たいした話ではないが、私はゴキブリがかわいそうだなー…と思うことがある。
というか、思っている。

どうしてゴキブリはあんなにも嫌われるのだろうか。
別に私はゴキブリが好きな訳でもないし、きっと私の部屋に現れたら、殺すだろう。
ゴキブリを殺すということはきっと私の中では習慣であり、なんの罪悪感も感じていない。
でも、たまにそうやって当たり前のように殺されるゴキブリに同情してしまうのだ。

私はゴキブリとカブトムシとかクワガタって見た目は似てると思う。
体はテカテカしていて、大きさも同じくらいだ。
私の姉は「ゴキブリは飛ぶから嫌い」と言った。
カブトムシだって飛ぶじゃないか。そう思う。
なのに一方は目の敵のようにされ、もう一方は高値で売られたりもする。
ここでなぜゴキブリとカブトムシを比べているかは、自分自身でもよくわからないが、同じ「虫」という仲間でも大切に飼われるものもあれば、殺して当たり前のように思われているのもいるってこと。

小学生の頃、冬にカマキリの卵を取って帰り、家の勉強机の上から2段目の宝物を入れる引き出しに入れた。
宝物入れに入れたにも関わらず、カマキリの卵を入れたということなんてすぐに忘れてしまうのが小学生で、不幸な事態が起きたのだ。
ある日、その引き出しを開けると、小さなカマキリの集団が飛び出してきた。
机の中でふ化してしまったのだ。
これは自分では処理しきれないと、瞬時の判断したのだろう。
怒られるのを承知で母親に言ったのを覚えている。
母親は殺虫剤を持ってきて、ためらうことなく私の机の中に吹きかけた。

はじめはカマキリを大切に育てようと思っていたにもかかわらず、せっかくふ化したカマキリを一瞬にして殺してしまった。
人間ってなんて自分勝手なんだろうと思う。
私が卵を取って帰らなければ、きっと大自然の中でのびのびと一生を終えられただろうに、小学生のバカな興味によって、生まれてすぐに殺されてしまうという悲しい結果になってしまったカマキリに今更ながら申し訳ない気持ちになってしまった。


一瞬の興味だけではなく、少しだけ先のことを見越して生活できるようになりたい。
アルバイトの勤務に入ってから3時間後、ガムを食べていたことに気がついた。

接客をしていたにも関わらず、口の中にガムを入れっぱなしにしていた。
アルバイトを初めてもう4年が過ぎ、5年目になって初めての経験だ。
完全に無意識だった。

仕事にも仲間にも慣れすぎていて、緊張感がなかったのが原因であろうか。
昨日、新人さんが入ってきた。
彼の緊張は容易に私にも伝わってきた。
きっと4年前の私もそうであっただろう。
しかし、今やこの有り様。
わからない仕事はほとんどない。
お客様の突拍子もない質問にも答えられる。
仮に答えがわからない状況でも、動揺することはない。
お客様に怒鳴られても、ビビらなくなった。
そして気持ちの込もっていない、しかし気持ちを込めたような
「大変申し訳ありませんでした。」
という言葉をしゃーしゃーと言える。

これでいいのだろうか。
ホスピタリティーのかけらもないような気がしてきた。
私がアルバイトをしている理由。
それは完全にお金を稼ぐことだけが目的で、せっかく接客業というものをしているにも関わらず、
それを極めようなどという考えはこれっぽっちもないような気がしてきた。
ただ、アルバイトの時間だけそのお店の名前に泥を塗らないように淡々と仕事をこなすだけ。


こんな私に「ありがとう」って言ってくれるお客様に恥ずかしいような気持ちが5年目にしてやっと芽生えてきた。
私は研究室の教授が大嫌いだ。
大嫌いというより生理的に受け付けない。
そしてそんな教授の、この研究室が嫌いだ。
はじめからそうだったわけではない。

この研究室を選んだのは私自身であり、はじめは研究に対する意欲が今より数倍、いや数十倍は強かったのは確かである。

はじめからこの研究室が忙しいことはわかっていたし、覚悟していた。
だから忙しいからといって文句を言おうとはこれっぽっちも思わない。
でも今、もう嫌で嫌で逃げ出したいぐらいいやだ。
研究を続けていくのであれば、研究室を変わるという選択肢もあるが、今の私はもう卒業さえできればいい。
研究というものに魅力を全く感じなくなったからだ。
それは研究者というものの嫌な一面を見てしまったからである。

私の研究室は学生全員の机がパーテーションで区切られていて、個室のようになっている。
誰が部屋にいるのかさえ、物音で確認したり、のぞいたりしなければわからないぐらいだ。
だからなのかは定かではないが、学生同士まったく仲が良くない。
むしろ仲良くしたいとも思っていないように感じている。
私はそういう空気が嫌で一度教授に言ったことがある。

「学生同士ぜんぜん仲が良くなくて楽しくないんです。」

すると教授は、

「仲良くなんかしなくていいと思っている。仲良しクラブみたいになったら仕事がはかどらないだろ。そんなこと考えてたら社会でやっていけないぞ。」

と。



私は学生だ。
学生の本分は勉強かもしれない。
でも友達を作ったり、遊んだり、社会に出てからではなかなかできないことをやりたい。
私がしている研究は仕事でもなんでもない。
この人とは感覚が違いすぎる。


そう思ってしまった。
それから教授を避けてしまうようになった。

しかし教授を嫌いになった決定打は、
教授が私たち学生に仕事をしろ仕事をしろとうるさく言っているにもかかわらず、
教授自身が研究室のドクターの先輩とずっとスカイプをしていたり、
自分の部屋で1時間以上お茶をしていたりすることがわかったことだ。

1時間以上もお茶をするわけないし、しかも毎日のように。
妻子持ちの教授は何をしているんだ。
そう考えただけで気持ちが悪くなり、生理的に受け付けなくなったのだ。

今いる研究室のメンバーで私以外にこの事実を知っている人はおそらくいない。
みんなが「先生、先生」とこびを売っているのをみると虫酸が走る。



アカデミックな世界で生きていこうと思うと、教授や権力を持っている人に気に入られないとほぼ出世できないのだから、仕方のないことなのかもしれない。
私の父親は今年の3月に大学院を卒業し、博士号を取った。

仕事をしながら、大学に通い、仕事とはまた別のテーマの研究をしていた。
仕事をしながらというところにも、自分の娘と同じくらいの年齢の人たちと一緒に研究する体力にも、本当に尊敬する。
そしてそんな年齢になっても、まだ学びたいという気持ちがあることにとても驚いた。
研究から逃げたい、最近の自分を恥ずかしく思う。
父親が研究と仕事を両立し、それで稼いでくれたお金で大学に通わせてもらっているのに、自覚が足りないな、と感じた。

そんな父親のD論を読み始めた。
その分野に関する基礎知識が全くない私にとって、読み進めることは容易ではない。
でもこれはどうにかして、読み終えたいと思う。
謝辞に書いてあった父親の気持ちに、今まで知らなかった父親の一面を感じたからだ。
謝辞には、教授や共同研究をしてくれた方々に対する感謝の言葉はもちろん書かれていたが、私たち家族に対する言葉もあった。
うれしかった。

私は家族に感謝の気持ちをきちんと表現したことはあるだろうか。

昨日までのお天気とは打って変わって、外は雨。


研究を進めなくてはいけないのに、パソコンに向かって違うことばかりやってしまう。
就職活動が終わってから、何の進展もしていない研究。
卒業に向けてやらなきゃいけないことは山積みなのに、取りかかれない。

就職活動は思っていたより、楽しかった。
社会ってものが少しわかった気がする。
少しは大人になれたかな。
視野もきっと広がったんじゃないかな。
何より、友達が増えた。
同じ境遇にいる人って、話は盛り上がるし、自分の気持ちをわかってもらえる気がした。
明日も就職活動で出会った友達と会う。
本当におもしろい人たちに出会えたと思う。
1次面接の後に、そのまま飲みに行って、終電を逃してしまうとか。
しかも次の日みんな、選考あったのに。
今思うとバカだなーって。
でもいい。
明日も楽しみだ。

とりあえず、あと1時間ぐらい勉強してみよう。