まぁのブログ

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こんにちは!

こころサポーターのMAAKOです✨

(初めて名乗りました(笑))

 

今回は以前のブログでチラッと

お話していたことについて話そうかな、と。

 

タイトル通り

「うつ病」「双極性障害」を通じて、

私自身がみなさんの支えに、

なにかしら伝えていきたいと思って

「こころサポーター」と名乗り

コンテンツをリリースしたり活動しているかについて

お話していこうと思います。

 

私がうつ病と診断されたのは、

令和2年の8月11日でした。

(診断書を見てびっくりしました)

でも元々は令和1年5月ころより、

精神が不安定になり、心療クリニックに通いだしました。

その時点では「うつ状態、不眠症、不安神経症」

この診断でした。

 

まずはこのうつ病になる前からお話していきたいと

思います。

 

この頃の私は、

介護士として働きながら、

育児(当時2歳児/保育園)、

精神疾患(パニック障害、うつ状態、不眠症)になった夫と

暮らしていました。

義実家は近く、関係も良好。

(保育園のお迎えを頼んだりしていました)

 

この頃は本当に毎日が必死。

パートという立場が初めて。

正社員しかできない業務がある事に戸惑う。

そして始業前30分くらいにきて、

やることがあるのが当たり前の繁忙の職場。

忙しい中でも手伝おうと思っても、

パートは出来ない。

 

そんな職場で務めてる中、

イヤイヤ期に近い息子を早く預けて

職場へ行かないといけないというプレッシャー。

【時間だから帰っていいよ】

このセリフに後ろめたさも感じつつも、

保育園のお迎えがある。

 

そもそも地元から越してきて、

介護度というものがあれど、

利用者様のバイタリティーがとてもすごい。

 

つまるところ『ついていくこと、なれる事に必死』でした。

 

この中で、私は『やらねば』に縛られていました。

今思うと本当に私は頑張りすぎていたと。

 

義両親は良くも悪くも悪気のない人。

(義母は割とさらっとまろやかでありがたいです)

・うつ病=心の風邪

・根性でどうにかなる

(昔の人はちょっとそんなことがあっても仕事をしていた論)

 

そんな義両親から夫を守るために、

「病気」である事、薬が必須である事

そして「休む事、無理はしない事」が大切で、

医者の指示があること。

それをまったりと刷り込むように伝えていました。

それは「これぐらいできないか?」とならないために。

自営業をしていて無理に手伝いとして

駆り出されないために。

 

けっして怠けているのではない、

身体が心が必要としてる休息だと。

 

その甲斐もあってか、理解?はしていただけました。

(あの頃の自分まじで頑張ったと褒めたい)

 

そんな感じで、育児・家事・仕事の

ストレスは溜まる一方でした。

なぜそこまでしたのか?

 

それは私自身高校時代より、

精神的に不安定になることが多く、

病院に自身のバイト代で通ったりしたからです。

その頃からいい病院にはあたらず、

診断もつかなかったからです。

 

診断がつく=しっかりとした病気、病状

そう専門医に判断された、

だからゆっくりしてほしいと思ったこと。

 

そして今まで私は不安定になっても

どうにかしてきたから、大丈夫と

謎の自信と覚悟がありました。

 

・・・そこが間違いでした。

 

少しずつ心がすり減っていくわけです(苦笑)

 

そこから私は自傷行為(仕事でも見えないところ)が

再発するわけです(学生時代はありました)

そこで一度すっきりするわけですが、

一過性に過ぎません。

なぜなら根本が解決していないから。

 

雑草と同じです。

表面だけ草を抜いて綺麗にしても、

根っこがあれば、除草剤をまいていなければ、

また生えてくるんです。

 

苦しくて仕方なくて、私は受診を決めたのです。

それも夫に知られたくないので、

夫とは違う病院で。

でも同じ系列で同じビルに入っているところを選びました。

たまに私だけ旦那の代理受診をしていたので、

それも自分の受診に違和感なくいけること。

また私が買い物へ行って帰ってくる時間に

近しい距離であること。

最悪旦那と同じ病院に変わってもカルテ共有がある事。

 

上記が主な理由でした。

 

 

病院に大体週1~2週間に1回通い、

投薬治療が始まりました。

薬を見て笑った記憶があります。

『精神疾患の利用者の方が飲んでた薬だ。

配薬介助で飲んでもらってたものだ」と。

治療は毎回泣いていましたね。

自傷行為も止まらない、苦しい、

でも頑張らないとって思いながら。

 

そうしながら私、踏ん張ってたのですが、

令和2年8月、通いだしてから1年3か月。

金銭的に少しずつ苦しくなるわけです。

そして私自身にも憤りを感じていました。

私がフルパートで働いている給料より、

夫の失業手当のほうが多い事。

私は何のために働いているのか?

そう思いながら、このままでは医療費が厳しいと思い、

そこで自立支援医療を申請したい旨を伝えると、

今のクリニックではできないこと、

旦那と同じクリニックでは可能だと。

そのため、私は転院しました。


長くなったので、次回転院してから夫へ伝えるきっかけについて

書きたいと思います。