自分が温泉にはまったきっかけは、「まっとうな温泉」という一冊の本だった。温泉趣味の世界に入ると、温泉を愛好する人は半端なく、それぞれ自分の感性で温泉を評論しているのなんと多い事か。共感する人とは理屈でなく、その素晴らしさを共有することができる。自分でもお気に入りのサイトや本を元に温泉や温泉宿をセレクトしている。そんな中、自分が参考にしている「旨し湯、旨し宿」というサイトで長崎県佐世保市にある「山暖簾」という温泉宿が絶賛されていた。宿良し、湯良し、料理良し。3拍子揃ったところは稀である。



うえまさのニッキ

人気のある宿は予約困難である。繁盛期を除いた平日であれば予約が取れようが、休日しか休みが取れない身分では苦労する。今回、「3か月前の同日から電話で予約可能」と言った条件の元、お盆期間中であったが何とか予約が取れた。お盆旅行はこの山暖簾に行きたいが為に、長崎に行ったと言っても過言ではなかった。



うえまさのニッキ

人間、期待が大きすぎると過度に期待してしまう性である。これまで、色んな宿に泊まって良い思いもしてきている。そうなれば、突出して感動するところはまず無いと冷静になるべきである。気分をゼロにしてみれば素晴らしい宿も、はなっから良いと思って見てしまうと、感動が少なくなってしまう。


うえまさのニッキ


うえまさのニッキ


うえまさのニッキ


部屋から観える景色。ネットでその雄大な山暖簾(全面に山間が連なり、等間隔に伐採された溝がアクセントとなって、まるで山の暖簾のように見える。)を見ていたので、観た景色は見たままの景色だった。もし、何の先入観もなく観ていたら感動ものだったろう。ちなみに、溝のように見える伐採箇所、山火事の延焼を防ぐ目的のためのだそうだ。



うえまさのニッキ


宿は有名な建築家の黒川紀章氏のデザインによるもの。黒川紀章氏と言えば奥さんが若尾文子さんで東京都知事選に出たことが記憶にある。確か、道後温泉の道後館と言う宿もデザインしていたはず。館内に流れる小川にビックリした覚えがある。先日訪問した「長崎県立歴史文化博物館」も黒川氏のデザインによるものである。いずれも斬新で新鮮さを感じさせてくれる。山暖簾も田舎にありがちな温泉宿と言うイメージを完全に覆していた。



うえまさのニッキ

風呂は「世知原温泉くにみの湯」。ナトリウム‐炭酸水素塩泉(低張性‐弱アルカリ性‐温泉)であるが、確かにNaイオン、炭酸水素イオンの量は吐出しているが、分析表にはPH値がないのでPH値はわからない。湯温37.4℃は温泉の基準を満たしている。



うえまさのニッキ

風呂の入り口に、やたらデカデカと「温泉入浴はマナーを守りましょう!」と書いてあったのが気になった。風呂に入るとすぐにその意味が分かった。子供数人が大声ではしゃぎ回っている。それはまさに近所のスーパー銭湯の様相であった。宿の雰囲気がここで一気に崩れる。お勧めは山暖簾の雄大な景観が楽しめる露天風呂、との事だった。ここでも子供が、、、。その子は中学生くらいだったが、浴槽の淵に寝そべっていた。まるでどこかのぐうたら親父の様に。それだけでも不快だったが、しばらくして浴槽内のお湯を外へ投げ出した。いつ注意しようかと頃合いを見ていたところ、それには横に座っていたおじさんが「お湯をかけるな!」と怒った。すると反対側に居たおじさんが「そういうことするなよ。」とやんわり言ってきた。会話を聞くと親子の様だった。なんで親がすぐ傍にいるのにこんなこと許しているの?こっちの方が不愉快だった。



風呂に限らずマナーは親が教えないと、必ず社会に行って恥をかく。親が注意しなければ他人から注意されるか、敬遠されてしまうだろう。食事会場でも同じ様な事があった。夕食は食堂で他の宿泊客と一緒になる。隣にいた家族は、祖父母、両親、子供3人の計7人。一番上のお兄ちゃんは中学生か高校生でじっと座って食事をしていたが、小学生と思われる兄妹は、食事の時からうるさいと思っていたが、とうとう立ってうろつき始めた。隣を走ったりされた時にはさすがにこれは、と思ったが親は全く無関心。度が過ぎると思った瞬間、母親が「だめだよ~。」とか言ってる。こちらと目が合った瞬間、子供は危険を察知したかこちらには寄り付かなくなった。それでも遠くの方で好き放題している。そんな中、親父らしき人物は何事もなかったように平然と飯を食っている。その姿には呆れてしまった。この親にしてこの子あり、なんだと思った。


うえまさのニッキ


露天風呂でがっかりしたのは、そのお湯にであった。温泉とは名ばかり、塩素消毒バリバリの循環風呂。最初からそう言うもんだと思っていたら、気にならなかったかもしれない。景色は良いが風呂は楽しめない。内湯のぬる湯は温泉だろうと思って入ったが、これも循環風呂で温泉の欠片位しかない。残念だと思っていたら、子供が飛び込んで泳ぎ始めた。前に入っていた若いおじさんの顔には思いっきりお湯がかかっている。とうとう「風呂で泳いだらいけんよ!」と注意した。すると、しばらくこちらの様子を伺っていたようだったが、ダメだとあきらめたようで今度は違う浴槽に行ってはしゃぎだした。「親はおらんのか!」と思ったが、注意する大人は誰もいなかった。



うえまさのニッキ

内湯は全部で4つの浴槽があった。よく見ると右手前の浴槽は「源泉」の文字がある。そしてその風呂に入った瞬間、気持ちが晴れていった。これは間違いなく温泉だ!ナトリウム‐炭酸水素塩系のぬるぬるがある。湯あたりが先の風呂とは全く違う。こんな良質の温泉なのに誰も入っていない。皆露天風呂、ぬる湯に向かっている。この浴槽に入らないで風呂から上がる人のなんと多いことか!実にもったいない。食事の後、深夜に入ったときは子供もいなくて実に静かだった。もちろん源泉槽にゆっくりつかって、この温泉を堪能させてもらった。惜しむらくは風呂が23時までなので、もう一回夜中に入ることはできなかった。



うえまさのニッキ


「宿の真価は朝食に出る」が僕の持論である。もちろん、山暖簾のそれは文句のないものだった。施設や温泉、食事どれも合格点だったが、風呂のマナーの悪さはいただけない。張り紙をするだけでなく、そう思うのならスタッフが見回るべきであろう。尤も親がついていながら放置していることの方が問題の本質ではあるが。現状では、公共の宿だからそういうものだと割り切るしかないが、「癒しの宿」のコンセプトとは違うような気がする。