スーパーセブンが終わってから、大学で実習が始まったのであまりパチンコに行けなくなった。この頃から少しずつパチンコが変貌していく。それまでの1300発終了から、2000発、3000発終了機の登場である。ラッキーナンバー制を採用するところが多くなり、勝負がでかく、長くなりつつあった。これまでの様にちょっと腰かけ程度に打つ感じではなくなってしまったのだ。

丁度その頃(平成になった頃)、パチスロが段々と流行りだして、それまでパチンコ店の隅に2~3島しかなかったのが、半分程度にまでなっていた。今まではパチスロはパチンコに比べて勝負が大きく、手が出せないでいた。然し、パチンコも同じくらい勝負がでかくなった事もあってか、パチスロもやってみようかと言う事になった。パチスロでは先輩のOに付いて行って教えてもらう事になった。


$うえまさのニッキ
(リバティベルⅢ メーシー・ユニバーサル系)

青江にあった「ジャンプ」といお店。過去に遊びでパチスロを打った事はあったが、打つ気で打ったのは今回が初めてになる。彼が勧めてくれた台は「リバティベルⅢ」と言う台だった。リーチ目も目押しも簡単だと言う事が理由だった。この台は「7」が大きく、「ピエロ」は他の絵柄より幅広だったので、見やすいと言う事だった。リーチ目に入らなければ、いくら目押しが出来ても揃わない。そんな事は当たり前だが、目押しの出来る人は当時一目置かれていた。目押しが出来ないおっちゃん、おばちゃんはたくさんいたのである。Oが簡単に目押しで「777」を揃える。すごい!それこそ神業に思えたのだった。絵柄を見ても分からないと言うと、それならリールの繋ぎ目を見ろと言う。リールの繋ぎ目は段差があって、よく目を凝らすとリールの回転中に「ガタン、ガタン」と見える個所があった。丁度繋ぎ目の所に「7」があったので良い目印だったのだ。それでも最初は全くタイミングが合わなかった。


(リバティベルⅣ ユニバーサル系)

それから暫くしてパチンコはCR機時代に入っていく。それと同時にプリペイドカードが導入された。デジパチもデジタルから液晶に変わっていった。その頃よく打っていたのは三洋の「マジカルパニック」と言う台だった。新装の時ちょっと勝っただけで、そのあとはさっぱりだった。これほど負けた台も珍しいくらいだ。プリペイドカードを何枚も買いたさなければならず、とことん嫌になってしまった。パチンコと決別させてくれた思い出深い台でもある。

$うえまさのニッキ
(マジカルパニック 三洋)

CR機、プリペイドカードに付いていけずスロットに転向した人は多かったのではないかと思う。実際、短時間で勝負が付くスロットの方が自分の性分には合っていた。この後(平成3年頃)からはどっぷりとスロットにハマる事になっていくのであった。