのグループ内にいたかっただけなんでしょうね。少しは仲良くなってきたかなと思ってるところに、ほぼ毎日昼休みは自分を置いてみんな教室を出て行く。それはやっぱり寂しかったんだろうなと、苦手な鬼ごっこをしてでも集団の中にいたかったのかなと、そんな風に思いますね。まぁホント中二なんてまだまだガキですからね、そういうのに気付けなくて、他の遊びをしようとか考えもしなかったです。

まぁその後も何回かは鬼ごっこ一緒にやらせてくれと言ってきたので、何回かはやった記憶があります。「この前みたいなのはなしだけど良いのか」とか、毎回確認してやってた記憶があります。それでも彼が鬼でいる時間が圧倒的に長く、途中で止めることの方が多かったですね。こっちとしては相変わらず、やめるなよって言って始めたのにまた止めるのかよってなってましたし、お互いによくない時間だったと思います。
そんな中でも彼はちょくちょく学校を休んでいたのですが、そんな彼が休んだ日に私だけ担任に呼び出されたんですね。どうやら彼は担任だけでなく、教科担当の先生何人かにも相談したらしく、確かその時は担任含め三人の先生が待ってたと記憶しています。心当たりもなく三人も先生が待ち構えている中で「あいつがお前らにいじめられてるって言ってるんだけど、実際どうなんだ?」と言われまして、そう言った担任の苦々しい顔は今でも忘れられないですね。
私は高校ぐらいの時から人付き合いを面倒に思うようになって、だんだんコミュ症陰キャとして完成していくのですが、今思えばこれがきっかけだったんだなと思います。普通にしてればそこまで関わることもなかったであろう彼に対して、一応グループに入れてやってるのに、ほんの少しだけど話題とか彼も入れるように合わせてやってるのに、何でそんなこと言われなければいけないんだ?面倒くせぇ。もう関わんないでくれって、何とも傲慢だなと思うのですが、当時は割と本気でそう思ってました。まだ中二でしたからね、子どもだったんだと思います。ってそれも自己弁護とか良いわけですね。情けない。まぁでも明確に人間関係って面倒臭いと思ったのはここからでしょうね。

でまあ、三人の先生に詰められながら、腹も立つし自分たちは悪くないと本気で思っていたし、この時私はいいわけを重ねます。鬼ごっこの件を特に取り上げて、ルールの中で遊んでいるのについてくる努力をしてないだけだと切り捨てたんですね。それを聞いた先生方は「そんなことだろうと思った」って笑ったんです。最初から担任は彼のことを気に掛けていたし、他の教科担当の先生からも彼がそういう話をしてきたと聞いて、さらに注意深く見ていたらしいんですね。我々といる時の彼のこともよく見ていて、いじめとかそんな感じには見えなかったと言ってくれたんですね。それで「あんな奴だからまたこんなこともあるかもしれないけど、懲りずに仲良くしてやってくれ」って言われました。私としては心のどこかでもう関わりたくないと思いつつ、その思いはまだそれほど大きいものではなく、その場はわかりましたって返事をしました。

今思えばこれが大きな間違いだったんでしょうね。今のようにやられた側がいじめだと言ってるんだからと、もっと突っ込んだ対応をしたりしなかった。私も先生も彼のことを気に掛けていたつもりで、実はこの時ほんの数ヶ月で見捨てていたってことなんでしょう。
夏休みまではそんな感じで、一緒に遊んだり遊ばなかったり、学校自体を休んだり、相変わらずと言った感じで過ぎていきました。

それで夏休みなんですが、そもそも私と彼は出身小学校も違って家は遠いし、部活も違うし、私は割と熱心に部活に励んでいたので、登校日以外では一度も会わなかったんですね。登校日なんて他の友人も含めて、誰かと話したっけと全く記憶にありません。休みの間彼が何をしていたかは知りませんが、ずっと彼をいじっていたのは同じ小学校出身の人たちだとは聞いていたので、そっちで何かあったのかなと少しは思いましたが、そこまで自分が考えるものでもないだろうと、特に気にもしませんでした。と言うか、部活や友人と遊ぶのに忙しく、夏休み中に彼のことを考えたのなんて、1、2回あったかなぁ?という程度です。
冷たいと思われるかもしれませんが、私は先生に頼まれたから様子を見ているだけで、彼とは友人でもなかったんです。家族や友人のことを優先的に考えれば、必然的にそれ以外の人のことを考える時間なんか全くなくなってしまいますよ。

そんなこんなで夏休みが終わったのですが、彼が全く学校に来ないんですね。たまに私服を着て自転車で来ては不登校仲間みたいな連中と、授業中で誰も使っていないグラウンドで遊んでたりはしてましたが、教室で授業を受けるのは月に二、三日程度になってましたね。そうなると我々としてはできることもありません。例えばプリントを届けるみたいなのも、出身小学校が同じ同級生の役割でしたし、修学旅行は確か先生たちと行動していたような気がします。たまに学校に来た時も自分から周りを拒絶する感じで、休み時間とかは寝てましたね。まぁ、あれが本当に寝ていたかというと、そうではなかったんでしょうね。薄々みんな気付いてた感じでしたが、特別仲が良いわけではない同級生が自分で壁を作ってるのに、わざわざ乗り越えて行って話し掛けるような人はいなかったですね。私たちも挨拶程度はしていましたし、向こうから寄ってくれば一緒に話したりはしましたが、顔を伏せている彼の近くまで言って遊びに誘ったりというのはしなかったですね。と言うか彼が休んでいる間に我々は我々で仲を深めており、グループの外のことを気にするよりも、自分たちの内で遊ぶ方がよっぽど楽しくなってたんです。だから彼がどうこうというより、わざわざ外に目を向けないという感じでした。

そういう感じが卒業まで続きました。彼は学校に来ても真面目に授業は受けませんでしたし、休んで家で何してるかと言えば遊び呆けているみたいでした。不登校仲間みたいな人たちもいて、そっちのグループで遊び歩いているみたいだったので、引きこもるということはなかったみたいですが勉強はしていない。定期テストは教室で受けたり、別室で受けたりしてましたが、一応試験の日には学校に来てました。テスト返却の日にはいないことがほとんどだったので、正確に彼がどの程度の成績だったかは知りませんが、良くはなかっただろうと思います。
それが理由だと思いますが、彼は高校に進学せず専門学校に進むことになりました。私が高校一年の時に一度だけ町中で彼に会ったことがあります。どういう分野の専門学校かは聞きもしませんでしたが、専門学校の同級生はみんな高校を卒業してから専門学校に来ていて、自分だけ子どもだからみんな気にかけてあれこれ世話を焼いてくれると。それが楽しくてしょうがないと笑っていました。
その時はそれは良かったなという程度にしか思わなかったのですが、果たしてそれが彼にとって良い進路だったのかはわかりませんね。

上に少し書きましたが彼は運動が得意ではありませんでした。鬼ごっこという遊びでさえ嫌になればやめる。忍耐力にも欠けていたと思います。そんな彼が肉体労働をしている姿は想像もできません。それ以外で中卒で就ける仕事はかなり限られるでしょう。彼が働いて収入を得て幸せな生活を送るというのは、相当難しいのではないかと思うんです。せめて高校を卒業していれば、それなりの仕事には就けるでしょう。その進路の選択肢を狭めたのは、間違いなくあの夏休み明けの不登校でしょうし、あいつらにいじめられたと名指しされた我々、いや「○○たちにいじめられた」の○○には私の名前が入っていたのですから、私に原因があるのでしょう。

希望があるとするならば、その高校一年の時に会ったのを最後に彼とは会っていませんし、彼の噂なども全く聞いていないということです。色々あったけど今はどこかで幸せな生活を送っていると、そういう可能性もゼロではない。私は常々どんなに失敗をして転落しても幸せになれると言い続けています。手の届く幸せの形が変わってしまうかもしれないけれど、無理に高々と手を伸ばさず届く幸せを掴めば良いと考えています。だから彼が幸せを掴んでいる可能性もあるし、そうであって欲しいと思います。

以上長々と書きましたが、要するにあれは絶対いじめなんかじゃない、私は間違ってないと思う自分と、名指しでいじめられたって言われたんだから私はいしめの首謀者だと思い悩む自分が、あれから数十年経ってもせめぎ合っていて、たまにふとした瞬間に精神的に深くダメージを負って沈んでしまうんですよ。いじめた側はすぐ忘れるとか言われますが、私は今なおあの担任の顔に囚われています。
だから、深刻ないじめ、かなりきつい状況だったらすぐ周りの人に相談して欲しいんですが、もしかしてこれいじめ?ってぐらいの段階だったら、一度ちゃんと当事者同士で話してみて欲しいんです。「当たり前」とか「ルール」にズレがあって、すれ違ってしまっているのかもしれません。だったらそこをお互いに納得出来る形に変えるだけで解決できるかもしれません。
それにいじめてるつもりなんか全くないって思ってる皆さんも友人や、そこまで仲良くないけど遊ぶことがあるみたいな人たちとの関係を、もう一度考えてみて欲しいです。

いじめっていじめられた側は人生壊されるのに、いじめた側は何事もなかったように幸せになっていく。そう言われることが多いですが、実は誰も幸せになんかなれないいじめも多い気がする今日この頃です。皆さんがもう一度考え直すきっかけになれたら良いなと思います。

なんだかんだ言って自分の視点でしか書けなくて、相手がどう思ってたかなんていうのは推測に過ぎませんし、結局自己弁護になって長々といいわけを繰り広げてしまいました。特にいじめ被害にあった方には耐えがたい内容だったかと思います。そこは本当に申し訳ありません。