アルバムの中の記憶 | 温もりのメッセージ

温もりのメッセージ

人と動物との心の繋がりを大切に、主に犬猫の絵を通して、
彼らの心の純粋さ、愛情の深さを伝えていきたい

 


「こんにちは。いつも母がお世話になっています。」

私は母が入所している老人ホームを訪れていました。
介護職員さんに挨拶をして、母の部屋に行こうとしたとき、職員さんに呼び止められました。

「こんにちは。これからお母様のところに行かれますよね。
実は最近、よくハナに会いたいって仰るんですよ。ハナという人にお心当たりありませんか?」

「ハナ…ですか?う〜ん、子供は私ひとりですし、誰のことでしょうね。ちょっと思いつかないですけど…。」

私の母は認知症を患い、今はこの介護付き老人ホームでお世話になっています。
母が80歳の時に父が他界、それから少しして認知症の症状が出てきました。
当時、母は一人暮らしでしたが、だんだん症状が進み、私も家庭を持ち、母を引き取り介護するには難しい状況がありましたので、実家を売却しこのホームに入所させたのです。
母は認知症を発病して以来、すべてにおいて意欲がなくなり、口数も減り表情も乏しく、一日中ボーッと座っていることが多く、ホームにいる今でもその状態は変わりませんでした。
そして、母はすでに私という娘のことすら忘れてしまっていました。
そんな母がハナに会いたいと言うなんて、私はハナという存在が気になって仕方がありませんでした。

私は実家を売却した際、不用品などを整理し処分したのですが、古いアルバムは持ち帰っていたことを思い出しました。
もしかしたら、アルバムの中にヒントがあるかもしれない、そう考えたのです。
押入れに仕舞い込んでいたアルバムを取り出し、一枚一枚、写真を確認しました。
そこには若かりし頃の母、父、そして子供だった私の姿がありました。
懐かしい写真を見ている内に、いつしかその頃の自分に戻ったような気分になっていました。
何ページ目かをめくった時、その真ん中に貼ってある写真に目が止まりました。
まだ30歳前後の若い母とその膝の上にちょこんと座っている一匹の白い猫が写っていたのです。

私は一瞬にして記憶が蘇ってきました。

「そうだ、この猫だ。
この猫の名前が確かハナだった。」

母がとても可愛がっていた猫でした。
それがある日突然いなくなってしまい、母はあちこち探し回り、近所にも迷子猫の張り紙をしたりしましたが、結局ハナは帰ってきませんでした。
母の落胆ぶりは本当に見ているのも辛く、子供だった私はそんな母の姿が悲しくて、ハナのことは無意識に記憶から消し去っていたのかもしれません。
そして、それから母はハナという名前を口にすることは二度とありませんでした。

私はアルバムを見た日から、白い猫を探し始めました。
白い猫を連れて行けば、もしかしたら母の慰めになるのではないかと考えたからです。
愛護団体や自治体で定期的に譲渡会が開催されていると知り、足繁く通いましたが、なかなか白い猫には巡り会えませんでした。

そんな譲渡会通いが3ヶ月を過ぎた頃、ついに見つけたのです。
ハナそっくりの白い猫でした。
私はその猫の里親となり、名前をハナと名付けました。

ハナが我が家にも慣れた頃、私はハナを母に会わせることにしたのです。
ホームには事情を話し、私が面会に来ている時に限り、またお部屋からは出さないという条件で許可を取り付けました。

私はハナを連れて母の部屋を訪ねました。

「こんにちは、今日は可愛らしいお客さんを連れてきたわよ。」

私はハナが入っているキャリーバッグを開けました。
中からハナが顔を出した時、母の表情が変わりました。

「ハナちゃん?ハナちゃんなの?今までどこに行ってたの。随分探したんだよ、さぁ、ハナちゃん、こっちにおいで。」

そう言って母はハナに向かって手を差し伸べたのです。
ハナはバッグから出るとニャ〜と一声鳴いて、母の方へゆっくり歩いていきました。
そして何のためらいもなく、母の膝の上に飛び乗ったのです。
まるであのアルバムの写真そのもので、私も写真の中に入り込んだような感覚になりました。
もしかしたら今、目の前にいるハナは、母が可愛がっていたあのハナの生まれ変わりなのかもしれない、そんな気さえしたのです。

じっと立ち尽くしている私に母は、

「どなたかは存じませんが、ハナを見つけてくださってありがとうございます。本当に親切にしていただいて感謝申し上げます。」

母にとっては、まだ私は娘ではなく親切な他人なんだということに、寂しさはありましたが、それでもハナを連れてきて良かったと思いました。
それからは時間を見つけては以前よりも頻繁に面会に訪れるようにしました。
もちろん毎回、ハナを連れていきました。
すると、母は見違えるように表情も明るくなり、笑顔も多くなりました。
それはホームの職員さんも驚くほどでした。

ハナを連れて行くようになって半年が過ぎたある日のことです。
いつものようにハナと一緒に面会を終え帰ろうとした時、

「ありがとね、百合子ちゃん。ハナを探してくれて。本当に嬉しかったわ。」

母が私にそう言ってくれたのです。
何年ぶりでしょう、母が私の名前を呼んでくれたのは。
ただ私を百合子ちゃんと、ちゃん付けで呼ぶのは子供の頃でしたから、母はきっとハナと暮らしていた昔に戻っていたのでしょうね。
母にとって私はまだ小学生の百合子ちゃんのままなのかもしれません。
それでも私は、私を娘の百合子だと思い出してくれたことが嬉しくて、こう言いました。

「私、お母さんのために一生懸命、ハナを探したんだよ。」

母はニッコリ笑って、

「そう、百合子ちゃん、頑張ってくれたのね。ありがとう、さすが私の娘だわ。」

そう言う母の言葉に、

「うん、うん、私、頑張ったよ…。」

私もあの頃の子供の私に戻っていたのかもしれません。
でも、それがとても心地よく母と久しぶりに親子になれた、そんな気がしたのです。

今日はこどもの日、私は母から贈り物を貰ったようで、嬉し涙が溢れそうでした。
そして、もうすぐ母の日です。
私は母の好きなピンクのカーネーションの花束を持って、ハナと一緒にまた会いに来ようと思います。