「そのままのお救い」と聞けば、下の世界に入るのは聞くだけのことである。

 

上の世界の考えが少しも入らない。

 

それを翻訳して「ああ、この身そのまま、無知の一文不通の自分がこのままで救われるのか」と、

 

こう翻訳したところにもう嘘がある。本当に聞いていないところがある。

 

聞いた声を自分の声に翻訳して言っている。それが他力なのである。

 

 

それほど分別心・はからいというのは我々の根本的な存在の地盤のようなものなのである。

 

だから、これを捨てろと言っても、そう一朝一夕に「ああ。わかりました」などと捨てるわけにいかない。

 

捨てる必要がないのだと。それをそのままにして本願が、それをそのまま救い取ってくれるのである。

 

「ああ、このままでよかったか」などと言うと、もうそこには生きたお婆さんはおらなかった。

 

知識だけがそこにある。