宿業の内容は、煩悩であるということを思い知らせて貰える下の世界の反射なのである。
上の世界の煩悩によって下の世界を気付かせて貰える、下の本質の世界を知らせて貰えるのだ。
それを強いて分けると上の世界は機の世界であり下の世界は法の世界であるということになる。
二つに分けて考えると確かに功利主義的な考えにもなる。
ところがこれは切り離せっこない。生命は一つにつながっている。
先の道元禅師の話のように、
扇で煽いでいるところに風が風性常住で至る処にあるのだということが具体的にそこに出ている。
扇で煽るのをやめて「いや、風性常住である」とこう言ったのではね、
それでは何も扇で煽らなくてもいいのではないかと、
こういうことに出てくる。
どこまで行ってもこの人生を繰り返し繰り返し苦しみの道を歩いて行くよりしようがない。