家族の在り方
ひとり親で子供を育てた。制度の変わり目で、母子家庭手当ももらえず今のように、養育費の請求もできず残ったのは、100万近く残った車のローンと子供の教材のローン当時の私の給料では、ローンと家賃と娘の通学交通費だけで手元に残るのは3万円程度米も買えなかった食べ盛りの子供たちに、夏場はそうめんと韓国のり冬は、仕事帰りに値段の下がった食材を買い何とか腹を満たした自分は、コンビニで日付の切れた弁当が100円~200円で売っていたものを買い一日1食、職場での体裁を保った職場の給料だけでは、教育できない独立して、共同経営の会社を作った開業資金を出せなかった分、睡眠2時間ぐらいで働いた我武者羅に働いて、会社も軌道に乗った子供たちには好きな道を歩かせたいやりたい教育を受けさせたい医者になりたいという娘ある時、飲みに行ったら娘の同級生の開業医の親に「子供の希望をかなえられない親は最低だ」と叱責された好きで飲み歩いていたわけではない仕事の接待で飲んでいた子供を二人で家においても、会社を大きくしていかなければならなかったとはいえ、2人だけの弱小企業何から何まで自分でやらねばならない 働いて働いて金を稼ぐ娘は2浪し医学部入学周りは良い家の子が殆ど・・・友達に市営団地ってどんなところか見てみたいと言われたと言っていた医学部の親の会に出席すれば市営団地にお住まいなのですねと蔑まれた言葉をかけられた今度は家だ息子が大学に入る前に家を買わねば貯金などない娘の学費を払うのが精いっぱいの生活国民金融公庫から教育資金を借りる残った借入金の50万の頭金で1000万の中古の家を即決で買った保証人も頼まなかった保証協会を付け、割高だったが15年ローン息子は、私立の薬学部入学また、国民金融公庫から教育資金を借りた家のローン、学費、教育ローンの支払い月30万は消えていく働いた、子供たちも奨学金を借り家に入れた誰のお金というわけでもなく必要なものに使った3人で乗り切った私の兄弟は皆、高学歴高収入彼らにも言わなかったツッパていた毎日が自分との戦いだった身体はボロボロだった自分の生命保険の証券を見て私が逝っても、子供らは大丈夫だと辛さをしのいだ娘は医者になり15年息子は家庭を持ち薬剤師として働いている子供たちが完全別2世帯住宅を建て子供たちと離れることなく暮らしている孫も生まれ、私は還暦を過ぎ弱った身体をいたわりながら規模は小さくなったが仕事も続けている毎日趣味に明け暮れ誰から見ても幸せだろう私もそう思う今日娘に「母は大きな懸けをしたんじゃない。 でもそれは一般的じゃない」と言われた。そしてまた「母のようにには、なりたくなかったから子供はいらない。 家庭は作らない」とも言われた。私は娘の目にどんな風に映っているいるのだろう?私は子供たちに見返りを求めて育てたわけではない私の子供たちが、自分の好きな人生を歩めることにその道しるべを立ててやれることに喜びを感じていたそれが自分の幸せだった