人類学者クリフォード・ギアツの言ってる通り、部族同士に細々と文字を使った以前の人類が「自分たちの計画を実践に移すとか腹を肥やすのに何の役にも立たないことであっても、種類を問わずにすべてのことに興味を持ったはずだという点には疑いの余地があまりない。 ~ 彼らは生れつくの構造のせいで心の深いどころから湧き出る手に負えない認知的熱情ですべての植物を分類したり、蛇たちをことごとく区分したり、蝙蝠を分類したのではない。 ~ 針葉樹、蛇、木の葉を食べる蝙蝠などが生きてる環境では、自分が知ってる内容が厳密な意味で物質的に役に立とうがなかろうが針葉樹、蛇、木の葉を食べる蝙蝠などについてたくさん知れば知るほど有用だからだ。」

-The Organized Mind : Thinking Straight in the Age of Information Overload 中

 

 

 

 

対話するときそもそもこれを把握しておいて始まるべき。この二人は対話の調子が全然違う。

 

そして理性対話は感情対話よりもっと珍しいはず。

 

そして感情対話は大体理性対話の仮面をかぶっているはず。

 

これをよく分別して、この対話の本質が理性対話化感情対話化を把握して対話に臨もう!