4月26日。

9年ぶりに

THE BOOMのライブへ音譜

ツアータイトルは『24(ツーフォー)』

デビュー24年目キラキラ


……というコトは

私もファン歴24年になる[みんな:01]


今回は同じファン歴の妹と

楽しんできました音譜


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初のZepp Nambaにてビックリマーク



選曲も初期の頃~最新アルバム

そして、お馴染みの曲まで…。

幅広く、そして私の歴史も

振り返ることに[みんな:02]


24年間の出来事が歌とともに

フラッシュバックで蘇ります[みんな:03][みんな:04][みんな:05]

自然に涙がポロポロとこぼれる

曲もたくさんありました。


共に歩む音楽があるのって

幸せだなぁと改めて思いました。



そんな中、

彼らが全国区になった一曲が

『島唄』です。

ボーカルのMIYAが振り返ります…。

…………

この曲は20年前だから

書けた曲なんです。

あの頃は、

沖縄が大好きで

琉球旋律が好きで

沖縄の音や人や自然が好きで

音楽にしたいという想いで

作りました。

沖縄の歴史や問題はその当時

ほとんど理解してなくって。

だからこそ、書けた曲、

今の自分では深く知りすぎて

きっと書けない曲です。



世の中に発表するかどうか

とても悩みました。

20年前は今よりもっと

ウチナーンチュ(沖縄人)と

ナイチャー(本土、他府県人)には

見えない壁、超えてはいけない一線があって

そこに土足で踏み込むような行為に

なるんじゃないか?

こんな若造が沖縄の魂である三線を

振りかざし、沖縄の唄をうたう…。


そんな時、

沖縄の音楽家である喜納昌吉さんが、

「いい歌だから唄いなさい。

そこにある壁を音楽で壊そうよ。」と

言って、後押ししてくれました。


…………


こうして『島唄』は世に出ました。



もちろん、賛否両論。


「もう二度戦争はしちゃいけない

これは鎮魂歌だ」

という想いも当時は語るコトなく

ただただ歌い続けようと決めました。

歌い続けることで

批判的な人にもきっとこの想いが

届く日がくるから…。



そして、彼らの想いは

海の向こうにも届きました。

色んなアーティストがカバーし

さらに広がっていきました。



今年は『島唄』が生まれて20年。


沖縄といえば…というくらい

有名になった一曲。

この曲がもっともっと

色んな想いと共にこれからも

歌い継がれていくことを

願っています。


この日の『島唄』は

じんわりと温かさが心に

染み渡りました虹


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